第6話 絡みつく視線②

次の日、宝来軒の大将と女将さんに電話で報告した後、リュウはオーナーの瀬戸にストーカー騒ぎの報告に行った。

「,,,と、まあこんな感じです。神楽刑事も来てくれたし、当分出てこれそうにないから、しばらくはもとちゃんも安心かなと思います。」

「そうかな?」

瀬戸に別件で呼び出されていた弁護士の津田が形のよい指先でパーカーのペンをクルクルと回した。津田は細マッチョな体を上等なスーツで包み、得意な女遊びで鍛えられた甘いマスクで話に割って入ってきた。

「あんな、その子に言うとけ。もしストーカー野郎の代理人とか弁護人がなんか言ってきても、すぐ返事するな、必ずリュウ、お前のアドバイスもらってからにしろってな。リュウもな、もしストーカー野郎の弁護人がなんか言ってきたら必ず、俺か瀬戸に言え。勝手に返事するな。わかったな。」

「なんでですか?」

「足元見てくる可能性大やから。」

「足元?…はい。わかりました。」

リュウは小首をかしげながら社長室を出た。白いカッターシャツを捲った袖口から見えるオメガの腕時計を触りながら、瀬戸は黒いパンツの長い足を組み替えて津田を見た。

「津田、お前、また何かたくらんでる?」

津田をとらえた瀬戸の目は薄く笑っている。

「嫌な言い方すんな。いい匂いがしてきたなあって。俺の感はよう当たんねん。」

「なんの匂いやねん?金の匂いやろ?困った奴やで。」

津田と瀬戸は顔を見合わせ、ニタリと笑った。


その夜、神楽がふと姿を見せ、リュウを店先に呼び出した。。

「リュウ、胸糞悪い話やけど、あのストーカー男、釈放になりそうや。」

「神楽さん、どういう事?アイツ、釈放って!」

「ストーカー男、白木いうねんけどな、あいつの叔父さんはどこかのエライさんやったんや。そこからの圧力もあるし、あの子の顔切った血が付いたナイフも見つからんし、物証が無いからストーカー行為も警官への傷害事件もうやむやにされてまいそうなんや。」

神楽はきつく唇を噛んだ。

「マジですか?そんな事!」

「釈放されたらまたあの子につきまとうかも知れん。用心してやってくれ」

神楽の話にあぜんとしたものの、最後の神楽からの警告に、津田のアドバイスを思い出した。

もと子に何かしてくるかもしれない。リュウはトイレに行くふりをして、忘れかけていた昼間の津田のアドバイスを伝えようと個室に入り、スマホを出した。すると、もと子からLINEのメッセージが入っていた。

「昨日は本当にありがとうございました。寝不足になられたのではないですか?実は今、困ってます。ストーカーの弁護士さんから被害届を取り下げたら30万円払ってあげるから電話して欲しいとありました。どうしたらいいのか分からなくって。相談にのって下さい。よろしくお願いします。」

津田の言った通りである。リュウはすぐに津田に電話をかけた。

夜12時をまわっているにもかかわらず津田はすぐに電話に出た。

「なんだ、リュウ。この野郎、何時だと思ってやがる。」

「普通の人ならこんな時間にかけませんよ。でも津田さんなら宵の口でしょ。どこの店です?また女口説いてるんでしょ?」

津田の電話口からはノリのいい音楽とともに男女の楽しそうな様子が聞こえてきた。

「まあな。どうした?昼間の話か?何か言ってきたか?」

「30万で被害届を取り下げろって。それに相手の親戚にエライ奴がいるようで、警察に圧力かかってるそうです。」

「なんじゃそら?詳しく話きかせろ。その子と一緒に来い。瀬戸にも話しとく。」

「わかりました。もとちゃんと調整しますので出来るだけ早く連絡します。」

リュウは電話を切ると、ストーカー男が釈放されそうな事、知り合いの弁護士の津田のところへ一緒に相談に行こう、日程調整したいとの旨をすぐもと子のLINEへ送った。


次の日の朝、もと子から返信がきた。リュウのメッセージを読み、ストーカー男が釈放されるかもしれない事に緊急性を感じたもと子はバイト先の宝来軒の女将さんへ朝一番に電話で事情を話した。前日、もと子からストーカー男に刃物を突きつけられ、顔に怪我をさせられた話を聞き、大変心配した女将さんはストーカー男が釈放されるかもしれないことに言葉を無くした。そしてもと子に弁護士との相談を優先するよう言ってくれた。また津田から話を聞いた瀬戸が出勤前に事務所で話し合いをすれば良いと言ってくれた事もあり、この日の夕方、瀬戸の事務所で津田との相談が行われた。


「こんにちは初めまして、棚橋です。すみません、お世話になります。」

事務所に招き入れられたもと子はリュウの少し後ろで小さくなりながらも頭を下げた。

「君がもとちゃんやな。リュウから聞いてるで。リラックスして。さあ、こっちに座って。」

黒のイタリア製の大きな椅子に座った瀬戸は鍛えられた胸元から金の太いネックレスをのぞかせてニッコリ微笑むとリュウに人数分のコーヒーを入れるように言った。瀬戸の事務所の勝手知ったる津田は仕立てのいいダークグレーのスーツをしなやかな体に張り付かせ、もと子の向かいに座ると自分の名刺とリュウから渡されたコーヒーをもと子に渡した。

全員分のコーヒーがそれぞれの前に置かれた。

「挨拶が遅くなってしもたなあ。俺は弁護士の津田や。だいたいのところはリュウから聞いたんやけど、ストーカー男の弁護士から連絡あってんてな。なんて言ってた?」

「ストーカーの白木って人の弁護士が、今回のことは物証がないから大した罪にならない。治療費として三十万をあげるから被害届を取り下げなさいって。治療代には充分過ぎるから、残りは学費の足しにしたらいいよって。」

「はあ、ふざけんなよ。物証って、もとちゃん、顔切られたんやろ?ナイフにもとちゃんの血がついてるんちゃうんか?」

話を聞いていた瀬戸が身を乗り出した。

「それが俺、現場近くにナイフを蹴り飛ばしたはずなんですけど、見つからないって刑事さんから聞いたんですよ。なんか白木の叔父さんがどこかのエライさんらしくて圧力もかかってるらしいです。」

「ふーん、白木の代理人の弁護士がもとちゃんに治療費込み三十万の慰謝料で済ませようとしてきたんやな。リュウ、なんか他に物証無いのん?」

津田はコーヒーをすすりつつ、上目遣いでリュウを見た。

うーん、唸るとリュウはのけぞり、アゴに手を当て思い出そうと天井を見た。何気なくアゴに当てていた手を首元から胸にかけて撫で下ろした。

「あ」

リュウはジャケットの胸元に小さく硬い物があるのに気づいた。それは小さなマイクだった。マイクから伸びた線をたどった胸元の小さなポケットにこれまた小さな録音機が入っていた。リュウは時々セキュリティの代理に回されることがあるが、客の揉め事が起きやすい為、揉め事の仲裁する時はいつも録音していた。

リュウは胸元の小型録音機を外し、テーブルの上、みんなの見ている前に出した。

「そういやいつもの癖で着けてました。録音できているかわからないんですけど。」

みんなが固唾を飲むなか、再生のボタンを押してみた。

録音機からしばらく歩く足音が続き、そしていきなり足音は走り出した。

「この野郎!もとちゃん、放せよ!」

走りながらのためか、やや声が乱れた。

「…もしもし、警察ですか?…」

通報のあと、リュウが白木に呼びかけ、リュウと白木の怒鳴り声が続いた。近くにいた警官が到着したようで別の男達の声が聞こえた。白木が捨て台詞を吐いて、もと子を地面に叩きつけた音がした。白木が手を離した隙にリュウがもと子を助け出して、また警官と白木のもとに戻って行く声が聞こえた。

「バズッ!」

と回し蹴りが決まった鈍い音が響いた。

「カン!」

そしてナイフを蹴り上げた金属の音が響いた。リュウが警官を助けて逮捕の協力をし、白木がパトカーに乗せられた後、もと子の無事を確認して病院に付き添う様子まで音が取れていた。

「なんやリュウ、ひととおり録れてるやんか。でも、警官とこに走ってくあたりから服が擦れたんか?ガサガサゆうて聞きづらなるけど、津田、これいけるやろ?」

「とりあえず、これでも出さんより出したほうがええ。リュウ、コピーしとけ。」

津田はそう言うと、おもむろに自分のブリーフケースから書面を取り出し、もと子の前に置いた。

「あんな、もとちゃん、俺があんたの代理人になるわ。契約書かわそう。このままやったら、コイツは出てきて、またもとちゃん襲う可能性がある。せっかく今、警察が捕まえてくれてるんやからちゃんと刑務所入れてもらわんと。30万なんてはした金でチャラになんかさせへん。俺に任せろ。」

するとその言葉にリュウは難しい顔をして津田の顔をのぞき込んだ。

「津田さん、信じてエエんですか?」

「リュウ、津田は女にチャラい奴やけど、仕事はキッチリするで。」

瀬戸が目をすがめてリュウを睨んだ。

「瀬戸さんがそう言いはるんやったら、俺は瀬戸さんを信じます。」

リュウは瀬戸の言葉に真剣な顔をしてうなずいたが、津田には怖い顔をして睨み付けた。

「津田さん、もとちゃんは看護師目指して頑張ってる子なんです。もしこの子の夢破れるような事を津田さんがしたら俺はキレますよ。」

「なんやお前、怖いなあ。安心せい。というか、俺が代理人にならん方が夢破れることになる可能性が高くなるんちゃうか。お前で相手の弁護人と戦えるんか?」

津田は軽く言ったもののリュウの視線をしっかり受け止め、負けずに怖い顔をしてリュウを睨み付けた。

そういうこっちゃ、と言うと瀬戸はにやりとしてリュウの肩を叩いた。そして男同士の緊張したやり取りに怯えた顔をしたもと子に微笑みかけた。

「リュウがこんなに言うてんねん。津田がもとちゃんに悪いことは、ようせえへんわ。もしなんか変に思ったらリュウに言いや。俺も乗り出すから。任しとき。」

もと子に大丈夫、と軽くウインクした。

顔を強張らせたまま大きく深呼吸すると、もと子はリュウに目を合わせて頷いた。そして津田に向き直り、津田の目をしっかりと見た。

「あ、あの報酬って、どうしたら,,,私、お金無いんです。」

もと子の言葉に津田はフフッと笑った。

「もと子がお金無いのは、わかりきってる事やんか。成功報酬に全部含める。成功でけへんかったら、タダや。安心せいや。」

津田の言葉にホッとしたもと子はうなずいた。

「わかりました。津田さん、ではよろしくお願いします」

「わかってくれたらええねん。これにサインしてハンコ押してな。」

もと子がサインし、押印した契約書を受け取ると津田は控えをもと子に渡し、契約書をブリーフケースに入れた。

「今から、俺がもとちゃんの代理人や。相手の代理人の連絡先わかるか?もとちゃんは何を言われても代理人の津田に任せてるから津田に言ってと言ったらええ。相手せんでええからな。というか、相手したらアカン。なんかあったらすぐ俺に連絡しろ。呼び出されても、もと子は行くなよ!しゃべんなよ!」

津田は初めこそニコニコしていたが、最後は怖い顔をして言い放った。

「…は、はい。」

「リュウ、担当の刑事の名前と連絡先教えろ。コピー出来たら一緒にその刑事のところにすぐ行くから、俺に連絡しろ。」

「わかりました。担当の刑事さんは神楽さんという人で、電話番号は…」

「なんや、神楽?瀬戸、あの神楽か?」

津田は瀬戸の方を振り返った。

「そういうこと。」

「知り合いですか?」

「俺と瀬戸と神楽は高校からの腐れ縁や。」

津田は苦虫を噛み潰したような顔をし、瀬戸は面白そうにクックッと笑った。

「神楽やったら、俺から連絡する。お前は早よコピー作れ!」

「わかりました。今すぐ。」

リュウは急いで立ち上がり、もと子に微笑みかけた。

「もとちゃん、契約も終わったし、そろそろ行こうか。」

リュウは、まだ雰囲気にのまれて緊張しているもと子を促して、ビルの外に出た。

リュウは真面目な顔をして、もと子に声をかけた。

「今日はお疲れ様やったね。これからもなんかあったらなんでも言うてな。津田さんに言いにくい事があったら、俺から伝えるからな。一人で抱えたらアカンで。」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。」

「こんな事になったのは俺の甘さのせいやから、俺はもとちゃんを守る責任があるねん。だから遠慮せんといて。頼むから。」

「リュウさんのせいなんて、そんな事、全く無いです。リュウさんが居てくださらなかったら,,,だからそんな事言わないで下さい!」

もと子は驚いた顔をした。

「もとちゃん、ええ子やなあ。」

リュウはもと子の頭をヨシヨシと撫でると微笑んだ。

「このピンチ、一緒に乗り越えような」

リュウは強面の顔を綻ばせ、優しく微笑んだ。



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