第10話 切っても切れぬ縁ならそれは呪い。

 トラバルトが目を覚ました時、既に陽は高く、昼頃なのは明白だった。


 ……寝過ぎたな。やれやれ、まったく悪夢みたいな一日だった……。


 突っ伏していたウィサーダから、のっそりと身を起こし、ぼやけた意識を覚ますために眉間を揉んだところ──悪夢の続きが視界の隅に映った。


『ぷすー、ぷすー』と気の抜ける異音を放って上下しているそれに、深い溜め息が溢れる。


 やはり……ボロ箱は消えていなかった。自分が呪われているのは、紛れもない現実だ……。


「おい……起きろ。今日は町に行って、攻略の準備を調えるぞ……」


「んぁ……!?」


 寝息を立てる宝箱を開けると、中でちっちゃく丸まったグリシャルディ悪夢の鼻ちょうちんが弾けた。勝手にし舞い込んだらしい毛布には、涎の跡がくっきりと残っている。


「……なんじゃあ……まだ陽が高いではないかぁ……」


「……陽が高くなければ、いつ動くんだ……。ほら、起きろ……」


 宝箱の上蓋を掛け布団みたいに閉じようとするのを止め、起床を促す。渋々と身を起こしたグリシャルディの伸びは、野良猫みたいにふてぶてしいものだった。


 すっかり夜風が冷たくなった頃に帰宅し、寝床へ早々と倒れ込みたかったトラバルトに、『ここ、廃墟……?』と抜かしてきた割には十分すぎるぐらい順応しきっている。もっとも、グリシャルディに遠慮を望むなど、到底不可能だろうが……。


「のう、伯爵……」


「……なんだ?」


「妾は──腹が空いたぞ!」


 ほんっと、ふてぶてしいな、コイツ……。野良犬だって『おい、飯くれよ!』とでも喚けば、おこぼれを貰えない事ぐらい弁えているだろうに……。


「その前に湯浴みをしてくるかのう! 朝風呂こそ、女王たる妾に相応しい贅沢じゃからな!」


 そう言うや否や、連れてけとばかりにグリシャルディは『ん!』と顎をしゃくったが、そんな態度でトラバルトが運んでやる訳もない。


 二の腕に青筋立てて宝箱を掴むと、ハンマーム浴場目掛けて、氷上を滑るかのようにグリシャルディは廊下の闇へと消えていった。


〈ボッロ! なんじゃあこれは! ラビリンスにでも繋がっておるのか、ここは!?〉


 視界から消えても、まだうるさい……。うっすらと身体から生じた呪いの鎖は、距離を測る上で、ある意味便利だ。完全に現れるぐらいの距離ならば声も届かなくなるだろう。それなら朝食を兼ねた昼食の準備も捗るというものだ。


〈おーい、伯爵ぅ! この浴場とは言い難い独房──! 妾の好みに作り替えておいてやるからなぁー!〉


 ……なに? なんだと!? 手にしていた鉄鍋とサモワール給茶機を落とし、トラバルトは大急ぎで浴場へと走った。


「何をする気だ貴様ぁあああ!!」


「ヌワァアアア!? 何をしよるんじゃあ、キサマァアア! とっとと出ていかんか、コラァー!」


 勢いよくハンマームの扉を開けたトラバルトに、衣服へ手を掛けていたグリシャルディが激昂の叫びを上げて、金貨の力をぶつける。またもや無駄に金貨が消費され、互いの願いが遠ざかっていった。


〈馬鹿! 下種! 阿保! 痴れ者! 妾と繋がっておらなんだら、消し飛ばしてやったところじゃぞぉ!?〉


 意識が消し飛びそうになりながら、トラバルトは扉越しの文句を聴いた。盛大に後頭部を石壁に打ち付けておきながら生きているのは、鍛え方がとんでもないからと言う他無い──消し飛ばしてやりたいのは、こっちだバカ野郎! 


 ……地鳴りと共に轟音が響く浴室。これに再び手を掛けるという気力は、既に無くなっていた。一室作り替えるぐらいなら、諦めてしまった方が精神的に穏やかでいられるという暗い慣れすらある。


 後でどうとでもすれば良い……。そう諦めて踵を返すトラバルトだったが、確かにこの住まいは御世辞にも──というか御世辞がイヤミになるぐらいには──人並みと言えなかった。


 壁は風通しというよりも吹き抜けており、天井は日を取り込むどころか直射である。家具も使い込んだ物というより、酷使されているといった具合で、家財に口があれば『殺してくれ』と懇願されるだろう。


 それもこれも、全ては両親が家の金を持ち出して『第二の人生、まだまだこれから!』と少年期に行方を眩ませたからだ。


 当時のトラバルトは家の手入れをするどころか、満足に食べていくだけの金すら無かった。無論、雇っていた使用人に払える給与など逆立ちしたって出てこない。


 それでも少年であったトラバルトは、同情や人としての情けといったものを期待していた──世間知らずだったために。


『じゃあ、退職金だけは貰っていくから……』──と、使用人達は一様にそう言って、少年から明日食べていくだけの金すら毟っていった。親が親なら、雇われた側も側である。情けどころか、人としての血すら通っていない。


『ちょっと待ってくれ! お前達に同情の心といったものは無いのか!?』


『離せや、クソガキ! そんなもんで腹は膨れねぇーんだよ! お前の靴に舐めるだけの価値が出来てから出直してこいや!』


『お前ら退職金の話が出るまで『うへへ、坊っちゃあ~ん』とか、へりくだってたじゃねぇーか!!』


 十も半ばの歳に世間──といっても局所的に狂った世間であるが──その厳しさを知ったトラバルトは当然としてのだった。


 そのうえ、父が辺境伯として任命されていたのも後日に知り、『代わりなんていないから、息子である君が引き継いでね』と王族に申し付けられ、ますますひねくれていった。


 今にして思えば、両親はラビリンスを見つけてしまい、『こいつはやべぇ』と考えて逃げたのではないだろうか……。息子という都合の良い代わり身も居た事だし……。


 そうして、ラビリンスが有る領土の主となったトラバルトだったが、そんな危険極まる土地に人が根付く訳もない。


 領民達は訊いてもないのに『此処が産まれ育った土地だから……』と、やたら気の良い事を言って来た翌日には、風に吹かれた砂の如く夜逃げしていた。領主であった者が領主だっただけあって、領民も領民である。蜃気楼だって、もう少し現実味のある誤魔化し方をするだろう。


 斯くして広大な土地に独り残されたトラバルトは、怨嗟と憎悪を糧に、ラビリンスから出現する魔物を撃退して日々食いつないでいった。そうせざるを得ないと覚悟を決めたのは、『ここをキャンプ地にしようぜ!』とか抜かすオークが家に入り込んできた瞬間の事であった──。


 ──そういった経験から、トラバルトにとって魔物とは自分の食い扶持であり、同時に初見から自分を舐めりくさってくる憎っくき相手だった。討伐されても文句を言われる筋合いなど無いだろう。


 なのに今は、その一部である魔者に──呪われてしまったうえ、舐められている。


 それは、こうなる数日前の自分からすれば耐え難い苦痛であり、自己嫌悪に陥ったっておかしくない。自害する事だって、選択肢として充分あり得るだろう。


 しかし、そうしなかったのも、こうして冷静になった今、莫大な金貨を得て誰も彼も見返してやれるのではないかと思い付いたからだ。


 自らを女王だと嘯くアホではあるが、ラビリンスという魔宮に挑むのに、魔に属する者を連れているというのは大きな利用価値がある。


 ラビリンスを攻略し、呪いが解けた暁には、ラーザニルから使い切れぬだけの恩賞が与えられるだろう。それを元手にこの土地を再興すれば、どいつもこいつも頭を下げに来るに違いない──少年期に培われた恨み辛みは、トラバルトが大人となった今でもドス黒い炎となって性根を焼いていた。


「ふぃー! さっぱりしたぞぉ! やっぱり朝風呂は最高の贅沢じゃなぁ!」


 憎悪の炎を焚き付けるグリシャルディが、ホコホコとした様子で帰ってきた。さっさとおさらばしてしまいたいところだが、利用できる内は面倒を見てやるしかないだろう。


 ……ん? 帰ってきた……? 自力で……か……?


 ピタパンを盛った鉄皿から顔を上げると、眼前に──ゴーレムが居た。それも、これ見よがしに金ピカで品の悪い俗物的な魔物が──。


「喜べ伯爵! 石材は換金して、浴場を作り替えても余りある価値じゃったぞ! 腐っても貴族の家じゃなぁ! こうして上位の魔物まで創り出せたわ! ヌワーハッハッハッ!」


 ゴーレムの掌に乗ったグリシャルディの高笑いを茫然と聞きながら、鉄皿をゆっくりと絨毯に置いた。腰と額に手を当て、内面にある暗い炎へ向かって深く息つくと──トラバルトの怒りは、凄まじく燃え盛った。


「貴様ぁあああああ!! 性懲りもなくまた魔物を召喚したのかぁああああ!!」


 しかも自宅で。領土での召喚も度し難いものがあったが、住まいともなれば激昂というお釣りがくる。


 緩く波打った毛髪が、逆立って見える程の気迫に、流石のグリシャルディも『ひょえ!?』と上擦った声を溢した。宝箱の縁から、目だけをこちらに覗かせながら。


「し、仕方ないじゃろうが! 妾は自力で動けんし、お主は呼んだら迎えに来る素直な従僕ではなかろうが!」


「誰が従僕だ! 降りてこい、アホ!」


「嫌じゃねー! 妾の事を酷い目にあわせる気じゃろうが! お主の魂胆など透けて見えるわ! バーカ!」


「引き摺り下ろすぞ!! そうなれば只では済まさんからな!!」


「じゃったら絶対に降りたりせんからなぁー! 此処から悔しさに歯噛みするお主を見下ろしてやるわー! ほーれ、高い高ーい!」


「ウォオオアァアアアッッッ!!」


 ゴーレムに命じて、より高く持ち上げられたグリシャルディが、高慢にふんぞり返るのを黙って見ていられるトラバルトではない。


 その鼻っ面をへし折ってやるべく、家の修繕に使用していた大型ハンマーを裏庭から持ち出して来た──奇声と共に、ご自慢の馬鹿力で振り回しながら。


「そんな物騒なもん持ち出して、何をする気じゃ!?」


「叩き! 落とす!! このゴーレムを打ち倒して、強制的に下ろしてやる!!」


「そんな事をしたら妾が只では済まんじゃろうがぁ!」


「只では済まさんと言っただろうがぁあああ! それが嫌ならコイツを消せッッッ!」


「いーやーじゃー! 折角便利な魔物を召喚したんじゃぞ!? 妾の快適な生活に、こやつは欠かせんじゃろうがぁ!」


「知るか! 消せッ! コイツを金貨に戻せ!」


「嫌じゃ!」


「消せッ!」


「嫌じゃあ!」


「消せぇッ!」


「嫌じゃああああ!!」


「消せぇええええ!!」


❮──僕ハ……イラナイ、子ナノ……?❯


「「!!??」」


 叫びあっていた二人は硬直し、第三の声を上げたゴーレムに、驚愕の視線を移す。


 え……コイツ……しゃべ──。


「!? え!? 喋りよった! こやつ、喋りよったぞ!?」


 なんで創ったお前まで驚いてんだよ! 何処から放ったのかはともかく、ゴーレムの声は痛ましく、悲しみに満ちていた。まるで、誰からも必要とされていない子供みたいに……。


「……あ、いや……お前が持ち上げているそれを下ろしてくれれば良いんだ……」


「う……うむ、もう下ろして良いぞ……な?」


 ゴーレムには眼も口も無い筈だが、石清水の如く濡れた跡が金の肌にあった。グリシャルディをゆっくりと優しく下ろした後、ゴーレムは怯えて縮こまる様に膝を抱え込む。


「……その……驚かせて悪かった……。……本気ではなかったんだ……コイツを下ろすための方便というか……」


「……うむ。妾もついつい、戯れが過ぎてしまって、済まんかった……その方をどうこうするという気はないから……のう……?」


「あ……ああ……」


 グリシャルディに同意を求められ、流れで頷いてしまった。討伐対象と決め込んでいた存在に、まさか胸が痛む思いをする日が来るとは……。


❮僕ハ……此処ニ居テモ、良イノ……?❯


 上目遣い──眼など無いのだが──そうとしか見えない仕草をするゴーレムに、トラバルトは全力の笑顔で応えると、ハンマーを部屋の彼方へと放り捨てた。


「勿論だ……! 自由にしてくれ……! 此処が君の家だ……!」


 普段のトラバルトなら決して見せない寛容さに、グリシャルディが怪訝な顔をする。誰のせいで、こんな真似をさせられているのか。


 家族として認められたゴーレムは──認めざるを得なかったのだが──金色の岩肌を嬉しそうに輝かせ、庭へと遊びに行った。


 ……どうすんだよアレ……。


「……一件落着じゃな! でかしたぞ、伯爵!」


「黙れ……庭に放るぞ……」


 ポンポンと背中を叩いてくる元凶を、思いっきりブン投げてやりたかったが、それで再びが拗れてしまっては困る。


 トラバルトはくっついてくるグリシャルディを共に、一つの面倒は見ないと決めて食卓に腰を下ろした。手料理は何時もと変わらぬ出来映えだったが、ボロ箱に収まった幼女と、庭で遊ぶゴーレムという異様な光景だけは何時もと違う。……なんだこれは……。


「これまた、貧相な朝餉じゃのう~。妾のように口が肥えた女王に合うとは思えんが……ヌハハ!」


「……貴様──」


 トラバルトが何かを言い出す間も無く、グリシャルディはピタパンにフムス豆のペーストシャクシューカトマトソースをたっぷりと塗り付け、早々にそれを頬張った。


「!! え、ウンマァ! これいぞ! やるではないか、お主!」


 リスみたいに頬を膨らませながら、グリシャルディが目を丸くして感心する。それに思わぬ喜びを得たトラバルトは、汚ならしい笑みを浮かべて皿を突き出した。


「──腹一杯食えよ!」


「うむ! 意外な取り柄があるものじゃなぁ! 見直したぞ!」


 舐めりくさった態度への怒りも他所に、トラバルトは次々と料理を勧め、食後にはなんとマラミーヤセージのお茶まで煮出してやった。


 承認欲求が凄まじいだけあって、一度煽ててられると、チョロいまでに甲斐甲斐しい。実に手玉として扱い易い……男であった。


「ふぃ~……満腹じゃあ……。封を解かれてから、一番良い心地であったぞ……」


「……そうか……フッ、フフ……まぁ、少し休んでから、ラビリンス攻略の手筈を調えるとしよう……」


 気色悪い薄笑いをしながら、空になった鉄皿を重ねてトラバルト主夫は運ぶ。ぽっこりと膨らんだ腹部を怠惰に擦りながら、仰向けになっているグリシャルディに向けた眼差しも、どことなく優しい……きっしょ。


「……ラビリンス……?」


 満足しきったグリシャルディが、小首を傾げながらと呆けた事を抜かした。流石にこれには上機嫌なトラバルトも笑みを消して、流しから厳めしくなった顔を上げる。


「……貴様マジか……?」


「……お? おぉ……! ラビリンスな! う、うむ、忘れてなどおらぬぞ! 断じて、わ、忘れてなどおらぬからな!」


 しどろもどろに茶を啜りながら、下手くそな口笛も交え始める。コイツ……自分が気楽な生活を送れれば、【黄金宮】の復興など、実はどうでも良いのではないか……?


「──貴様! このままグダグダ生活するなど許さんからな! とっとと町に出るぞ!」


「えぇ!? 食事を終えたばかりじゃろうが! 食休みをせんと……ほれ、健康に悪いし……」


「やかましい! 引き摺られるだけの貴様に健康もクソもあるか!」


 ひっくり返りながら絨毯に爪を立て、『嫌じゃ! 嫌じゃ!』と抵抗するグリシャルディを呪いの鎖で引っ張る。往生際の悪さは獣医のもとへ連れていかれる猫にも匹敵するだろう。


「昼からでも良いじゃろうがぁー! 昼餉を終えてからでも時間はあるじゃろうがぁー!」


「あれだけ食って昼飯も食うのか貴様!? どうせ昼寝させろとか抜かすんだろうがぁ!」


「ぬわぁあああん! ゴロゴロしていたいのじゃああああ! ゴーレム! ゴーレムゥゥウー!」


 絨毯ごと本音と一緒に引き摺られていく創造主の傍ら、被造物であるゴーレムは❮オ花……キレイ……❯と風に揺れる草花を愛でていた。既に創られた存在は、主の手から離れている。


 創造の間柄にない筈のトラバルトとグリシャルディだけが、厄介な結び付きに振り回されていた。

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ミミック&アニバーサリー 御笠泰希 @oldcrown

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