05・幕間:A氏と文章の流儀
今回は箸休めの幕間です。
もう幕間かよ! はええな!
うん、すまない。ここはバーボン何とか。
それはともかくとして。
父の古い友人が、遠方にいます。その人――仮にA氏とします――はかつて小さな会社、というか事務所のようなものを持っていたようです。
そしてA氏は、大変に文章の上手い人です。
文章とはいっても小説のようなものではなく、あくまでもビジネス文書とか企画書といったものでした。しかしいずれにしても文才というかセンスがあり、それによって積み重ねてきたビジネス文書の経験の多さも、現在の私を大きく超えるレベルです。
私も折に触れて、機密に至らない程度にA氏の文書を読んできましたが、やはりビジネス文書にかけては、A氏が何枚か上というべきでしょう。
小説については? 私のほうが上だと思いたいです。
ただ……経験値の違いは私のような未熟者でも分かるのですが、それでも、このようにも思うのです。
この差異には、流儀の違いも大きいのではないかと。
流儀というか流派でしょうか。いや、師弟関係の系譜があるわけではないですが。
ともかく、そういった、文章についての流儀、書き方の根本的なスタイル、セントラルドグマなどと呼べるものが、私とA氏とでは大いに違うのではないかと、そう思うのです。
句読点をどのように打つか。文章構造をどう組み立てるか。内容をどちらへ差し向けるか。漢字の開き具合。平易さの方向性。
一つ一つは細かい感覚、末節の在り方ではありますが、それらが束になって流儀と呼びうるほどに体系化されたもの。それがやはり、異なるといわざるをえない。
繰り返し言いますが、腕前も経験もA氏が間違いなく上です。しかしその上下は、同じ流儀流派で比べたものではない。
文章力というものには、単純な上下のほかに、流儀の違いも介在する。読む側の流儀というかセンスと語彙も絡むので、一律的な上下はなかなか確定しがたい。私とA氏とでは、小説以外で比べるなら、明らかにA氏のほうが上ですが、しかしそこまで断定できるケースは稀なのでしょう。
だから小説も、文章力というものは気にするだけ無駄です。
……とでも言うと思ったか! ハハハ!
このエッセイを通じて私が手探りしているのは、あくまで「たくさんの『PVと評価を得るため』の、『小説』」の文章です。
どんなに流儀の違いを言い立てようとも、読者の数などがそんなことはお構いなしにランキングという形になる。
つまり正解の流儀、客観的な力の水準は、その目的の限りではどこかに存在するはず。その目的を捨てない限り、私はそれを追求しなければならない。流儀云々で相対化することは許されていないのです。
流儀の頂を追い求めることと、集客できる文章を探究すること。
この二つはきっと違うもので、私は野心を維持する限り、後者でなくてはならない。
いやーつれーわー。ホントつれーわー。
オチがついたところで、今回の幕間は終わりとします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます