第15話 冒険者ギルド 再び

 今日は本当に長い一日だった。

 

 スペアリブに摺り下ろした生姜を馴染ませながら、思わず溜息が漏れる。


 「ねーねー、ファン~」

 「ん?飯ならもうちょい待っててくれ。クロム帰ってきてないし」

 「うん。だいじょーぶ。ぼく待てるよ。そーじゃなくてさ」


 宿のキッチンは、俺とヤクモしかいない。

ユーシンは庭で槍を構えたまま静止している。


大鍋に水を汲んで竃に置いた後、お手伝い終わり!と、槍を担いで庭に出ていって、そのままだ。

 その鍋の水がふつふつ言い始めているが、開けっ放しのドアから見えるユーシンの姿勢は庭に出た時と変わらない。


 構えた槍の穂先も震えることなく止まり、月光を宿してしっとりときらめいている。


 庭で一夜を過ごす野宿組も、今日はいるかもしれないキッチンの床借りも、もっと夜が更けるまではどこかの酒場で管を巻いているんだろう。

 安酒一杯と一切れのベーコンとパン。それでテーブルと椅子はとりあえず確保できる。

 土間に座ったり、庭でマントを敷いて転がるよりも居心地はいい。

 キッチンのテーブルと椅子は、床借りは使っちゃいけないからな。


 もし、一人でもここキッチンに床借りがいたら、宿の主人もじっとりと椅子に座って様子を見ているし、床借りがいる夜は完全に家具が撤去される。

 なんでも昔、テーブルで寝たやつがいて、脚が折れて以来片付けるようになったのだとか。


 「あの女の子さ、ちょっとかわいそーだったねぃ」

 「うん。周りにろくな大人がいない感じだったな」


 アスランに対する悪印象も、恐らく彼女が自分で何かを体験して持ったものじゃない。


 いや、今日の出来事で印象最悪になった可能性は高いけれど。


 多分、彼女の身内…母の祖国がフェリニスといっていたし、そちら側の親族が吹き込んだものだろうな。

 それはまあ、ご家庭の事情だし、責めはしない。

 うちの親父も若いころ放浪したカーラン皇国南西部であったことを良く俺たちに話すから、俺も微妙にカーラン南西部出身と言われると身構えてしまう。


 だけど、女の子の肌に消えない刺青を入れるのは…あまりにも、酷い。


 「クロムに口喧嘩うっちゃったしねぃ。もーすこし、優しくしてあげ…るわけないか。クロムだし」

 「クロムだしなあ」


 まあ、しかし。

 「あそこにいたのが俺とクロムでよかったよ。兄貴とそのスレンだったら、アスラン野蛮人説が裏付けられるところだった」

 「えええ?おにーさん、羊生で食べるのぅ?!」

 「それはない。アスラン人に羊を生肉を食う習慣はない!」


 馬や牛なら生で食う料理もあるけれど、羊はちゃんと火を通さないと危険だしな。

 第一、しっかり火を通して脂が滴るくらいが一番旨いのに、なんで生でなんか食べなくちゃならないんだ。


 羊は塩茹でか塩蒸しが最高の調理方法だ。

 もちろん、異論は認める。

 俺の知らない美味い羊料理がほかにあるかもしれないし。


 ああ、羊食べたいなあ…。


 アステリアで買うと高い上に美味くないんだよ。

 食べている草の差なのか、種類の差なのか。

 アスランの羊よりも顔が細いから、別の種類であるのは間違いないけれど。


 「じゃあ、なんでー?あ、血塗れの皮をかぶる方?」

 「それもしないって」

 兄貴がそんな奇行に走ったら、すぐさま医者に見せて、親父に兄貴の仕事を減らすように猛抗議するわ。


 まあ、危ない人って意味なら当たらずとも遠からず、かもしれないけれど。


 「兄貴なら、あの子が『アスラン人には神の加護はない』って言った瞬間、首刎ねてる」

 「え…」

 「刎ねた後、『貴公にもなかったようだな』って言って、何もなかったかのように立ち去ると思う」

 「こわいよ!?それ、ほんとうにやるの!?」

 「やるよ。以前に似たような状況でやってるし。その後、『女性だから一撃で首を落とした。男なら、腹を裂いて泥を詰めるところだ』とか言ってたし、本人としては優しく…?しているんだと思う」


 そんなのを見たアステリアの人たちは、アスラン人ってやっぱりアレだな…、と認識を新たにしてしまうだろう。


 「おにーさん、いろいろと大丈夫なのぅ!?」

 「一応、敵意とか殺意を向けたり、アスランを侮辱しなければ害はないから。ただ、敵と見做すまでの時間が異常に短いだけで」

 「それ、ただの短気なひとだよねぃ?!」

 「短気…じゃあないんだよなあ。むしろ気は長い方だと思う」

 「十分短いよ?!」


 ヤクモの反応は、まんま今日、大神殿にいた人たちの反応だろう。


 平和が長く続いた場所では、いきなり人の首が飛ぶなんてそう目撃するものではない。

 大都でだって、そんな凶行が行われたら大騒ぎになる。


 ただ、大都でなら、「うちの兄貴」が「アスラン人をひどく侮辱されたので」首を刎ねたのだと判れば、悲鳴が拍手喝采になるけれど。


 「あの子、洒落にならない相手にやらかす前に痛い目を見て、良かったのかもな」

 「ファンのおにーさん、そんな簡単に出くわすの?」

 「いや、うちの兄貴じゃなくてもさ、お前らは野蛮人だ悪魔だって言われていい気はしないだろ?

 首を即刎ねるのはうちの兄貴くらいだろうけれど、ひどい目に合わせてくるのは普通にいるぞ。

 基本的にアスラン人は言葉で抗議するより先に手が出る人の方が多いしな」


 アスラン人じゃなくても、いかにも世間慣れしていないような女の子が喧嘩の大安売りをやっていたら、進んで買いに行く輩はいるだろう。

 そういう連中に捕まれば、ただ死ぬよりひどい目に合う。


 「んー、そうだねぃ。あの子も騎士様も、自分で思ってるより強くないみたいだし」

 「試合でなら強いんじゃないかな。最後の踏み込み抜刀はいい感じだったと思う」

 「あれ、ふつーにファン避けられたでしょー?トカゲの突進のが早いよぅ?」

 ヤクモめ…そのニヤニヤ笑い、クロムそっくりだぞ?そういうところ見習わなくていいのに。


 「後ろにウィルさんたちがいたからだよね~?」

 「いや、クロムなら止めてくれると思ったからさ」


 斬らなきゃいけないほど、両者の実力差は小さくなかった。

 きっと、抜刀せずに止めてくれると思ったから、そのまま立っていられた。

 うん。俺の守護者スレンは頼れる奴だよ。本当に。


 「よし、下拵え完了っと」


 摺り下ろした生姜を塗り込んだ肉を、フライパンの上に敷いた皮つきジャガイモの上に載せていく。乗せ終わったら、今度を蕪を肉の上に。

 仕上げに塩水を流し込んで、蓋をして、と。


 あとはガンガン熱して蒸し焼きにすれば、マハ・ホルホグの出来上がり。


 肉の蒸し焼きっていうそのまんまな意味の料理だ。

 味付けは単純に塩だけ。だけど、こだわりの岩塩は仄かな甘みさえ感じる。

 肉と野菜から染み出す旨味は、この塩味が一番引き立ててくれると思う。


 焼く料理なら胡椒も悪くないと思うんだけど、値段の割にこういう蒸し料理にはイマイチなんだよな。やっぱり塩が調味料としては最高だ。


 アスラン料理は基本的に塩で味付けするけれど、大都では大陸各地の調味料が売られ、完全に定着したものもある。


 唐辛子もそうだし、他にはヒタカミ諸島から伝わってきた醤っていう半ペースト状の大豆の塩漬けや、これから使うメルハ亜大陸のマサラもだ。


 マサラはいくつもの調味料を調合したもので、料理によって専用のマサラがある。

 でも、俺たちアスラン人からすると、マサラはマサラ味だ。

 食べ比べれば違いが判るけれど、全部「あ、マサラ味だな」って感想になる。


 今回使う粉状のものと、ブロック状のものがあって、ブロックの方は油やなんかも入っているからより簡単にマサラ料理を作ることができるし、うまい。

 

 忙しいご家庭でも簡単にできて、分量さえ守れば失敗知らず!お子様も大好きでお母さんにっこり!と言う料理だ。

 あと、とにかく簡単なんで、普段は料理をしないお父さんが作る料理、と言うイメージもある。


 とある商会がそうやって宣伝したのが根付いた結果だ。

 今日は父がご飯作っちゃうぞー!と腕まくりをするお父さんが描かれた宣伝用の看板は、大都に住んでいれば必ず見たことがあるだろう。


 いくつかの商会でマサラブロックを扱っていて、それぞれちょっと味が違う。

 この味の差は優劣ではなく好みの問題なので、決してあの商会のマサラブロックはただの泥だなんて言ってはいけない。よろしいならば決闘だ、となってしまう。

 

 残念ながらこのマサラブロック、あまり日持ちがしない。なので、俺が持っているのはマサラ粉だ。こっちでも十分うまいし、アレンジは粉の方が効く。

 一度、マサラブロックをイシリスで見かけたことがあるけれど、恐ろしい値段がしたんだよ。

 大都なら銅貨20枚くらいなんだけど、小銀貨50枚の値札が付いていた。運んでくる途中で傷んでいるような気もするんだけどなあ。

 

 基本的には、ブロックも粉も、肉や野菜と煮込んで米にかけて食べる。

 あー、考えてたら米を食べたくなってきた。

 米、売ってるのも見たことないんだよなあ。

 まあ、アスランでも輸入に頼っている穀物だし、アスランよりは南にあるアステリアでも育たないんだろう。


 「あ、その袋、おいしい奴だ!」

 「覚えてたか?マサラ粉だぞ」

 今回、これで作るのはツォイパ・マサラ。麺料理だ。


 マサラは米にかけて食べるのが基本と言っても、それ以外じゃ不味いのかと言われれば、断じて違う。

 麺でも芋でもあうし、とりあえずこれで煮込めば大抵のものは美味くなる。


 出かける前に捏ねて捏ねて休ませておいた生地を薄く伸ばし、小麦粉を振りかけて折りたたんでいく。

 何層かの塊になったら、包丁で素早く切っていけば、ツォイの出来上がりだ。


 これを柄のついた笊に入れて、沸騰している鍋に中に投下。


 茹で上がったらマサラ粉と炒めて完成だけど、まだクロムも帰ってこないし、ホルホグももうちょい時間がかかる。

 うーん、お湯を沸かすのちょっと早かったな。


 火の様子を見ていると、隣にヤクモがやってきた。

 目を細めて「あったか-い」と呟いている。


 確かに、開け放したドアから入ってくる風は随分と冷たい。

 ヤクモが座っていたのはドアに近い椅子だったから、余計に冷えたんだろう。


 「熱い茶でも飲むか?それとも牛乳あっためるか?」

 「んーと、んーと、牛乳飲んじゃったら明日のがなくなっちゃうよねぃ」

 「明日の朝買い足せばいいだろ。じゃあ、スーティ作ろうか」

 「うん!」


 スーティとは濃い目に淹れたお茶に沸騰した牛乳…アスランでは羊、馬、山羊、駱駝の乳も使うけど…を入れたもので、砂糖じゃなくて塩を入れて飲む。

 実家ではミルクティーと言えばこれで、こっちに来て初めてミルクティーを飲んだ時、味が甘くて驚いた。


 大鍋でぐらぐら言っているお湯を片手鍋に汲んで、そこに茶葉を削り入れる。


 アステリアで流通しているのは茶葉だけれど、アスランではお茶は四角く煉瓦のように固まっているものだ。


 これがお高いお茶になると、丸く円盤状に固められている。


 安い四角い方を団茶、高い丸い方を円茶という。

 茶葉はカーラン皇国やメルハ亜大陸でしか取れない重要な交易品で、本当に高級な茶葉になると掌に収まるほどの小壺(これも一級品の陶磁器だったり)で、金貨百枚とかになる。

 お茶は好きだけど、金貨百枚はないよなあ。

 団茶が一生分買えちゃうし。これで十分美味いし。


 俺がお茶飲むかーと言って取り出すのは、当然団茶。

 三つ持って来たんだけれど、最後の一個がもうあと半分ってところだ。

 まあ、冬至までは持つだろう。実家へ帰ったら、必ず買い足さなきゃ。


 お茶は沸騰したお湯ではなく、少し冷めたお湯で淹れる方が香りが引き立つのは分かっている。

 だが、スーティにそんな手間はかけない。ぐつぐつと容赦なく煮立てると、すぐにお湯が透明な黒に染まった。

 そうしたら火からおろして、茶漉しを通してマグカップに注ぐ。まだ少々小鍋にお茶っ葉が残っているけれど気にせず牛乳を入れて、これまた容赦なく沸騰。 

 吹きこぼれる直前に鍋を持ち上げて、岩塩の削りかすを投下する。


 木匙で混ぜて塩が解けたら、お茶に注いで完成だ。


 「ほい、熱いから気を付けて飲めよ」

 「うん!」


 ふぅふぅと息を吹きかけながら、ヤクモは慎重にマグカップを口に運んだ。

 ヤクモの育ったナハト王国では、お茶はたいそうな貴重品でほとんど飲んだことがないそうで、塩味のスーティにも抵抗はない。


 ナナイには塩味のミルクティーってだけでものすごい顔されたんだよな。


 たっぷり作ったから、湯気を立てるマグカップはあとみっつ。

 「ユーシンに声かけてくるな」

 「はーい!ぼく、ゆっくり飲んでるね!」


 ふにゃふにゃと目尻を下げながらスーティをすすっているヤクモの横を通って、ドアから身を半分乗り出す。


 とたんに鼻の頭を冷たい風が打ち据えた。

 こりゃ、今年は寒くなるの早いかもなあ。


 ユーシンは、まだ動いていない。

 遠くから見れば、彫像のようにも見えるだろう。


 冷たい風が橄欖色の髪を揺らし、帯の先を靡かせても、槍の切っ先は揺るがない。


 やってみるとわかるけれど、動かないっていうのは動きっぱなしよりきつい。

 キリクの槍術の極意の一つが、この不動の姿勢なんだそうだ。


 「おーい、ユーシン」


 俺の声が夜の庭に響いたのと、閃光が走ったのが、ほぼ同時だった。

 じっと両手で槍を構えていたユーシンの姿勢が、右手で槍を突き出し、大きく一歩踏み込んだものに変わっている。


 「…ダメだな!」


 「なにが?」

 くるりと槍を回し、肩に担いで、ユーシンは眉間と顎に皺を作った。


 「トールにいなされた!」

 どうやら、うちの兄貴を脳裏に描いて一撃を叩き込んだらしい。


 「当たらなかったか」

 「剣の腹で滑らされて体勢を崩された。槍を引き戻す前に、脇の下から右手を斬り飛ばされた」

 随分とリアルな想像だ。そこまで自分が負けるところを正確に想像しなくていいのに。

 そう思うけれど、これを出来るかどうかが、強くなる差なのかもしれないなあ。負け方が解っていれば、次は気を付けようと思うのものだし。


 「もっと速く動けるようにならねばな!」

 「腹が減ってるから動きが鈍ったのかもしれないぞ?」

 「む!それはある!」


 ユーシンを先に中に入れて、振り返る。クロムの姿も気配もない。

 仕方ない。帰ってきたらスーティ淹れなおしてやるか。


 俺も中に入ると、ユーシンがマグカップをじっと見つめていた。

 キリクではこれにさらにバターやウルム…乳をあっためるとできる膜を厚めに作って冷ましたもの…を入れて飲む。

 飲み物と言うより、スープの位置付けに近い。


 キリクやクトラでも茶葉は輸入品だ。


 だけれど、人が生きるのに必要なものとして必ず上げられる。不作などで民が困窮すると配られる配給品は、大抵、大豆と蕎麦と団茶だ。


 「ユーシン、飲んでていいぞ」

 「ありがたく!イダムよ、ターラよ!照覧在れ!」


 さすがにユーシンでも、さっきまで煮えたぎっていた茶を一気飲みはしない。

 冷え切っているだろう両手でカップを包み込むように持ち、ゆっくりと口をつける。


 肉に火が通る良い匂いがほわほわと室内を満たし始め、それが食欲をせっつく。

 スーティを口に含んで宥めて、明日の予定を考えて、胃の訴えを誤魔化そう。


 まずはギルドに顔を出して、依頼の受理。ナナイのと、バレルノ大司祭のと、両方ともに。


 その後は市場で買い物をして、午後は保存食づくりだ。

 一月くらい前に実家から手紙ともに届いた干し肉ボルツがあるから、主食を作ろう。大麦を炒ってはったい粉ツァンパを作っておくかな。

 バター油シャルトスは未開封のがまだあるし、あれも持っていこう。


 最近は夜になるとかなり冷える。山の中ならなおさらだ。体温を下げないために、体が温まるものを持って行った方が良い。

 団茶も忘れずに荷物に入れないとな。


 着替えは、下着、靴下を入れて最低でも2セット。

 雨が降ったら、濡れた服を着たままでいれば命にもかかわる。

 多少荷物が多くなっても持っていくべきだ。雨具も必要だな。


 あとは虫除け。秋の山は夏よりも質の悪い虫がいるから、気を付けないと。


 そんなことを考えながらスーティを口に運んでいると、頬をひやりとした風が撫でた。


 「お。おかえり」

 「ああ、ただいま」


 ドアを後ろ手に閉めながら、クロムが入ってくる。

 少し顔が緩んでいるところを見ると、ちゃんとナナイに会えたんだろう。

 昔っから、クロムはナナイが好きだからなあ。


 「おかえりー、クロム」

 「茶が入っているぞ!まだ暖かい!」

 「おう」


 ユーシンがテーブルの上に置かれた、クロムのマグカップを指し示す。

 遅くなるようなら温めようと思ったけれど、まだ息を吹きかけないと飲めないくらいには熱いだろう。


 さらに顔を緩ませながら、クロムはスーティを手に取った。


 「ナナイに挨拶できたか?」

 「ああ。見送りはいらないと言っておいた」

 「そうだなー」


 まあ、朝早いし。付き合わせるのも悪いだろう。

 うんうんと頷いていると、クロムがにやりと唇の端を持ち上げた。

 とっさにヤクモが微妙に防御の姿勢をとる。


 「アイツの父さんにすれ違ったぞ」

 「えええ?」

 「店の前でな。まったく。自分の立場をわきまえない王族ってのは困ったもんだ」


 やれやれと肩を竦める。ニヤニヤしながら誰を揶揄しているんだか。


 「で、晩飯はまだか。さっきから良い匂いがしているし、ユーシンが野生に帰りかかっているぞ」

 クロムの指摘にユーシンを見ると、カップに口をつけたまま、じっとフライパンを見つめている。

 確かにその目は、獲物を見つけた餓狼のそれだ。

 よく見るとカップの縁を齧っているし。


 「ユーシン、めっ!カップは食べられないよ!」

 「ハラが…へった…」


 いかん。本気で野生に帰りかけている。


 とりあえず、麺茹でてツォイパ作ろう。

 大鍋に塩を入れ、お湯に沈めた柄付きの笊目掛けて麺を投下。

 箸でばらけさせたら、後はぶくぶくと沸騰するお湯に麺を任せる。


 上の方に浮いてきて、箸でつかんだときに弾力を感じたら、笊の柄を持って湯から引き上げる。

 あとは良く湯をきったら、まずは麺の茹で上がり。


 別のフライパンに、切っておいた蕪の葉とバターを投下して少々火を通しておく。

 頃合いを見て麺を投下し、さらにマサラ粉を投入。

 とたんにふわりとマサラの良い匂いが立ち上った。あー、食欲をそそるなあ。


 「ユーシン!ぺっ!ぺってして!」

 後ろで何が起こっているかは、ちょっと見ないことにしよう。


 麺が黄色く色付いてきたら、隠し味にドライトマトを細かく切ったものを振りかけてできあがり。


 フライパンの方も開けてみると、肉と脂の芳香が顔を覆った。

 肉をひとつ取り出して、ナイフで切ってみると、透明な肉汁があふれ出す。


 うん。火が通ったな。


 肉が浸るまで入れていた水は随分少なくなり、黄色く脂と混じって揺れている。

 これとさっき麺を茹でていたお湯を使って、明日の朝食を作ろう。


 味付けをしてスープにして、ジャガイモと小麦粉で団子を作ってそこに投下して煮れば、まあ、食えるものにはなるよな。


 床借りの人たちに下拵えをしたスープの素を飲まれなければ、だけれど。

 まあ、なくても俺たちは食べ物はあるし。

 なくなってたら、その時はその時。鍋を盗まれなければいいや。


 皿に取り分けたツォイパ・マサラの上に、スペアリブと野菜を乗せていく。

 ユーシンとクロムには慎重に同じ数になるように、ヤクモには小さめのを数を増やして。俺の皿には余りを。


 「よし、いいぞ。もっていけ~」

 声をかけた瞬間、鳶が昼食のホーショルを掻っ攫うような早さで、皿が目の前から消えた。


 しかし、よく考えたら、ユーシンなんか神殿でかなりのクッキー食ってたよなあ。

 なんで三日ぶりの食事みたいになってるんだ…とは思うけれど、いつもの事なので気にしないことにする。


 やっぱり、こいつを満足させるだけ外食なんて絶対にダメだ。

 クロムも酒をカパカパ飲むだろうし。しかも安い酒は飲まないし。


 火に灰をかけて消して、俺もテーブルに着く。

 皿を掻っ攫って行った割には、皆ちゃんと食べ始めず待っていた。


 肉の蒸し焼きマハ・ホルホグは、ナイフとフォークで食べるようなお上品な料理ではなく、手づかみで肉を持ち、歯で骨から切り離しながらかぶりつくものだ。


 もっと大きければナイフを使って持てる大きさにしながら食べるんだけど、残念ながらもともとちょうどいいサイズ。肉屋の若旦那に切り分けてもらったしね。


 「イダム、ターラ!」

 照覧在れまで言いなさい。

 一応二柱の神の名を叫んで、ユーシンは猛然と肉に食いついた。

 あっという間に、一本が骨だけになる。


 「おいしーねぃ」

 「肉から食っておけよ、ヤクモ。取ろうとするから」

 「うん!」

 ハフハフと肉に食いつくヤクモも嬉しそうだ。


 久しぶりに肉!って感じの肉を出したからなあ。

 クロムは無表情に見えるけれど、あれは肉と真剣に向かい合っているな。

 さすがアスラン育ちだけあって肉を食うのが早い。

 肉と骨の隙間に犬歯を差し込んで、び、と引っ張って外している。

 皿に置かれた骨には、欠片ほどの肉も残されていなかった。


 さて、見ているだけじゃなくて俺も食べなきゃな。


 肉を口に入れると、豚肉特有の甘い脂が口いっぱいに広がる。うん、旨い!

 一緒に蒸し焼きにしたジャガイモも蕪も、肉の旨味と塩を吸って何とも言えない甘味を生み出している。

 その甘みが残る口に、マサラ味の麺を入れると一気に辛みが広がっていく。

 そこにさらに肉を入れると…うん、もう、美味いとしか言えない。


 全員全力で食事に取り組んだせいか、いつもより(いつもも早食いだけど)食べ終わるのは速かった。

 麺の一本、肉の欠片も残っていない。野菜すら綺麗に平らげて、夕飯は終わった。

 三人の満足そうな顔に、調理担当として嬉しくなる。


 まあ、ユーシンは名残惜しそうに骨を齧っているけれど…食い足りないんか。お前は。


 明日も忙しくなりそうだ。さっさと片付けして寝よう。


 今日はいろいろあったし、風呂にゆっくり浸かりたいところだが、イシリスにある公衆浴場は蒸し風呂しかない。それもお高いので、いけて五日に一度ほど。

 あとは庭の片隅にある、馬が入っているところを一度も見たことがない馬小屋で、飼い葉桶に水を汲んでの沐浴で体を洗うのがせいぜいだ。


 アスランにも本来は入浴の習慣はない。

 だけど、うちは母さんが毎日風呂に入る国の人なので、俺たちにもその習慣が身についている。

 草原は乾燥するから、風呂に入ったら馬油を全身に塗らないと、すぐ肌がひび割れてしまうんだけれど。


 この仕事が終わったら、報酬は金貨だ。しばらく蒸し風呂とはいえ、風呂にも通えるな。


 そう思えば、仕事への意欲もわいてくる。

 冬に備えて全員分の下着と肌着を新調してもまだ余るんだ。それくらい贅沢に使っても構わないだろう。


 マルダレス山に巣食う『何か』。


 それについて、情報が少なすぎるのが非常に不安ではあるけれど、現地に行けば何かわかるかもしれない。

 生還者皆無な点から言って、群生であることは間違いないだろう。単体であれば、仲間が襲われている間に逃げ切ることもできる。


 それができなかった、ということは、犠牲者一人につき複数の敵に襲われたと考えるのが自然だ。


 だが、人間を襲うようなものが群生していれば、もっと目撃情報やなにかが流れてきそうなものだ。

 それがない、と言うことは、目撃者が全て犠牲者になっているか、もしくはそこにいても不自然ではない、目立たないもの、なんだろう。


 なんにせよ、麓の村で聞き込みは必須だな。少しでも手掛かりがあれば、解決策も見えてくるかもしれない。


 全員無事に、生きて帰らなきゃいけないんだから。


***


 「あら、ファン。おはよー。大神殿からの依頼書、きてるわよー」

 「おはようございます」

 翌朝。昨日と同じく、あいつらに朝食を食べさせたあと、冒険者ギルドに向かった。


 今日もいい天気だ。


 マサラ粉で下拵えをしたスープは案の定残っていなかったけれど、懐に余裕があるというのはいいことだ。

 クロムとユーシンが犯人を捜して半殺しにすることもなく、たっぷりの玉子とバターを使った玉子焼きと焼き立てのパンで機嫌よく朝食は終わった。


 二人が犯人探しをしなかったのは、あきらかに挙動不審だったのが、まだ子供と言っていいような年頃の少年二人だったからかもしれない。


 ちゃんと温めて食べられただろうか。冷たいまま食べて腹を壊していたりしないといいんだけど。


 「アンナさん、おはよーございますー!」

 「おはよう、ヤクモ。二人だけ?」

 「うん!」

 「アイツらには、今日はシーツの洗濯をやらせてます」


 一抹の…いや、かなーり不安があるけれど。

 クロムは、できるはず。軍でもやる作業だし。

 問題は、ユーシンがシーツを襤褸布に変えていないかだ。


 だが、きっとできている。ユーシンだってやればできる子なはずだ!


 「結局、関わっちゃったわねえ」

 「まあ、そういう風向きだったんでしょう」

 カウンターに行儀悪く頬杖をついたアンナさんが、猫のように笑う。


 「はい、依頼書」


 差し出された書類の一番下には、バレルノ大司祭の署名があった。ジョーンズ司祭の名前で依頼が来るかと思ったけれど…思い切ったなあ。


 「大司祭直々の依頼とはねえ。でも、聖女様の護衛じゃないのね」

 「そっちは、もう引き受けた人がいますからね」

 とはいえ、彼女は引き受けた護衛の依頼を続けるんだろうか。


 あれだけ打ちのめされたわけだし、護衛の依頼を辞退してもおかしくはない。

 実際、得体のしれない『何か』の巣食う場所の護衛としては…力不足は否めない気がする。

 まあ、だからこそ、危ないと判ればすぐ退けるかな。


 下手に腕に自信があると、撤退の判断を見誤るかもしれない。

 だけれど、依頼として受けるなら、それは許されない。ちょっと力不足でした、では済まない。

 なにせ、自分だけじゃない。護衛対象の命も預かるんだから。


 「大神殿としても、『何か』の正体は掴んでおきたいってことで。生き物なら、これから冬になって食料が乏しくなれば、村が襲われる可能性もありますしね」

 「ファンは、なんだと思う?」


 アンナさんの問いに、申し訳ないけれど首を振った。


 「今のとことは、さっぱり。ただ、あまり大きなものじゃないと思います。目撃例がないってことは、そこまで目立つ大きさじゃない。それと、群であることも確実かなって」

 「え~?ファン、そこまでわかってても何だかわかんないのぅ?」

 「今の条件に当てはまる生き物なんて多すぎて絞り込めないよ。ただ、除外できるものはあるけど」

 「あら?そうなの?」

 「はい。まあ、除外にも条件があるんですけどね」


 だから、結局は分からないことは変わらないんだけれど。


 「まず、人間か魔族ではない。これが条件です」

 山賊や盗賊の可能性は薄い。


 やっていることの意味が不明すぎるからだ。

 だけれど、それ以外の目的がある場合…特に、ただ殺人を楽しんでいる場合は、なんだってやるだろう。


 特に、魔族。

 始原の創造神が、この世界を滅ぼすために作った「世界の法則に外れるもの」。


 何が目的なんてことはほぼ魔族には関係ない。手段のために目的を考えるようなものだからだ。


 「人間はともかく、魔族は考えなくていいんじゃない?それこそ、大神殿に神託があるでしょ?」


 魔族は、原始の創造神が異空に封じられた後もその傍に侍り、隙間をこじ開けてこの世界にやってくる。

 神々はそれを見張り、もし魔族が侵入すれば、すぐに信徒を通して警告を発する。


 それでも、神々の目を掻い潜り、強力な魔族が完全に顕現してしまうことがある。


 魔王や邪神と呼ばれるそれらの侵略を、世界は今までに五回防いでいた。

 その戦いの先頭に立ったのが、灯の英雄だ。


 そもそも、その刻印を授けるマース神こそ、始原の創造神を封印した張本人だ。

 言い換えれば、灯の英雄と魔族の戦いは、遥かな時の向こうで行われた、マース神と創造神の戦いを繰り返しているとも言える。


 「そういえば、あの子、灯の英雄を騙ったんですって?大胆よねえ。だって、灯の英雄が表れたってことは、魔王が現れるってことでもあるもんね」

 今まで、灯の刻印を授けられたものが、魔王より先に現れたことはない。


 だけれど、灯の英雄は魔と戦う運命を持つというなら、必ず対となる魔王も現れるはず。

 前例はない。ないけれど、誰もが思う、当然の帰結だ。

 今までがそうだったのだから、次もそうだろう、と言う。


 皮肉なもんだ。兄貴もそれで苦労している。


 「んでんで、ファン!ファンは何がいると思うのぅ?」

 思考の沼にはまりかけた意識を、ヤクモの声が引っ張てくれた。

 いけないいけない。


 「あー、除外できる生き物ってのは、まず爬虫類、両生類の類じゃない」

 「はちゅーるい?りょーせーるい?」

 「蛇やトカゲ、蛙じゃないってことだな」

 「あら?どうして?」

 「爬虫類や両生類の生態からかけ離れているからです。逃げ回る複数人を全滅させるなんてことはしません。そんな無駄な動きをする生き物じゃない」


 一人なら、ありえなくはない。毒蛇なら小さくても人を一人殺すのは造作もないって種類もいる。

 だけれど、短期間に複数人はない。


 それに、基本的に群で行動しないから、条件に当てはまらない。


 「確かに南方には人間を食べるサイズの大蛇や大蛙がいますし、ここらへんにもオオトカゲがいますけど、村を一つ全滅させるまで人を襲うとかしませんよね」

 「そうね。家畜襲ったり、居合わせた人を襲ったりはするけど」

 「彼らは、非常にシンプルなんです。長期間飲まず食わずで生きることはできますが、その分無駄な動きをしない。逃げた相手を追い詰めて殺すなんていう無駄はしない…いや、できないんです」


 最強の爬虫類、ドラゴンだって基本的には寝て過ごしている。

 それは、無駄なエネルギーの消費を防ぐためだ。

 消費したエネルギーを速やかに補充することも、体の構造上難しい。

 消化にも時間とエネルギーを使うので、獲物を飲み込んだ後はじっと動かずにいる必要がある。


 「あと、狼もないですね。いれば必ず遠吠えなどで存在がわかりますから」

 「んーと、つまり?」

 「何がいるか、さっぱりわかりません」


 文字通り、お手上げってやつだ。


 「えー?なんとなく、これだと思う!とかはあ?ほら、ファンの好きな仮説ってやつ!」

 「あてずっぽうの予想を仮説とは言わない!そんなもん立てるくらいなら、まっさらな状態で行った方が百倍ましだ!

 予想に固執して手掛かりを見逃したり、意表を突かれて対応が遅れるってことは十分ありえるからな」


 わかったと思い込むことが一番わかっていない状態。


 よく、先生に言われたもんだ。

 一番下の土台が間違っているのに仮説を立ててしまえば、出来上がりは真実とまったく違うものになる、と。


 博物学の基本は観察と分類。

 観察が不十分なのに分類はできない。

 ただひたすらに考察して、確実に除外できるものだけを外していく。

 亀らしい生物の分類をしている時に、鳥の仲間である可能性は排除してもいいように。


 だから今回も、外して考えてもいい可能性をより分け中、といったところだ。


 「まあ、なんにせよ気を付けてね?あんたらなら大丈夫だと思うけど…あら?」

 アンナさんが、入り口に視線を向けて首を傾げた。


 俺たちもその視線につられて、振り返る。


 逆光で顔は見えにくい。だけど、開け放たれた扉に寄り添うように立っているのは、昨日の少女と騎士だった。


 あまり数は多くないが、冒険者たちの視線が彼女に突き刺さる。

 冒険者は耳が良い。昨日神殿で彼女が何をしたか、知っている連中も多いのだろう。

 ここぞとばかりに仲間に、そのことを説明する奴もいる。


 しばし、彼女は立ち竦み…それから、うつむいたまま、室内に入ってきた。

 さすがと言うべきか、彼女の騎士は傲然と胸を反らし、前を見ている。


 カウンターに用があるのかと思って、アンナさんに黙礼して横にずれると、彼女たちも曲がった。どうやら俺たちに用事らしい。


 「ええっと、おはようございます。そのー、昨日はいろいろと…」


 「ごめんなさい!」

 「え?」

 悲鳴のような謝罪は、きっと彼女本来の声音だ。

 無理に作られた低音ではなく、年相応の可愛らしい声は、湿って震えている。


 「私…」

 視線は床に落ちたまま。白い顔はさらに白く、唇も血の気を喪っている。

 「私…」


 言葉は続かない。

 きっと、胸の奥ではたくさんの感情が言葉に変わろうとしてぶつかり合っているんだろう。だけれど、うまく変わってくれない。

 そういう時って、あるよな。


 「あー、えっと。そのー」

 うん、俺も今、そんな感じだから。

 こういう時、落ち込んでいる女の子に何を言えばいいんだろうか?


 「ごめんなさいできたんだから、もういいよねぃ?ファン」

 ひょこ、とヤクモが前に出て、うつむくエルディーンさんの足元にしゃがみこんだ。


 「だからさー、君も、だいじょーぶだよ。ファン、もう怒ってないよぅ」

 小さな子供を慰めるようなしぐさ。

 ああ、でも、視線の高さを下げるって有効だな。

 こういう時にするっと動けるヤクモは、本当にいい奴だ。


 「こわかったよねぃ?クロム、手加減とかしないやつだから!ほんと、ぼくに対してもめっちゃくちゃ理不尽だからね!」


 ぷう、と頬を膨らませてみせる。

 エルディーンさんの真っ白な顔に、やや赤みが戻ったように見えた。

 まだ、震える唇は笑みには遠いけれど、ほんのわずか、緩んでいる。


 「ぼくなんか、一日十回はなんかされるからね!でもねぃ、ダメなことしても、ダメだよって教えてくれる人いないと、ほんっとーにダメになっちゃうからね~」

 「ほんとうに、ダメになる…」

 ヤクモの言葉を、エルディーンさんは震える声で繰り返した。


 「うん~。ぼくさぁ、子供の時に攫われて、違う人んちで育ったのね」

 「え…」

 「ぼく、シラミネって国の生まれなんだけど、シラミネ人って、大人になると角生える人がいるの。ぼくは生えなかったけどさ。んで、となりのナハトって国ではね、シラミネ人の子供を攫って飼うってゆーのが流行っててねぃ」


 エルディーンさんの目が見開く。

 そりゃそうだろう。ほとんど知られていない外道な行為だ。

 俺だってヤクモに聞いて初めて知ったわけだし。


 シラミネは鎖国しているから、こうした被害があっても周辺諸国に情報が伝わりにくい。

 シラミネほどじゃないけれど、ナハト王国も友好国や同盟国がなく、北方諸国のなかでも良くわからない国だ。


 「角が生えたらあたりー、みたいな。ぼくを攫ったひと…以下、くそおっさんね、くそおっさんは愛人へのプレゼントにぼくをあげたの。

その愛人…以下、イゾルデ母さんはすっごくいい人で、ぼくを人として育ててくれたけど。

  けどさぁ、やっぱりぼく、いろいろ知らないんだよねぃ。

 おうちからほとんど出たことなかったし、イゾルデ母さんとジーク兄さんとトリス兄さん以外の人とあんまし喋ったこともないし。

 だからさぁ。ダメなことしちゃったりするの」

 だから今、勉強ちゅー、とヤクモは嬉しそうにニマッと笑った。


 立ち上がって、クロムがするように腕を組む。

 なんだかんだ言って、ヤクモはクロムの真似を良くするんだよな。


 「んでねー、くそおっさんには子供が何人かいるんだけど、一番末の息子ね、ぼくと同い年。そいつがほんっとーにダメな子なんだよ。

 …馬で人をひき殺したって、自慢げに言うようなやつで」

 得意満面な笑みが一転、沈んだものになる。


 「ジーク兄さんが言うには、子供のころから気にくわないことがあると、すぐ剣を抜いて斬りつけるようなやつでね。

 でも、くそおっさんが一番かわいがってるから、周りも何も言えなくて、自分は何してもいいって思ったまま大きくなっちゃったんだよねぃ」

 「その…そのものは、今は?」

 「んー、わっかんない。

 ぼく、イゾルデ母さんが死んじゃった時に、ジーク兄さんとトリス兄さんがシラミネに連れて行ってくれたから。

 でもねぃ、多分そのままだと思うよー。ジーク兄さんが次のナハト王になれたらいいんだけど、そいつがくそおっさんのちょーあい?を受けてるから、難しいらしいよ」


 ヤクモ言うジーク兄さんとは、ナハト王国の第一王子で、イゾルデさんの叔母の息子。トリス兄さんはその同腹の弟。

 正妃の子だし話を聞くと良い人っぽいんだけれど、父王の寵愛は傍若無人な末っ子にあり、らしい。


 正統派なお家騒動に発展する流れだな。

 ナハト国王が、王としては有能な人物であることを願いたいけれど、望み薄かもしれない。


 「そいつもさあ、悪いことしたらダメって叱ってくれる人が傍にいたら、もっと違ったと思うんだよ。

 ジーク兄さんたちも住んでいるおうちが違うから、あんまり会ってなかったみたいだし。

 きっとさあ、そいつが死んだとき、誰も泣いてくれないよねぃ。むしろ、あー良かったって思われちゃうよ」


 「誰も泣いてくれない…」


 「長生きして、しぶといじいちゃんだったねえって笑って送られるならそれはそれでいーんだけどね。

 そーじゃなくてさ、怖いのがいなくなったって喜ばれるの、嫌だなあって思う。

 そんなの、ぼくら冒険者が退治する、怪物じゃない。ゴブリンとかさ」


 「…!」

 ぎゅっと、エルディーンさんは胸の前で拳を握った。


 「私も…怪物になるところ…だったのかもしれません。斬ると…殺すと…アスラン人だというだけで…殺して、も、良いと思っていた…」

 「んー、君とアイツとは全然違うと思うけどねぃ。むしろ、ファンのおにーさんだいじょーぶ?」


 すまん、兄貴。どうやらヤクモの兄貴への印象がかなり悪くなっているみたいだ。


 「うちの兄貴は、ムカついたって理由じゃ剣を抜かないぞ。

 立場上、アスランを侮辱されたら敵と認識するし、敵には容赦をしないだけだ。

 アスランの騎士として」


 まあ、俺とクロムも騎士の資格をもっているから、広義の意味じゃアスランの騎士なんだけどね。


 「それに、兄貴も本当にあるアスランの問題点を指摘されれば、侮辱ではなく意見として聞くしなー。大都に機能が集結しすぎとか、人口多すぎとか、治安が悪化傾向にあるとか」

 本当にその辺は頭の痛い問題で、治安の悪化は警備兵を増やして対応しているけれど、根本的な問題を解決しなくてはどうしようもない。


 かといって一朝一夕にどうなるものでもなく、地道にやっていくしかないんだけれど。


 「でも、ぼくファンのおにーさんに初めて会う時、誰かの後ろから挨拶するね!こわいから!」

 「俺の後ろから挨拶すればいいと思うけど、たぶん最初はそれどころじゃないだろうしなあ」

 「そなの?」

 「間違いなく俺に兄貴が飛びついてきて、そこにユーシンが突っ込んできて、クロムが怒って大変な騒ぎになると思う」

 「あー…」

 そして一番痛い思いをするのは俺なんだろうなあ。やっぱり。


 「…失礼、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」


 その、人間積み木の一番下になっている自分を想像していると、レイブラッド卿が硬い声で問いかけてきた。


 「はい?」

 「…彼らは、どのような方々なのですか?あの動きは…」

 「クロム…彼女を止めたやつと、あなたに槍を突きつけたユーシンの事ですか?」

 「そうです。あの若さで…名のある武人の家系の御子息なのでしょうか」


 「ごしそく!ユーシンとクロムがごしそく!脳みそ五歳児と賊なのに!」


 ぷぷーっとヤクモが噴き出す。

 うん、別に息子なら誰だって御子息だからな?と言うか、生まれで言うならあの二人、御子息って言われてもまだ軽いぞ?


 「まあ、そうと言えばそうですけど…全然関係ないですよ。アイツらの強さには」

 「ならば、天賦の才とでも?」

 「それもありますが…んー。貴方は、その子供のころ、一日どれほど剣を振りました?」

 大して練習してこなかったんじゃないのかと言われたのかと思ったんだろう。レイブラッド卿の眉間にしわが寄る。

 「朝から昼までは確実に。一日五百は振りました」

 やや得意げなのは、むしろ人間らしくていいかもしれない。

 五百回の素振りって言うのは簡単だけれど、やるなら大変だし。誇ってもいいことだろう。

 でも。


 「これは、兄の受け売りで、俺が偉そうなことを言えたもんじゃないんですが。

 剣を振る時、その回数を数えるな、と」


 「…どう言う意味ですか?」

 振った回数を聞いておいて、それじゃ駄目だと首を振るのは、いささか意地悪だったな。

 レイブラッド卿も、ダメ出しの気配を感じたのか表情が更に硬くなる。


 「数を数えてしまうと、その数に固執してしまう、と。

 目的が、その数だけ振ることにすり替わってしまうから…と兄は言っていました」

 

 剣を振るのは、「剣を振る」と言う動きを体に覚えさせるため。

 息を吸い、吐くのに、「こうだな!」と意識してすることがないように。

 頭で考えなくても、動けるように。


 千回振ってもそれが掴めなければ、二千回振る。

 千回振ることが目的じゃ、そこに到達できない。

 

 まあ、俺が出来るかって言えば、そもそも千回の素振りもできないけど。

 うん。やっぱり俺が偉そうに語れることじゃないな。


 でもさ、あいつらが強いのは、親が強いからだ!なんて言われたら、反論もしたくなる。

 

  「二人にどれほどやったかって聞いたら、覚えてないって返ってきますね。飯くってるか、寝てるかしている以外は、大抵訓練してましたし。何本振ったかなんて数えてないと思います」


 本当に子どものころは、一緒に遊んでいたけれど。

 強くなると決めた後、思い出すあいつらの姿は。


 クロムは剣を、ユーシンは槍を振っている姿だ。


 「アイツらが強いのは、想いと訓練の積み重ねだと思いますよ」

 「私には、それがないとおっしゃるか」

 「レイブラッド…!」


 エルディーンさんが騎士の右手を掴む。


 「いや、ないとは言ってません。ただ、クロムとユーシンの方がたくさん重ねているだけです。

 あと、これだけは言えます。二人とも、自分が負けたのを血筋のせいなんかには絶対にしない」


 ぐ、とレイブラッド卿は唇を噛みしめ、そして空いている左手で顔を覆った。


 「…なるほど。わかりました」

 「レ、レイブラッドも強いんです!『盾』の御業も使えるし…!」


 エルディーンさんのフォローが微笑ましい。

 うん。自分の騎士が弱いって言われたら反論したくなるよな。


 その気持ちはよくわかる。


 俺も、守護者クロムの態度が悪いって言われたら全力で謝るけれど、弱いって言われたら反論する。

 使えないとか、解雇しろって言われたら、相手を叩いてしまうかもしれない。


 彼女の気持ちは、騎士にも伝わったんだろう。

 少し頬を紅潮させた顔を隠すように、レイブラッド卿は深々と一礼した。


 「あの…!私たち、もうすぐ出発します」

 「へ?出発?」

 「はい。儀式を行うために、ドノヴァン大司祭も同行されることになって…それで、今日の中天に、出発することになったんです。その前に、あなた達に謝罪をしたくて…せめて手紙をと思い、ギルドに…」


 こっちには何の連絡も来ていないから、俺たちは予定通り明日の朝の出発か。


 と言うか、ドノヴァン大司祭も同行するのか?あの人、山道とか大丈夫なんだろうか。

 でもまあ、よく考えたら、30年ぶりの重要な儀式に大司祭が来ないわけがないか。


 「ドノヴァン大司祭は、一月に一度は聖女神殿に足を運ばれるそうなので、馴れていらっしゃると。

 …私たちだけではなく、大司祭の護衛の方も同行されますしね」


 神官戦士や聖騎士の部隊を持つことは軍備にあたるから禁止されていても、個人的に武芸を身に着けた神官がいないわけじゃない。

 そういう人が同行するってことか。それなら最初からそういう人を連れてけばいいのになあ。


 まあ、冒険者を連れていくことで、武装しているわけじゃないってことをアピールしたかったのかもしれない。

 もしくは、あのささやかすぎた報酬の額からして、雇おうとしたけれど受けてくれなかったんで仕方なく神官だけで行ったけれど、今後のために少しは聖騎士団や神官戦士部隊をつくりたい、と口実にする為か。


 どっちにしろ、雇われていたらいい面の皮だったな。

 彼女たちは大丈夫だろうか。ひどい扱いを受けなきゃいいんだけど。


 「だいじょーぶ?あのでぶおっさんとかにいじめられてない?」

 「…非難は、されました。けれど、ここで逃げ出したら…ダメになると思うので」

 そっと彼女は、右手の甲を摩る。

 今は綺麗な手袋に隠されて、刻印の刺青は見えない。


 「あの…何故、彼はこれが贋物だと…」


 「あの時言ってた根拠の他にってことですか?」

 こくり、とエルディーンさんは頷いた。


 まあ、完全に言い切ってたしな。


 どうしてそんなに自信満々に否定できるのか、知りたいと思うのも無理はないか。

 なんにせよ知りたいって思うことは大事だ。

 学問はすべてそこから始まるのだし。


 「まず、刻印って、常時でているもんじゃないんですよ」


 「え、そうなの!?」

 驚きの声はヤクモから上がった。うん。そうなんだよ。


 「常時浮き出る刻印もあるけれどな。

 ジョーンズ司祭にいわれたろ?刻印はあとから授かるものと、もって生まれるものがあるって。生まれつきの場合は、大体常時見える場合が多いけど、そうでない場合は、御業や加護の行使の時しか見えないんだ」

 「それだけ…ですか?」

 「あー、それだけ、でもなくて。あと、灯の刻印が宿るのは右の掌です。刻印は必ず決まった場所に宿りますから」


 「え…」


 「英雄の掌に灯ありて闇を照らす…灯の英雄の英雄譚は、必ずこの一節から始まりますよね」


 掌に刺青をいれれば、しばらくはものを握るのも難しくなる。

 だから、きっと手の甲に彫ったんだろうけど。

 …それとも、素で気付かなかったんだろうか。


 「他にも否定要素はあるけど、わかりやすいのはこの二つかな」

 エルディーンさんは右手を抑えたまま、茫然としていた。


 ややあって、唇が開く。

 「馬鹿だ…私…」


 「エルディーン様!」

 「叔父は、本当に私を祖国を救う英雄などにしたかったのではなく、馬鹿な姪が舞い上がるのを見て笑っていたのかもしれませんね…」


 叔父さんに言われて彫ったのか。そいつの額に「卑怯者」と彫ってやりたいな。


 「でも、ですよ」


 彼女は間違っていた。


 だけど、酷使される人を救いたい、その想いは間違っていない。

 クロム曰く脳みそ花畑族の一員として、断言する。


 「これからは灯の刻印ではなく、あなたの灯にすればいいだけの話です」


 「私の、灯…?」

 「そう。誰かを助けたいという想いを灯らせた。それは、真実でしょ?

 南フェリニスの鉱山奴隷解放もそうだけど、困っている人を見たら助ける。その誓いの灯にすればいい」


 アステリアにだって、理不尽に困っている人はたくさんいる。

 それこそ、逃げてきた北フェリニスの人を保護して、仕事を斡旋することだって貴族の彼女ならできるはずだ。


 「それに、どうしても鉱山奴隷を助けるなら、昨日クロムが言っていた団体を紹介しますよ。手は何本あっても困らないしね」


 彼女の目に、輝きが灯っていく。

 うん。一度折れても前を向けるなら、彼女はきっと大丈夫だ。


 「お知り合い…なんですか?」

 「士官学校時代の同期が加わってて。俺も少しですけど、手伝ったこともあります」


 手、貸してくれないと、往来の真ん中でひっくり返って泣くよ?とキメ顔で脅してきたあいつは元気だろうか。

 手紙のやり取りも、俺が家を出ちゃったから途切れてるし。

 ちょっと諸事情で放浪しますって綴った手紙は受け取っててくれてるといいなあ。


 「ぜひ…お願いします!」

 「はい。なら、お互い生きて帰ってこないと。また、ギルドで会いましょうね」


 青白かった頬が、ぱあっと赤くなっていく。

 やっぱり女の子は赤い頬っぺたの方が可愛いよ。


 「め、女神アスターの、加護を…!」

 ぽろりと涙を一粒こぼしながら、彼女は笑った。ひきつった、ぎこちない笑顔ではあったけれど。


 「貴方に夜明けを…!」


 「ありがとう。紅鴉の導きがあなたにあらんことを」


 アスラン人に女神の加護はないと罵った時の彼女とは全然違う顔で、エルディーンさんは頷いた。


 この、切っ掛けだけでどんどん変化できるのは、十代の特権だよな。少々羨ましくも思う。


 一礼して、彼女は踵を返した。

 中天はそう遠くない。旅支度とかが終わってるならいいんだけど。


 ギルドを出る直前、彼女は少しだけ振り向き、今度はちゃんと笑った。


 「他に護衛の人いるなら、だいじょーぶかなあ」

 「そうだな。大司祭を護衛するんだし、きっと手練れだろう。大丈夫さ」


 それは半分以上、自分に言い聞かせている言葉だった。

 何とも言えない不安は、腹の奥に居座っている。


 頼むから、危なくなったら逃げてほしい。

 生きてさえいれば、失敗も取り返しがつく。


 彼女は、やっと自分の人生を生きようとしているのだから、ここで終わってほしくない。


 「俺たちも、準備を続けよう」

 半日遅れでも、あちらは旅慣れない大所帯。実際の差は、そこまで開かないはずだ。


 追いつけば、合流することもできるかもしれない。

 なにかあっても、助けに入れるかもしれない。


 そう思っても、不安は燻る。あー、クロムに絆されやがってって怒られそうだなあ。


 「そーだねぃ。あとさ、こーゆーとき、死んでも関係ないねってできるの、ファンじゃないから。あの子たちのこと、心配になっちゃってもいいんじゃない?」

 「ヤクモ…」

 「クロムもそう思ってるよ、むしろ、ファンがそんなこと言ったらクロムが一番びっくりするよ」


 確かに。熱でも測られそうだ。


 みんなは俺がアイツを甘やかすと言っているけど、クロムも俺を甘やかしていると思う。

 口じゃブーブー言うけれど、結局俺がやりたいようにさせてくれるし。


 うん。本当に得難い守護者スレンだよ。


 もちろん、優先順位は俺たちうちのパーティの身の安全が第一位だ。それだけは絶対に自分の中で譲らないと決めておく。


 それでも、できることがあれば。やれることがあれば。

 ぐっと右手を握りしめ、体温を感じる。


 できるだけ、やれるだけ、この手を伸ばそう。

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