くるみと海菜

私は貴女の恋人だから

 高三の冬休みが明けて間もないある日のこと。満ちゃんから『梢さんと話がしたいからちょっとの間くるみを連れ出してほしい。暇な日ある?』とメッセージが届いた。くるみというのは満ちゃんに懐いている小学生の女の子のことだ。梢さんというのはくるみちゃんの母親。父親はおらず、女で一人で育てているらしい。娘には話せない話……


「……浮気か?」


 そう送るとベランダからドスッと物音が聞こえた。続いてコンコンと窓を叩く音と共に「入れて」と彼女の声。文字を打つのめんどくさくなったから直接話に来たのだろう。窓を開けて彼女を招き入れる。


「浮気じゃねぇよバーカ」


「いや、娘には内緒で二人きりで話したいってことでしょ? 弱み握って脅してえっちなことするやつじゃん」


「……」


「ごめんごめん。そんな冷めた目で見ないで。君の真顔はマジで圧が強いから。で? 浮気じゃなかったらなんなの」


「タケと梢さんが微妙な空気になってるのが気になって。ちょっと話を聞こうかと」


「タケさん? あー。なるほどね。分かった。お節介だな君は。『そういうところが嫌いなのよ』って言われるよー。また」


「良いんだよ。あの人の『嫌い』は『愛してる』と同じ意味だから」


「ふーん。まぁ良いけど……いきなり連れ出せって言われてもなぁ……」


「なんとかしてよー。うみえもーん」


「なんとかしてって言われても困るなぁ。ちるたくん」


 くるみちゃんの好きなものといえばプリティア、それと満ちゃん。満ちゃんが来ると言えば簡単に釣れそうだが、満ちゃんのために連れ出すのだから当然来れるわけがない。


「うーん……」


「あ、そういやこの間親父が懸賞で遊園地のチケット当たったって言ってたな」


「お。なんだよー。良いもの持ってんじゃん。くれ」


「ちょっともらってくるわ」


 そう言って彼女はベランダに出て行き、しばらくしてまたベランダから戻ってきた。


「ほれ」


「隣なんだから玄関から来なよ」


「めんどくさい」


「もー……落ちて怪我しても知らないよ」


「大丈夫大丈夫。それ、四人まで行けるから」


「四人かー……とりあえず百合香でしょ。あと一人……タケさんかな」


「……お前、くるみの子守り押し付ける気だろ」


「やだなぁ。子守り押し付けて二人で楽しもうなんてそんなこと思ってないよー。知ってる人の方がくるみちゃんも安心かと思って」


「……」


「……ごめんて。真顔やめて。冗談冗談」


 とりあえず百合香に事情を話す。あと一人はどうしようかと相談してみると『福田くんはどう?』と返ってきた。彼は確かくるみちゃんとは初対面だが、五つ下の妹が居ると聞いている。女の子の扱いには慣れてそうだ。声をかけてみると『暇だよ』と返ってきた。


「よし。じゃあ、あとはくるみちゃんだな……」


 くるみちゃんにメッセージを送る。すぐに「行きたい!」と返ってきて「みちるお姉さんもいっしょ?」と続く。「満ちゃんは用事があるから行けないって」と返信する。しょぼんと落ち込む顔文字が返ってきた。




 そんなわけで当日。百合香と一緒にくるみちゃんを家まで迎えに行き、福田くんとの待ち合わせ場所へ。


「みちるお姉さん、今日はなんのようじ? デート?」


「お友達の家に行くんだって」


「おともだち……あ! あのね、わたしね、学校にともだちができたんだよ」


「おっ! 良かったじゃないの」


「うん。……ちょっとだけ、学校たのしくなった」


「そっか。良かったねぇ」


 それならくるみちゃんの友人を誘っても良かったかもしれないが、まぁ、今更だ。


「あ。いたいた。福田くん」


「おー鈴木くん」


「この子が私の友人のくるみちゃんです」


「福田祐介です。初めまして」


「はじめまして。木下くるみです」


「礼儀正しいねぇー。にしても……鈴木くんにこんなに小さい友達が居たとは。交友関係広すぎないか?」


「満ちゃん経由で知り合いまして」


「月島さん?」


「ふうせんとってくれたの」


「風船?」


「木に引っかかって泣いてたところにたまたま通りかかったんだって」


「ほー。なんか、運命的な出会いだねぇ」


「お姉さんのうんめいの人、わたしじゃないと思う。こいびといるから」


「あー。一条先輩なぁ」


「にばんめのおんなにもなれなかった……」


「二番目の女って。あはは……」


 苦笑いする福田くんだが、決してくるみちゃんの恋心を否定するようなことは言わない。私の友人はみんなそうだが、世間はまだまだ差別だらけだ。


「じゃあ、行こうか」


「わたし、ゆうえんちはじめて」


「乗ってみたいアトラクションある?」


「メリーゴーランド」


「よし、じゃあいこう」


 まずはくるみちゃんの要望に従い、メリーゴーランドへ。くるみちゃんは福田くんに任せ、私は百合香と一緒に乗ることに。


「あなた、白馬似合うわね」


「あははっ。さすが王子」


「姫、お手をどうぞ」


 馬に跨り、百合香に手を差し伸べる。周りからひそひそと揶揄する声が聞こえるが、そんなのは別に気にならない。


「……恥ずかしいから一人乗っていい?」


「だーめ。おいで」


「仕方ないわね……」


 ため息を吐きつつ、私の後ろに乗って腰に腕を回す百合香。背中に柔らかいものが当たる。意識を別のことに集中させていると、彼女が呟くように言う。


「……ねぇ、貴女、くるみちゃんと一緒に居る時はいつも以上に男っぽく振る舞ってるわよね」


「え? なに急に。いつも通りじゃない?」


「そんなことないわ。若干声のトーンが低くなるし、歩き方とか立ち方も変わってる」


「えぇ? なにそれ。気のせいでしょ」


 私は意識して男っぽく振る舞っているつもりはない。しかし、彼女はそんなこと無いと言って譲らない。メリーゴーランドが終わったところで福田くんに聞いてみるが、彼も「いつも通りだよ」と答える。


「ほら。ね?」


「……」


「もー。なに? そんなに違和感ある?」


「違和感というか……」


「ねえねえ、つぎあれのりたい」


 百合香の言葉を遮ってくるみちゃんが指差したのはジェットコースターだ。福田くんは全力で首を横に振る。


「私は全然平気。むしろ好き」


「私は福田くんと残るわ」


「ゆりかお姉さんもジェットコースターにがて?」


「ううん。好きよ。けど今日はちょっと……ごめんね」


「おれに気を使わなくていいよ?」


「そういうわけじゃないわ」


「福田くん、百合香のことよろしくね。行こ。くるみちゃん」


「うん。お姉さんたち、まっててね」


「行ってらっしゃい」


 福田くんに百合香を預けて、くるみちゃんと列に並ぶ。並びながらくるみちゃんの一方的な話を聞いていると、ベンチに座る百合香から物凄く視線を感じる。まさかとは思うが妬いているのだろうか。こんな小さい子に。「妬いてる?」と彼女にメッセージを送ってみる。すると「貴女を観察してるだけ」と返ってきた。


「ふっ……なんだそれ」


「お姉さんなんて?」


「観察してるんだって。私を。なんかね、今日の私はいつもと違う気がするんだって」


「んー……いつもと一緒」


「だよねぇ」


 彼女の気のせいだとは思うが、どうも気になってしまう。何故そう見えるのだろう。自分で気付いていないだけで無意識のうちにそうしてるのだろうか。


『あの子たち、兄妹かな』


『お兄さんの方イケメンじゃない?』


『えー。でもちょっとロン毛すぎない?』


『いいじゃん。ポニテ男子。侍みたいで』


『てかあの人、女性じゃない?』


『えっ、嘘』


 ひそひそとそんな声が聞こえてくる。百合香の要望で髪を伸ばして一年以上になる。今は大体セミロングくらいで、一束にまとめてポニーテールにしてる。昔は髪が長いだけで女性に見られたが、最近はジェンダーレス男子なんて言葉も流行っているからか、なかなか判定が難しいらしい。どっちに見られても良いが、どちらかといえば女性に見えない方が安心するかもしれない。しかしそれはくるみちゃんと居る時だけの話ではなく、普段からそうだ。百合香は違和感があるのはくるみちゃんと一緒に居る時だけと言っていた。


『さっき綺麗な女の人と手繋いでたし、絶対男だよ。あの雰囲気はカップルだった。恋人繋ぎしてたし』


『女同士でも恋人繋ぎくらいするでしょ』


『えっ、マジで? ちょっと引くわ……』


『いやいや、ふざけてだよ。私別になわけじゃないから』


 後ろから聞こえてくる会話が気になるのか、くるみちゃんが後ろを振り返る。そして私を見上げて尋ねてきた。「ソッチってなに?」と。


「……さぁ。なんだろうね」


 彼女たちの会話の意味なんて理解しなくて良い。しないでほしい。女に恋する女であるだけで後ろ指刺される痛み知らなくて良い。知ってほしくない。この子にはこの世界の残酷さを知らないまま、優しさに守られて大人になってほしい。

 あぁ、そうか。百合香が違和感を覚えた理由がわかった。もしかしたら私は無意識のうちに演じていたのかもしれない。異性カップルに見えるように。世間に溶け込めるように。レズが居ると馬鹿にする声が、くるみちゃんの耳に入らないように。

 私はきっと、彼女を幼い頃の自分に重ねているのだろう。世間から向けられる偏見を恐れて自分がレズビアンであることを公言出来なかったあの頃の自分に。


「ねぇねぇうみなさん、こいびとつなぎってなに?」


「あー。えっとね、こうやって指と指をぎゅって……」


 自分の両手でやって見せると、彼女は「女の子どうしでするのはへんなの?」と首を傾げる。


「うーん。恋人じゃない人とはあんまりしないかな」


「じゃあ、へんじゃないね。ゆりかさんとうみなさんはこいびとだから」


気を使ったわけでは無いであろう純粋な言葉が胸に沁みる。あの人達にも聞かせてやりたい。


「あ、つぎわたしたちのばんだよー」


 ゲートが開くと、くるみちゃん一直線に最前列に向かっていく。追いかけて隣に座る。

 コースターが動き出す。隣で足がパタパタと前後に動く。わくわくしているのが伝わってくる。子供らしく無邪気な姿が可愛い。

 だんだんとスピードが上がっていき、下り坂を一気に駆け抜ける。


「きゃー! あははっ! すごーい!」


 くるみちゃんのはしゃぐ声が響く。どうやら気に入ったらしい。私からしたらちょっと刺激が足りないけど。


「あ」


 結んでいた髪が解けてしまった。刺激が足りないとはいえ、流石に直す余裕などなく、そのままゴールへ。


「あーたのしか……だれ!?」


「私だよ。海菜さんだよ。髪結んでないだけでそんなに変わる?」


「……下ろしたほうがかわいい」


「あはは……それはよく言われるな」


「かわいいって言われるのすきじゃない?」


「そうだねぇ……あんまり好きじゃないかな。でも、悪口で言ったわけじゃなくて、褒めてくれたんでしょ? ありがと」


「どういたしまして」


『ほら、やっぱり女の人だよ』『改めて見ると背高っ、脚長っ』『でもさ、あれどう見ても恋人の雰囲気だったよね』『あれだけカッコいいならアリかも』『やばい。変な扉開きかけてんぞ』『落ち着け』

 などと、そんな会話が聞こえてくる。先ほどの女性達だろう。くるみちゃんは気にする素振りも見せない。会話の意味が理解出来ていないというのもあるかもしれないが、私が気にしすぎなのだろう。しかし……結んでないと風でなびいて鬱陶しい。しばらくしたらまたショートに戻そう。


「うみなさん、ゴムいる?」


「あ、持ってるの? じゃあ——」


くるみちゃんからヘアゴムを借りようとして、百合香の言葉が蘇る。


「うみなさん? いらない?」


「……うん。いいや。このままで。百合香達のところに戻ろう」


「うん」


 くるみちゃんと一緒に百合香の元へ戻る。一緒に話していた福田くんは私の姿を見るとぽかんとした。誰だと言わんばかりの顔だ。


「ゴム飛んでっちゃってさぁ」


「鈴木くん、髪下ろすと一気に印象変わるなぁ」


「そうね。……けど、私はそっちの方が好きよ。可愛い」


「……うん。ありがと」


「ヘアゴムあるけど、いる?」


「ううん。良い。……このままで大丈夫」


「……そう」


「つぎ、かんらんしゃのりたい!」


「ん。いいよ。行こうか」


「……私、海菜と二人で乗ってもいい?」


「……いちゃいちゃするつもりだな?」


 くるみちゃんが言うと、百合香はふっと笑って「ええ」とだけ答える。なんだそのエロい返し。


「……え? 何? 私これから抱かれるん?」


「そんなわけないでしょ。ちょっと二人で話がしたいの。くるみちゃん、福田くんをお願いね」


「おねがいされた」


「逆じゃないか!? まぁいいけど……あの、観覧車って意外と外から見えるから気をつけてね……」


「だから、何もしないってば」


「えー。何もしないのー?」


「海菜」


「はい。すみません」


 そんなわけでくるみちゃんは福田くんに任せて、百合香と二人で観覧車に乗り込む。


「で、今の私はどう? いつも通り?」


「そうね。いつもの海菜だわ」


「そっか。……自分じゃ気付かなかったし、言われても分かんないけど、そう見える理由はなんとなく分かったよ」


「そう」


「同性カップルとして見られて、後ろ指刺されて……私はそんなのもう慣れてるから平気だけど、あの子には差別なんて知らないままでいてほしいんだ」


「あの子って、くるみちゃん?」


「うん。そう。だから、無意識的に異性カップルに見えるように振る舞っちゃってたんだと思う。私はあの子に昔の自分を重ねてたんだ。周りとは違うって自覚し始めた頃の自分に。孤独だと思ってた自分に」


「くるみちゃんは孤独にはならないわ。私達がいる。だから、周りから何か言われてもきっと大丈夫よ」


「……うん。そうだね。彼女は私とは違う。あの頃の私よりよっぽど強いよ」


「貴女は強いように見えるけど、強がりが上手いだけだものね」


「……うん」


「大丈夫よ。貴女も独りじゃないわ。みんなが、私がいる」


 正面に座っていた彼女は私の隣に移動し、肩に頭を預けて手を握る。指を絡めて、貝殻のようにしっかりと閉じる。


「強くてかっこいい王子様なあなたはもちろん、そうじゃない弱いあなたも好きよ」


「……ありがとう。弱い私も受け入れてくれて」


「ふふ。愛してる」


「うん。知ってるよ。私も愛してる」


 私が気を使ったところで、遅かれ早かれ彼女はあの時聞こえてきた会話の意味を知ることになってしまうだろう。きっと、この世界で生きる以上は差別からは逃れられない。だったら尚更、私はいつも通りであるべきだ。


「ありがとう。百合香。私の異変に気付いてくれて」


 私がそう言うと、彼女は私を抱きしめて言った。「当然でしょう。私は貴女の恋人なんだから」と。

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