未来と過去

付き合って一周年

このクソみたいな世界で私は明日も生きる

 嫌だった。男性から恋愛感情を向けられるのが。

 嫌だった。当たり前のように異性愛者だと思われるのが。

 嫌いだった。同性愛者なんて身近に居ないと思い込んでいる周りが。

 嫌いだった。異性愛主義なこの世界が。

 嫌いだった。普通に告白して、普通に付き合える両想いの男女が。

 嫌いだった。同性愛者として生まれた自分自身が。

 嫌いだった。こんなクソみたいな世界を捨てられない自分自身が。

 大嫌いだった。何もかも。

 死にたかった。

 だけど、生きたかった。

 だから私は、カミングアウトした。


「私は女の子が好き」


 それをおかしいと笑うクソみたいな連中に、堂々と生きる私を見てもそれが言えるかと叫びたくて。

 同性同士だからと恋を諦めようとする子に、勇気を与えたくて。

 女性しか好きになれない自分を否定したくなくて。

 何を言われても、間違いだと言うなら何が間違いなのか説明してみろよと、強気な態度で応対した。

 どれだけ心を刺されたって、傷つかないふりを貫いた。私が正しい。そう堂々としていることで、周りが勝手に私を守ってくれた。


「間違ってないよ」


「私達は味方だよ」


 そう言ってくれる優しい人達に恵まれて、私は幸せ者だ。

 なんて、そう思えるほど、私の心に余裕は無かった。その頃私は、フラれたばかりだったから。好きな人と両想いになれるみんなが羨ましくて、憎らしくて、嫉妬で狂いそうだった。優しい言葉は嫌味でしかなかった。

 ちゃんと告白をして、受け止めてもらって「好きな人がいるから」と断ってもらったら、すぐに楽になれると思っていた。

 なれなかった。

 彼女に憧れて伸ばした髪を切った。

 それでも恋心は私の心にしぶとく残り、彼の隣で笑う彼女を見るたび、突き刺すような痛みが、彼女の幸せを素直に喜べない自分自身への嫌悪感が、私の心をじわじわと蝕んだ。

 死にたかった。だけど、死にたくなかった。

 どうせ、人はいつか死ぬ。だから今死ぬ必要なんてない。焦らなくても、待てば死は向こうからやってくる。こちらから行く必要なんてない。せっかく容姿と人に恵まれたのだから最後まで生きなきゃ勿体無い。

 死後の世界に憧れる自分に、毎日のように言い聞かせた。

 そんなある日のこと。


「……こんな高さじゃ死ねねぇよ。せいぜい骨が折れる程度だろ。死にたいならあれくらいの高さじゃないと」


 ベランダでぼんやりと下を眺めていると、隣から声が聞こえた。幼馴染の満ちゃんだった。指差す先には、もう一人の幼馴染が住む高層マンション。あそこから飛び降りたら楽になれる。一瞬考えてしまい、地面に視線を戻す。


「……そうだよね」


 彼女を心配させるように、わざと本気で自殺を考えているような雰囲気を出す。すると彼女はベランダを飛び越えて隣に来てくれた。

 口は悪いけど、彼女は優しい。その優しさが嬉しくもあり、辛くもあった。

 しゃがみ込み、背中に腕を回して抱きつく。


「……満ちゃん、好きな人出来た?」


「……全く」


 彼女は恋が分からないらしい。もしかしたら一生恋をしないかもしれない。羨ましかった。私も恋をしない人生を送りたかった。こんな辛い気持ち、二度と味わいたくなかったから。


「そっか。…羨ましいなぁ」


「羨ましい?」


「……こんなに辛いなら恋なんて要らない。慰めてあげるとか言って付き合おうとか言ってくる男子達が気持ち悪い……私も同じだとか言っておきながら、しばらくしたら男子と付き合う女子も……気持ち悪い……」


 自分の抱えている苛立ちを、彼女に素直に打ち明ける。


「……うみちゃん、女の子から告白されてるじゃん。そういう子と付き合ったりしないの?」


「……代わりにするなら、私を好きにならない人の方が良い。自分を見てほしいと望まない人が良い。今の私はまだ、彼女以外好きになれないから」


 フラれてもなお彼女に抱いてしまう醜い劣情を、誰でもいいから代わりに受け止めてほしかった。代わりにしたって罪悪感を覚えない人に。その条件に合う都合の良い人は、今まさに腕の中にいる。

 それに気づいた瞬間、私は思わず呟いていた。


「……ねぇ、満ちゃん。キスしても良い?」


 静寂が流れた。


「……は?なんて?」


「……キスしても良い?って」


「あぁ?なんで?なんでそうなる?」


「……みぃちゃんがまこちゃんのものになってしまえば簡単に諦められると思ってたのに、全然諦められないの。嫉妬でどうにかなりそうで辛いの。ねぇ……どうにかしてよ満ちゃん……」


 最低だと自覚していた。断られると分かっていた。


「……良いよ」


 耳を疑った。顔を上げる彼女の手が私の頬に伸びる。触れ、彼女の方から顔を近づけてきた。戸惑いつつも、目を閉じて受け入れた。


「っ…」


 ふに……と、唇に柔らかいものが触れた。ほしかった人のものではなかったけれど、別に不快感はなかった。


「……うみちゃん、私のこと好きなの?」


「……好きだよ……けど……恋とは違う……」


「……ドキドキしてるのに?」


 すっと、彼女が私の胸に触れる。


「……満ちゃんはしないの?」


 問うと、彼女は私の手を自分の胸に押し付けた。柔らかな感触が手のひらに広がる。私の心臓の鼓動は少し速まるが、彼女の心臓の鼓動の速さは変わらない。落ち着いている。


「……してないだろ?」


「……してないね」


「……うみちゃんからしてみてよ」


 誘われるがままに、今度は私から唇を重ねた。その瞬間、溜まっていた劣情が爆発した。彼女の腰を引き寄せて、唇を貪る。彼女が一切抵抗してこないのをいいことに、舌を入れる。流石に一瞬びくりと跳ねたが、応えるように舌で触れてきた。


「っ……」


「ん……」


「はぁ……ねぇ……満ちゃん……ベッド……行こ……?」


「……女同士でどうやってやんだよ。分かんの?」


「……私、知ってるよ。調べたから。上手く出来るか分からないけど、君が嫌じゃないなら、してもいい?」


「……いいのか。初めてが私で」


 そんなこともうどうでも良かった。だけど、僅かに残る理性が、彼女を傷つけたくはないと訴えた。


「……初めてとか、そんなこと、もうどうでもいい。でも、君が嫌ならやめる……私は君と親友でいたいから……君が嫌なことを無理矢理したくはない……」


「……うみちゃんが良いなら別に良いよ。私も、この続きに興味がある」


 淡々とした態度で答える彼女に、思わず苦笑してしまう。だけど、逆にそれがありがたかった。


「……興味があるなんて……やだぁ……満ちゃんのエッチ」


「うるせぇ。お前も人のこと言えんだろ……」


 ベランダの窓を開け、彼女を部屋に招く。彼女は少しスマホをいじってから中に入り、ベランダの窓を閉めた。ベッドに座り、手招きをする。彼女はスマホをテーブルの上に置いて、私をベッドに押し倒した。


「……君が上なの?」


「……お前の好きな方で構わん」


「じゃあ代わって」


 彼女は素直に応じて、私の上から降りて寝転がった。上に乗る。一瞬だけ、大好きな従姉妹の姿が重なった。「満ちゃん」と声に出して名前を呼んで、目の前にいる女の子は私の好きな女の子と別の人であることを脳に認識させてから、頬に触れる。


「なんか今私達、すっごい悪いことしようとしてる気がするね」


「……やめるか?」


「……ううん。やだ帰らないで。今一人になったらまた死にたくなりそうで怖いんだ……」


「……そうか。じゃあ今日は一緒にいてやるよ」


「……うん……ありがとう……」


 一度彼女の上から降りて、カーテンと鍵を閉め、電気を消す。

 その日私は、想いを寄せる従姉妹の代わりに、親友を抱いた。

 その日から、現実逃避のために利用しあう関係が始まった。彼女の方から求めてくる日もあったが、ほとんどは私からだった。

 そんな関係が一年で終わったのは、奇跡だったと思う。あれ以上長く彼女との関係が続いていたらきっと、私は彼女に依存していただろう。

 

 恋人が出来て一年になる今日、ベランダからぼんやりと星を眺めながら、恋人と出会う前の地獄に想いを馳せる。私は、奇跡の積み重ねに助けられて、今を生きている。こうして気持ちの良い夜風に当たれるのも、生きているから。


「……今日は月が綺麗だな」


 隣のベランダから声がかかる。声のした方を見ると、親友がよっと手を挙げた。

 空を見上げる。雲ひとつない空に、小さな星達と、大きな満月が一つ。


「……あ、今の別にあれじゃないからな。告白とかじゃないから」


「ふふ。死んでも良いわ」


「やめろ。それ言う相手私じゃないだろ」


「あははー。でも私、君のことも愛してるよ」


「あら。聞き捨てならないわね」


 ガラッと、ベランダの窓が開いた。


「ふふ。聞かれちゃった」


 部屋から出てきた恋人は少し不満そうな顔をしながら、私の隣に並んだ。親友は入れ替わるように部屋へ戻って行き、ベランダに二人きりになる。


「……月が綺麗ね。海菜」


「君の美しさには敵わないよ」


「ふふ。あなたらしい返しね」


「死んでも良いなんて言えないよ。君が悲しむからね」


「そうよ。せめて私が死ぬまでは生きて」


「じゃあ、君が先に死んだら追いかけても良い?」


「私無しで生きられないほど弱くはないでしょう」


「えー。……私は弱いよ。君の居ない世界で生きられる自信は無い」


「生きてきたじゃない。15年も」


「頑張ったわね」と笑い、彼女は私の頭を優しく撫でた。自然と涙が溢れ、手すりに置いた腕に顔を埋めて隠す。


「……泣いてる顔、見せて」


「やだ。見たら攻めスイッチ入るでしょ。君」


「あら。抱かれるのも嫌いじゃないでしょう?」


「嫌いじゃないけどさぁ……」


 渋々、顔を上げる。彼女は「綺麗よ」と私の涙を拭って笑った。


「あなたの泣き顔、すごく綺麗」


「……変態め」


「ふふ。あなたに言われたくないわ」


 するりと、彼女の手が頬を撫でる。いとおしむように、優しく。誘うように、いやらしく。


「……スイッチ入っちゃったから。戻りましょう」


「……うん」


 部屋に戻って、ベランダの鍵を閉めてベッドに乗り上げて彼女を誘う。


「好きよ。海菜」


「うん……」


「愛してる」


「……うん……私も……」


 好きだとか愛してるとか、言葉にしてくれなくとも指先から、表情から、伝わる。幸せで胸が詰まる。

 生きててよかった。生きることを諦めなくてよかった。

 誰もがそう思える世界になってほしい。だから私は、どれだけ傷つけられても、私は何もおかしくないとと主張したい。自分を否定したくない。自分と同じように同性を愛した人を否定したくない。


「っ……ゆりか……っ……」


 私を愛してくれたこの人を否定したくない。

 彼女を愛した私を否定したくない。掴んだこの幸せが、偽物だなんて誰にも言わせたくない。言わせないために、私は明日も強がる。このクソみたいな国で、大嫌いな異性愛主義の世界で、大人しく踏まれてやるもんかと中指を立てて、愛する彼女と一緒にしぶとく生き抜いてやる。

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