第8話 心に寄り添う者


 アタシには“夢”がある。

 アタシの名前のどこにも“夢”は付いてないけど、夢を持っている。


「人間の心を理解したい」


 そのためにいろんな“心”に関する書物を読み漁った。

 どれも正しく見えたし、どの考え方も間違いとは思えなかった。


 古臭い考察も、今流行りの考察も間違いはないように感じる。

 だけど、今もアタシは人間の心が理解できない。

 どこかにいるんだろうか?

 人間の心を理解できるという人間が……。


「時々、貴女は夢見がちな少女のようですよね。理想を語り、夢を語り、それらを追い求めることにためらいがない」


 そうアタシに告げたのはアタシたちよりも遥かに短い人生を歩んでいる少女だった者。

 天才だか何だか知らないけど、いつも空虚な瞳で世界を見つめている。


「それでもアタシは理解したい」

「なぜ?アナタの存在理由は既に失われています。今更、他人の心を露わにする必要は無いはず」

「それでも……だよ。アイツはもう救われてるから、アタシがやるべきことはもうこの世にはない。だけどね、生まれた事実は消えないし、アタシが未だにここに残っている事には意味がある」

「まぁ、意味はあるんでしょうね。あの方の考えはいつも理解できません」

「そりゃあそうさ。アイツはそれこそ人間らしい人間さ。自信を付けては驕り、他人だけが持っているモノを妬み、欲し、些細な事で怒る。そのくせ、色事には未だに疎く、怠惰を嫌い、暴食を律するヘンテコだ」


 真っすぐで誰もの見本となれるような人間は世界のどこを探してもいないだろう。

 “聖人君子”とは理想の体現者だ。

 想像の中だからこそ生きていける清浄な人間。


「だからこそ、そういう人間の複雑な心の中身を理解したい」

「無駄だと思いますよ。個が個を確立しているのは“心の歪み”です。その凹凸の細部を理解されるだなんて“誰も望まない”。なぜなら、人の心を理解した貴女の前では何も隠せないから。隠したい心の内を理解されることほど怖いことはありません」

「アタシは不躾に他人の心を暴きたいわけじゃない」

「同じですよ。相手の心を理解できるようになった瞬間から、貴女は他人の心を不必要に暴く悪魔です」


 そんな事はわかってる。

 他人を理解したいという欲求と、他人にこの心を見透かされたくないという願いは同居できない。

 ある程度の羞恥を抱いたその日から、アタシたちは自分の心の中に隠し事をする。

 それは小さな嘘だったり、ささやかな犯罪行為だったり、ちょっとした失敗だったり、大いなる成功だったりする。


「それでも……思い悩む奴らの手助けをしたい。もう……あの時みたいに泣かれたくないんだよ」


 アタシの偽らざる本音。

 これはあの子のために産まれたアタシの生きる原動力とも言える。


「その燃料にされる相手の事も考えて欲しいですね。そんな理由に使われて、結果的に人に後ろ指さされる生活になったらどうするつもりです?」


 相変わらず痛いところを突く。

 いや、自分が正しいと思ったことを貫いて不幸になる人間はたくさんいる事くらいわかってる。

 善意は必ずしも人を救わないし、正義感は物事の結果を保証してくれない。


「その辺の線引きくらいはキチンと見極めるよ。アタシがやりたいのはあくまで弱った人間を助けたいだけだ」


 そう言い切ると、この天災は軽く溜息を吐いた。


「それでも悪魔の如き所業ですよ。弱った人間が必ずしも自分を理解して欲しいと思うわけないでしょう」


 そう言ってからアタシに背を向け、言葉を吐き捨てた。


「まぁ、好きにすると良いと思います。人の心など、理解できないくらいが一番良いんですよ」


 あぁ、そうなんだろうね。

 人の心が見える奴からすれば、他人の心なんて理解したくないんだろう。

 だからこそ、あの子はアイツを好きになった。

 どんなに努力しても理解できないから。


 それでもさ。

 やっぱりアタシは理解したいんだ。

 わかんない側の人間だし、思い悩んでアタシたちを置いてった奴らを助けたかった。

 良い奴らなんだよ。

 だけど、知らない間に心の中に闇を抱えていて、いつの間にかこの世から消えていったんだ。


 そういう奴らを救いたいって思うのは“悪”ではないと信じている。

 それがあの子の言う通り、悪魔の如き所業でも。

 アタシは人の心を解き明かしたい。


 さぁ、扉を開けよう。

 自分の心の中にかかった鍵をこじ開けて、まずは己をさらけ出す。

 誰かのためになると信じて、誰かのためになると願って、アタシは走り続ける。

 願わくは、アタシに轢き殺される人がいないことを……。

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どこかの、いつかの、だれか 八神一久 @Yagami_kazuhisa

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