第15話 パーティー会場にて


「ところで、保美さんはこの町に何年居る予定になってました?最後のサンドイッチを平らげた健太が言った。」 


「それが……まだ見てない」


「ええっ、って、ああ……、まあ結構多いすよね。そういう人。きたばっかりの頃は、やっぱショックだし、書類にじっくり目を通す、とか、そんな余裕ないすよね。俺は即効で見たけど……。」


 それは全く健太の言う通りだった。


 この町に来てすぐ、五ツ木に渡された封筒には、十数枚の書類が入っていて、その中の一枚は、次回の転生予定、と書かれた、小さな封筒だった。


 私はそれを、この町に来て一週間以上経つ今でも、開けられないでいる。


「なんか、この町に馴染めば馴染むほど見られなくなるって、誰かが言ってたなあ。保美さんも、見るなら早い方が良いと思いますよ。あ、そうだ」


 コーヒーの入っていた紙コップをごみ袋に入れながら、不意に健太が声を上げた。


「そういえば、蒼真さんが、今日の夜八時頃喫茶店の方に来てほしいって言ってましたよ。まだ保美さんに言ってなかったっすもんね」


「えっなにが」


「今日、蒼真さんの喫茶店の十周年記念パーティーなんすよ。八時から。まあ、なんか予定入ってたら大丈夫だって言ってましたけど」


「そうなんだ、うん、蒼真くんにはお世話になってるし、ちゃんと顔出すよ」


 私がそう言うと健太は嬉しそうに目を光らせた。


「でも私は早めに帰るから、仁と蒼真くんの介抱は任せるね。」


「え、……まじっすか……」


 健太の目から光が消えて行くのが分かった。


 夜、蒼真の喫茶店の前まで来ると、確かに店内はいつもより賑わっている様だった。大勢の人間の楽しそうな笑い声が、外まで漏れて来ている。


 私は、打ち上げの時の蒼真たちの勢いを思いだし、ブラウスにパンツというカジュアルな服装で来てしまったが、大丈夫だろうかと、今更不安になった。


 その時、店の中から聞き覚えのある声がした。


「あれ?外に誰か居る?」


 その言葉と同時に扉が内側から開き、蒼真が顔を出した。


「あ、保美ちゃん来てくれたんだ!よかったよかった!」

「こちらこそ、呼んでもらっちゃってありがとう。これ、十周年のお祝いです」


 私が紙袋に入ったお酒を手渡すと、


「いいのにそんな!手ぶらで良いって言い忘れたもんなあ。ありがとうね。」

と言って、かわいい笑顔で包みを受けとった。


「さすが真面目大王」


 カウンターの奥から、仁の声が聞こえた。白いトレーナーにジーンズという服装で、大量のグラスにシャンパンを注いでいる。さすがに今日履いているジーンズには穴は空いていないようだった。


「私が真面目とか、仁は知らないでしょう」

「そんくらい見てればわかるだろ普通」


 仁はそう言って鼻を鳴らした。


 店内は、喫茶店の常連客や、蒼真の友人達で寿司詰め状態だった。なんとか壁際に居場所を確保し、仁に手渡されたシャンパンを受けとる。


「あ、そういえば会費とかって……」


 と、仁に尋ねようとしたが、仁は知り合いらしき人々に呼ばれ、離れた方に行ってしまった。


 店内の人々は皆、蒼真に招待されている人たちなだけあって、気さくで、優しそうな人々ばかりだったが、さすがに人数が多いのと、日中の仕事の疲れで少しめまいを感じた。


「保美さん!人やばいっすね!」


 蒼真にお祝いも渡したし、会費を渡したら帰ろう、とキョロキョロしていると、人混みに揉まれて金髪をぐちゃぐちゃに乱した健太が近づいてきた。


「あ、よかった。ねえ、会費って蒼真くんに渡せばいいの?っていうかいくら?」


「ああ、大丈夫っすよ。従業員は無料なんで。つかなんか保美さん、顔色悪くないっすか?まあそりゃそうか、保美さんの仕事肉体労働っすもんね。」


「あ、うん。だから私、そろそろ帰ろうかと思って……」


「まじすか。じゃあ仁さんに送ってもらったらいいっすよ。今日あの人車だし、今日は早めに帰るから飲まないって言ってたから。えーっと。あ、いた」


 健太が目をやった方向を見ると、仁がボックス席の端で他の客達と楽しそうに笑っていた。


「おーい、仁さん……」


 健太の声に仁が気づき、こちらを向いた瞬間だった。


 仁のすぐ傍に立っていた高いヒールを履いたかわいらしい女性が、人にぶつかられ、仁の方向に倒れ込んだ。


 女性の着ていた裾野広がった愛らしいワンピースが花びらの様になびく。


「す、すいません!」


 座っていた仁に上から激突していった女性は、顔を真っ赤にしてすぐさま謝り、仁は無表情のまま落ち着いた様子で女性に席を譲り、私達が居る方に歩いてきた。


「仁さん、大丈夫でした?」

「おう。ヒールで足踏まれたけどめっちゃ良い匂いしたから大丈夫。」


 仁は若干遠い目をして言った。


「えー!まじすか!石鹸系?お花系?」

「シャンプー系。」

「君達、僕の店で女性陣がドン引きする会話堂々としないでくれる?」


 蒼真がカウンター越しに声をかけた。私の表情が見えていたかのようだ。


「いいか健太、俺のようにいかなる状況下でも、下心を決して表に出さない事が重要だ。」


「仁さんって時々すごくこの人モテないだろうなって発言してくれるから俺好きです。」


「君達いいかげんにしようか。」


「それで?なんか俺の事呼んでなかったか?」


「あー、そうそう。保美さんがもう帰るらしいんで、具合悪そうだから、仁さん送ってってくれないかなって……」

「って、思ってたんだけど、大丈夫。よく考えたら近いし、大丈夫になったから」


 私はなんだか妙に複雑な気持ちになっていて、言いながら、カウンターの裏に置いていた鞄に手を伸ばしていた。自分でも相当面倒臭いことを言っているのは分かっていたが、仕方がなかった。


「あ?なんで、ちょっと待……」


 仁が私の手首を掴む。

 次の瞬間、私の顔は白い壁と仁の白いトレーナーの布地に、ごん、と鈍い音を立てて挟まれていた。痛い。おでこを結構な勢いでぶつけた。ものすごく痛い。


「あ、ごめんね、お兄さん。ぶつかった?ちょっと通るよー。」


 仁の体と壁の間からなんとか顔を出すと、仁のすぐ後ろを十人くらいのグループ客が横切って帰って行くところだった。


 それを見て、団体客にぶつかられた仁がこちらに倒れ込んできたのだと気付いた。筋肉質で体格の良い仁は、ぶつかられやすいらしい。


 顔を上げると、仁は仁で私の後頭部に鼻をぶつけたらしく、若干涙目になりながら右手で自分の鼻を、左手で私の後頭部を押さえていた。さっきもヒールで踏まれたとか言っていなかっただろうか。


「大丈夫?鼻……」


 私が自分のおでこをさすりながら、仁の顔の方に手を伸ばすと、


「大丈夫、大丈夫だから。お前こそ頭大丈夫か。」


と、なんだか複雑な気持ちになる言葉で私の事を心配してくれた。


「大丈夫?氷使う?」


 蒼真が心配そうにこちらを見ている。


「ああ。悪い」


 仁はそう言って立ち上がり、キッチンの方へ向かって行った。


「あ、お前待ってろよ、ちゃんと送ってくから」


 ふいに振り返り、私の方を指差した。


 それを見て蒼真が少し焦った様に、声をかけた。

「ちょっと待って、仁お前酒飲んでないよね?」

「飲んでねーよ。なんで。」

「顔が赤過ぎる。」


 それを聞いて、健太もまじまじと仁の顔を覗き込んだ。


「ほんとだ。」

「だから飲んでねーよ!」

「えーっと、じゃあ何でそんなに顔赤いんですかねえ仁さん……。ね、保美さん?」


 健太が私の方を振り返り、意味深に微笑む。仁は「は?」と言って、一瞬固まり、私の方に視線を戻した。漫画の様に、耳まで真っ赤になっている仁と目が合う。


「……冷やしてくる」


 そう言って仁は、ロボットの様にぎこぎことした動きで向きをかえ、キッチンへ向かった。一回、空瓶が入っている箱に間違えて足を突っ込んでいた。


「仁さんって、本命に対してはリアクションが全部表に出ちゃうタイプなんすねえ。」


 健太がグラスを口元に当てながら、大人びた様子でつぶやいた。

 


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あちらがわは新緑の町 国仲順子 @yutarena

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