第10話 かわいそうなこと

 次の日、私と仁は麦わら帽子を被り、何も植えられていない、耕されたばかりの広大な土の上に並んで立っていた。


 私は蒼真に借りた紺色のTシャツと、黒いジャージに黒い長靴を履き、仁は白いTシャツに分厚そうなデニムパンツを膝までまくり上げ、同じく黒いゴム長靴を履いていた。


 首に巻いた白いタオルが、本人は気づいていない様だったが、今まで仁が身につけていた物の中で一番似合っていた。


 昨日、私と仁が冷たいお茶を飲み終えた後、蒼真が言ったのだ。


「そういう訳だから、いたれりつくせりに見えるこの町も、実はシビアなギブアンド、テイクで成り立ってるわけですよ。保美ちゃんには申し訳ないけど、昨日の歓迎会はもちろんおごりとして、このハーブティーの分は、恩返ししてもらっても、罰は当たらないよねえ。」


 蒼真は二日酔いで虚になった顔面に、不気味な笑みが浮かべて言った。


 そして今日案内されたのがこの場所だった。


「はい!それでは皆さん、今日はこの場所に、僕のお店で使う無農薬野菜をどんどん植えていきたいと思います!今日は皆、僕のために集まってくれてありがとう!!」


 蒼真がそう言うと、周辺で畑の柔らかい土で一生懸命に山やお城を作っていた子供達が、真っ黒に染まった手の平を頭上にあげ、「はーい!!」と返事をした。


 大人は私と仁しかいない。子供達の中には、一昨日の演奏会でピアノを弾いていた子供も何人か居た。


 子供達の役割は、耕された栄養豊富な土に、ひとさし指を沈め、小さな窪みを作っていく事だった。


 それが一通り終わったら、子供達一人一人にラディッシュの種を配り、その種を窪みの中に丁寧に蒔いて行く。


 なぜラディッシュなのかと言うと、育ちやすく、喫茶店の料理に添える野菜として彩りも良く、子供達の小さな手でも収穫しやすいというのが主な理由らしかった。


 私と仁の仕事は、子供達が遠くの方まで行き過ぎない様に見守ったり、作業の流れを説明したりする事だった。


 ほとんど引率の先生のような感じだ。


「いつもは仁と健太に頼んでるんだけど、今日は健太が来れないらしくてさ。仁だけだと、おとなしい子とか泣いちゃう時あるんだよね。いやあ、ほんと保美ちゃんが仁と知り合いでついてたなあ。」


 蒼真はそう言っていたが、私は実は子供と直接関わる機会を今まで持った事が無く、子供という生き物と、具体的にどう接して良いものなのか、何一つ知らなかった。


「子供とはいえ、自尊心もあるだろうし、性格や個性もあるんだし、幼少期に大人から言われた言葉っていうのは、人格形成に少なからず影響を与えるものだと思うし……」


「蒼真せんせー。この人なんかブツブツ言ってるー!へーん!つまんなーい」

「知ってるー、それ、ひとりごとってゆーんだよ!おたくの人がやるんだよ!」

「ねーねーそれより仁せんせーにどろんこぶつけよーよ!」


 子供達は圧倒的なエネルギーとパワーをもって、私たちを圧倒した。


 正確にいえば、圧倒されたのは私だけで、蒼真も仁も、子供達の扱いによく長けていた。


 蒼真は立っているだけでつねにそこを中心に子供達が台風の様に回っているし、仁は見るからにいたずら好きそうな活発な男の子を両脇と広い肩に抱え、文字通りまとめ上げていた。


 私はどうしたら良いのかわからず、とりあえず、野菜の種や土を運んだり、子供用のジョウロの一つ一つに水を入れる作業をしていた。


「蒼真せんせー、あのせんせーは何ていうせんせーなの?」


 栗色の髪の毛を上品に結わえた、目の大きな女の子が言った。


「あの先生は、保美先生っていうんだよ」

 次の瞬間、蒼真を取り巻いていた子供達の動きがぴたりと止まり、大きな瞳と真っ赤な頬で私を見つめた。


「やすみせんせーって言うの?」

「やすみだって!」

「やすみせんせーだって!すごいねえー!」


 子供達は私の名前を知ると、とたんに面白がって私の周りを取り囲んだ。


「ねえねえなんで、やすみせんせーっていうの?」

「やすむのが好きだから、やすみせんせーっていうの?」

「たぶんさ、ちがうよ。だってさ、名前ってさ、親がつけるから、やすみせんせーのお父さんとお母さんがやすむのが好きだったんだよ。きっと。」

「やすみせんせーなのに、やすんでなーい!」


 


 ころころ変わる子供達の表情を見ていたら、私もだんだんと緊張していたのが解けていき、なんだか可笑しくなってきて、親が自分につけてくれた名前の由来を説明している間、ずっと笑いを堪える事態になってしまった。


そんな私の様子を、子どもたちはますます面白がった。


「やすみせんせーなのにやすんでなーい。」


 通りすがりに、仁がつぶやいて行った。口元は仁も、笑いを堪えるように微妙に歪んでいた。


 本当に、『やすみ』なのにやすんでなかった日常を今まで過ごしていた事は、五ツ木以外の誰も、この町で知る人は居ない。


 しかし仁はいつものその、何でも見透かして居るような瞳で、大騒ぎする私たちの隣を通り過ぎていった。


「ねえねえ。やすみせんせーは何が好き?うちはねえ、お人形で遊ぶのがさいきんのマイブームなんだ!」


 きっとこの、髪が短い利発そうな女の子は、最近のマイブーム、という言葉をつかうのがマイブームなのだろうな、と思った。


「そうだなあ。私もお人形は好きかなあ。」


 私がそう答えると、女の子達の眼差しがいっそう光った。


「アパートの近くにね、多分昔っからあるんだろうなっていう、中華料理屋さんがあるんだけど、そこに軍手で作った犬の人形が有ってね。一個千円で売ってるんだけど、中華料理の油で日に日に汚れて行って、誰も買わないまま放置されてるのね。あれ、なんか好きなんだよなあ……。買う気にはならないんだけれど」


 子供達は、期待していたお人形の話とは違っていたようで、ぽかんと口を開けて聴いていた。


「それ、どこのお店?」


 子供達が風になびくたんぽぽの花の様に首をかしげる。


 しまったと思った。あの中華料理店は、この町では無く、生きていた時に行っていたお店だったのだ。


「ええと、もう無いお店なんだよ。」ととっさに答えた。「私も、もう行けなくて残念だなあ。あそこの山菜チャーハン美味しかったんだよね。すぐメニューから無くなっちゃったんだけど。私が好きになるメニューってだいたい何故かすぐ外されちゃうんだよね……人気が出なくてさ」


 少し離れたところで作業していた仁が吹き出した。


 そこに坊主頭の泥だらけの少年が「スキあり!」と叫んで土の塊をぶつけていた。


「うちね、くつしたでお人形作ったことあるよ!おばあちゃんと一緒に。」


 先ほどの、利発そうな女の子が言った。


「それってあっちで?こっちで?」


 と別の子供がたずねた。


「あっち居たとき!」


 と、その少女は得意そうに答えた。


 あっち、というのが、彼らが生きていた世界の事を言っているのだと、すぐに分かった。


 私は、生きていた頃の話をするなんて、子供達の中にはつらい子も居るのでは無いかと、内心とても焦った。


 この子も本当は今、泣きたい様な気持ちでそれを言っているのでは無いだろうかと思ってしまう。


 しかし子供達は、別にどうという風も無く、ふーん、とか、自分もあっちに居たときはこんなものを作って遊んでいた、だとか、本当に何でも無い事の様に話をしていた。


「あいつらの周りには、同じ境遇のガキしかいないからな。」


 仁は片手にクワと、片腕に先ほど仁に土をぶつけていた男の子を抱えて言った。


「俺達からしたら、ちょっと信じられないけどな。こいつらにはそれが普通なんだよ。まあ、誰も居ない所だと泣いたりしてるかも知れないけど、周りに誰かが居るときはこいつらは、そういうのを絶対出さないんだよな。それで、その事は当たり前の事ではあっても、かわいそうな事だとは、本人達は思ってねえんだ。なあ。」


 そう言って、仁は小脇に抱えた男の子に話しかけた。


「意味わかんねーし!離せよ!」


 男の子はそう良いながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。


 男の子が、仁の腕からすり抜け、離れた所に駆けていくと、


「それに、本当かどうかは知らないけど、あっちの世界に置いてきた家族とか、恋人とか、深く係わり合いのある人間と、深く心が通じ合っていれば、次に生まれ変わる時も、ちゃんともう一度、会うことが出来るんだとよ。」


 だからここに居る子供達は皆、めそめそする事などとっくにやめて、今の生活と向き合い、日々を送っているのだと、仁は言った。

 

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