あの日、星が流れていたら

木立 花音@書籍発売中

あの日、星が流れていたら

 こんにちは。


 久しぶり。


 お元気ですか?


 あの日私が思い描いていた夢は、今も変わることなく、心の中で綺麗な輝きを放っていますか?


 私ですか?


 うーん、そうだなあ──。


☆☆☆


 ──これは、今からさかのぼること十年ほど前の話。


 夏休みに入るまで一週間をきった、とある日の放課後。

 私と涼子りょうこたけしわたる。部活動が終わり、仲良し四人組が顔をそろえたタイミングで、なんの脈絡もなく突然渉がこんなことを言った。


「これからさ。みんなで海を見に行こうぜ!」


 もう真っ暗だぜ、と呆れたような、それでいてまんざらでもない顔で、剛が空を見上げて言う。彼の視線が向いた先。紺碧の空には一番星。日はとっくに落ちてしまっていた。


「遅くなるなら、家に連絡入れないと不味い」


 そう言って携帯電話を取り出したのは、私の友人である涼子。制服のスカートを抑えてしゃがみこむと、耳に掛かった髪の毛をかき上げながら電話を掛け始めた。


彩夏さやかは来るだろ?」


 なんて。

 涼子に向けていた視線を外し、短く刈り揃えた後頭部を指でかきながら渉が歯をみせて笑うから、心臓が暴れ始めた私は、熱を帯びた顔を俯かせて「うん」と曖昧に頷くことしかできない。


 高杉渉たかすぎわたる

 彼の姿を見るだけで、息ができなくなる。胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、一瞬で頬が熱を帯びて苦しい。

 見ているだけでも幸せ。そう思いたいのに、心の中にいる私はそれを許してくれない。気持ちを伝えられないもどかしさに、また今日も泣きそうになる。


「じゃあ、行こうか」


 電話を終えてぱっと破顔した涼子に、「うん」と私はもう一度頷いた。

 たぶん、声はさっきよりも震えてる。


☆☆☆


 海へ向かう途中でコンビニエンスストアに寄った私たちは、そこで弁当を買って簡単に夕食を済ませた。「そうやってしゃがんでると、涼子不良みてえ」なんて剛が涼子をからかい、渉がそれを見て笑う。そんな三人を、少し距離を置き見ている私。

 弁当を片付け、再び自転車を走らせること三十分。

 たどり着いた学校からほど近い場所にある海は、覗き込んでいるだけでも意識ごと吸い込まれそうな漆黒の海。

 頭上で無数の星たちが瞬いている。星の輝きを阻害する世俗的な光源が存在しないその空間では、いつもより星が輝いているようにすら見えた。放射状に光を落としている満月が、水面に白い影を色濃く映している。


 真っ暗な防波堤の上に四人並んで座り、将来の夢をみんなで語り合う。平凡で、淡々とした高三の夏が、通り過ぎてゆく。

 こうしているうちにも、青春はただ無益に消化され、膨大な過去の一辺として積み上がっていくんだなあ。

 三人の話に耳を傾け、そんなことを考えながらぼんやり海を眺めていたその時、視界の隅を流れ星が流れる。

 漆黒の空を二つに別つ。

「あ」という呟きを落とし、渉がすっくと立ち上がる。防波堤の上に仁王立ちになると、両手を口に添え海に向かって叫んだ。


「俺、将来はサッカー選手になりたいんだ!」


 そうして、三回。

 こちらを向いて、薄っすらと歯を見せて笑う。「こうして流れ星に向かって叫んでいれば、どんな夢だって叶う気がするんだよ」と。幼いころから何度も見てきた彼の癖。私だけが知っている彼の表情。


「おめーなら、絶対になれるぜ」


 と剛が彼の言葉に同意を示し、渉に見惚れていた私の顔を、遮るように涼子が覗き込んでくる。「ところで、彩夏の夢は?」なんて訊いてくる。


 私と渉は幼馴染。

 家がご近所同士だった私たちは、小学校に上がる前からずっと友達だった。当時から泣き虫だった私を、明るくて運動神経の良い渉がいつもエスコートしてくれた。私が男の子に苛められていても、必ず飛んできて庇ってくれた。

 やがて中学に進学し、彼のことを異性としてみるようになった私は、彼に恋をしている自分を意識する。

 けれど、相変わらずどこか子どもっぽい渉は、女の子になんて関心を示さず、私たちは変わることなく友人のままだった。

 やがて高校に進学し、剛と涼子が同じクラスになって、私たちは四人で一緒に行動する機会が多くなる。

 私は変わることなく渉の背中を追いかけていたけれど、いつしか気がついた。彼の瞳が映している相手が、既に自分じゃなくなっている事実に。


 涼子は美人だ。

 私と違う、ぱっちりした瞳と長いまつ毛。

 私と違い、背中まで伸ばされた艶のある黒髪。

 私と違い、男子らの羨望の眼差しを集める、屈託の無い笑顔。

 幸せそうな彼女の顔から、なにもかもが自分とは正反対であることを感じ取るたび、私はいつも泣きそうになる。


 私の気持ちなんて、全然知らないで、と口をついて出そうになった不満を慌てて飲み干した。

 だから今日も、セーラー服の袖をぎゅっと握り締め、それとなく語尾を濁すにとどめる。


「もし、流れ星がもう一度流れたら、その時言うよ」


「なにそれズルい」と涼子が呟いて、それから空は段々と曇ってきて、結局星は流れなかった。

 ううん、流れたとしてもどうせ言えなかった。


『彼のお嫁さんになりたい』なんて──。


 そんな感じの子供っぽい夢、言えるはずなんて到底なかった。


☆☆☆


 ──あれから、十年。


 都内にある結婚式場。会場を出てから見上げた空は、今にも泣き出しそうな曇天だ。

 十年前のあの日、見上げた空とよく似た色。

 私の心に降り続いている雨を投影したような、悲しみをはらんだ重々しい空の色。

 あの日もし星が流れていたら、なんて、馬鹿げた妄想を抱くのはとうにやめた。

 それでも『私の夢』は、今も変わることなく心の中で輝いている。夢から、『大切な思い出』にその名称を変えて。


「結婚おめでとう。末永く、お幸せに」


 友人二人に向けたメッセージを、そっと囁いた。


 サヨウナラ、追憶の日々。サヨウナラ、私の初恋。


 零れ落ちた涙を拭うと、私は前を向いて歩き始めた。


~END~

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