そらわたり

ドント in カクヨム

ある村にて



 ほれ。あんた。

 あんまし覗いとぅと、よくないで。あぶないあぶない。

 そこの谷ャ、底無しや云うからな。深くて暗くて、なんも見えンじゃろが。

 なんも見えんちうてよォく覗くと、落ちてしまうかもしれんからな。



 あんたさん、役所の人じゃろうね。それも村ン方でなくて、市の方のだがや。それとも、県の方からかの。

 ン。なして判るンやちゅうてョ。あんたみてぇに若いモンが、こがいな村に来るちうたら、お役所の仕事くれぇなもんだヤ。

 戸籍調査やたら住民調査やたら、そげだもんでしか来んじゃろが。



 住民調査か。へへ。へへへ。当たりよの。当たり。こんな婆のカンも、バカにはでけんもんよ。

 まぁホレ、山奥ン割にゃ、ここも広い村だで、歩くのも大変じゃろが。あんたワシのとこで、ちいと休んでいきんせ。 

 あんたみてェな若い人に、ハナシておきてェこともあっからよ。なにそんなにゃかからねェ。お茶ぐれぇは出すからョ。玄関先でええから、上がっていきンせぇ。

 ホレ、あの、アレよ。福祉みてェなもんと思ってョ。婆のハナシ、聞いていきんさいや。





 はァどっこいしょ。ハァー、イタイイタイ。

 なに、なんちゅうこたぁねぇ。ヒザと腰が痛ぅてよ。こんだけトシとりゃあ痛くもなるで。

 百姓仕事もでけんようになったヤ。しゃがめんからョ。

 そこの畑ャ、誰も手ェつけんようになったャ。爺様がおらんようになって、もう三年になるで。

 ちぃと下の店屋に行くンも一苦労ョ。ここの坂道がきつうて。こりゃ若い人にゃわからん苦労だわ。


 

 トシかや。

 今年で、八十八になったヤな。 

 米寿じゃちうて、ホレ、役所からなんやら届いたで。そこにあるで。ふにゃっと曲がった、肩ァを押す、プラッチックの棒よ。肩なんか凝りやぁせんのによ。へへへ。なんもわかっとらんや。



 イシャか。ヒザと腰の。

 整形外科に行ったらえぇ云うんかや。

 イシャには行ったでや。一昨年おととしに、バスと電車と乗り継いで、苦労して遠くの、市内のイシャに行ったぢゃ。

 診てもらって、レントゲン撮てもらて、結局ョ、がすり減って、どもならんちうこったった。

 テレビでやっとる、ヒザ腰の薬も、高くて買えンや。年金暮らしやさげの。

 坂ン下のサトウさんとこのオヤジがョ、そげだもん通販で買って、なんも効かん、最初だけ安くて、金ばっかり出ていって困る、文句云っとったや。

 へへへ。トシにャ逆らえんのよ。誰もな。しかたないことよ。



 ほいで、住民調査じゃ云うけどもよ。

 あんた。正直に云いんさいや。 

 本当は何を調べに来たんじゃ。 



 えぇんじゃえぇんじゃ。びっくりせんでも。顔に書いてあるけ。

 若い人ァすぐ顔に出るけ、ようわかンのよ。トシゃとると逆じゃがよ。心もよう動かんなるし、顔もホレ、シワだらけで、形相もわからんようになるで。あはは。



 ほいで、まァ見当はつくけンどよ。あんた何を調べてなさる。

 ンヤ。安心してけっちゃ。誰にも云わんでョ。



 ははァ。

 年金の、フセイジュキュウ。

 ハーなるほど、そっちから来たンかね。

 その、年金もらう、その本人が、ちゃんとおるかどうか確認をしに来たちうワケかな。

 お上ちうのは、財布のヒモがしっかりしておられるや。いや、あんたの悪口ャないて。もっと偉い人のことョ。


 三郎さんとこの。あそこの婆様か。

 親戚が、市の方におわっしゃったかや。妹さんが。ははア。問い合わせて。

 あそこの婆に、妹がおるのなの知らねェかったや。今までなしのつぶてで、連絡がつかんからって、今さらどうのこうの…………

 勝手なもんじゃで。


 ウン。ほいであんた、三郎さんとこに行って。ウン。婆様にゃ会えたンかや。

 出かけてるちうて。で、三郎さんは何と云うとったや。

 散歩。散歩か。ははは。

 そうやろの。

 あそこの婆様ァわしよりヒトツ上じゃったで。腰も曲がってョ。ワシも曲がっとるが、あそこの婆様はもっと曲がって、海老よ、海老。ゆでた海老ごたる姿でな、村ン中をなんするでもなく、ヨタヨターッ、ヨタヨターッと歩くもんじゃったで。 



 あんたもお気づきになっとろうが、三郎さんとこの婆は散歩に行っとるワケやないで。

 細かいこと云うたらその、年金のフセイジュキュウには当たるかもしれんけどもな、でも、そう簡単な話じゃないんで。



 あんたが来たワケをみんなに黙っとるかわりに、ワシがこれを話したことも、村の外ニャ黙っておいてくれたらえぇ。

 ほんで、おあいこよ。

 まぁこれを、村の外で話しよったら、えれぇことになるけどな。あんたァ、時の人になれるがよ。テレビに新聞に雑誌に……



 あのな…………

 この村じゃョ、そらわたり、云うことァやっとるんじゃ。

 そらわたりよ。

 お空を、渡るンよ。



 いつからはじまったのかは知らねンちゃ。ワシが物心ついたときにゃもう、マレにやっとったで。

 なんでも、江戸時代より前からやっとる、云うハナシじゃで。が起きたりした時ャ、ようやったそうじゃが。

 ほいでもまぁ、ワシは十五になるまで、ンー、二回しかやらんかったから、昔ャ少なかったんじゃな。やる必要もなかった。

 戦争でドタバタしてそれどころじゃなかったり、景気が上向いたり、時代のせいかもな。

 男衆は出稼ぎに行って、女子供ァ畑仕事ョ。そいでもまンず暮らしてけるカネぁ入ってきたからな。 

 ほいでも、バクチや酒で身ぃ持ち崩しよるバカタレもおったげが、そういう奴ァ、ちぃと無理くりに、「そらわたり」されてたやな。




 ここ十年かな。「そらわたり」がグッと増えたんはョ。

 年寄りが、やるわいね。

 やっぱり村ァ過疎化して、先細りになると、ここにおるより、空を渡りたくなるんかもな。



 ン。

「そらわたり」って、なんじゃとな。



 あんたさっき、谷ィ覗いてたじゃろが。

 あすこに一本、太ォい松の木ィがニョッコリ横に生えてンの、見たかや。

 ほうじゃほうじゃ。あの深い谷の真ン中あたりまではりだしとる、あの松じゃ。



「そらわたり」はョ、あそこの松の先まで歩いてって、その先から、空に歩いていくンよ。

 

 空のずーっと先までな。

 安穏平和な極楽浄土のある、空の先よ。



 あんた。

 あんた、まぁ聞きなさい。

 そうゴブサレんと。落ち着いて座りや。



 さっきャ無理くりに言うたが、そらァ昔のハナシよ。今は自分で「いきたい」云うたモンが、そらわたりするんじゃ。

 まぁまぁ、聞きんさいな。

 そらわたりはの。えぇ儀式じゃよ。

 そらわたりするて決めたモンはよ、村の衆からそら盛大に祝われるんよ。村役場の人も総出でな。

 いいモン着させられて、ンめぇもん喰わされてな。まぁ年寄りが多いけ、あまり硬ェもんは喰えんがよ。プリンやたらおすしやたら、そういうもんをわざわざ買ってきて、祝われるんじゃ。

 ほいから、あの谷に行く。村の衆みんなでな。

 松の根本まで連れてって、酒飲んで、みんなでそらわたりの唄ァ、唄うやな。



 谷の向こうにャ ごくらくあるぞ

 あんのんぐらしの おくにがあるぞ

 ソラソラホレヤ そらわたりャ 

 ええとこいけるや ホーーーイホーイ



 こんなんを唄うんや。

 ほいで、そらわたりするモンが松を歩き出すと、みんなして背ェを向けることンなっとる。

 そらわたりはの、見たらいけんことになっとるでな。

 ありがたい儀式じゃからよ。

 途中で落っこちたりはせんよ。神様仏様が、ちゃあんと松の先まで護ってくらっしゃる。

 そいでョ、「ぎしっ」と、松の根ェがしなって、軽くなる音がしたら、そらわたりのおわりよ。

「アーイヤ、あそこの婆様も見事に渡られたで」

「ほんにすぐさまあちらの極楽に行かれたヤ」

「ホントウに、えぇとこに行かれたのう」

 そがいに口々に褒めたたえて、全部終わるんじゃ。


 これが「そらわたり」よ。

 ここ一年でェ、五回はやったかの。その、三郎さんとこの婆様も、半年ほど前に無事に渡られて…………



 あんた。

 あんた! 大きい声出すなィ! 

 落ち着きンさいや。なぁ。

 ほれ、そこの、のみさしのお茶ァ飲んで。


 これはの、もうズゥーッとやっとることじゃ。

 外のモンからとやかく言われるこたぁないで。


 あのな、信じるも信じないも…………いや、あんた、あんた勘違いをなされとるんやな。

 都会の人じゃけ、勘違いするのも道理かもしれんがョ。

 


 えぇか。

「そういうこと」になっとるんじゃ。

 わかるか。

「そういうこと」として、村のモンはそらわたりをやっとるんじゃ。

 みんなわかっとるんじゃよ、なんもかも。


 山ン中の村じゃからて、年寄りが多いから云うて、なにもホントウと信じとるわけやないで。

 みんなしてョ、「そういうこと」として、割り切ってやっとるんや。

 しかたなしにな。

 ヒザ腰が痛くなるのとおンなじよ。しかたないことよ。

 病気になったり動けんようになったりして、町の病院に入って、いらん銭を使うよりは、とな。



 あんた。

 あんた、そういきどおられるがな。

 あんたのいる町や役所の方でも、「そういうこと」になっとるモンはいっぱいあろうが。

 都会の人も、「そういうこと」とか「しかたない」ちうて、あきらめとることが多いじゃろ。

 それとおんなじよ。なんの違いがある。

 なんの違いもなかろうが。



 それで、あんたにこのハナシをしたワケじゃがな。

 そろそろワシも、今年あたり、「そらわたり」するつもりでおるのよ。

 そう驚かんでえぇけ。

 このトシで、ヒザ腰のせいで百姓もでけんじゃで、村のお荷物じゃ。世話になってまうことも多くなってきた。

 周りのモンからも「ごくつぶしの未亡人が」云うような、きつい目ェを向けられることが増えた気がするで。

 居づらいんじゃよ。ここに。

 かと云うて親戚に頼るのもあれじゃしよ。引っ越しなぞしたら、それこそ居づらいで。

 ワシもそういういやな目ェで、村の年寄りを見つめた時期もあったげな。今度はワシが、見られる側になったまでよ。

 まったくよ。ただ生きとることがつらいことになるとは、夢にも思わんかったで。


 ワシもそろそろ渡らにゃいけんかな思ゥてたら、なんや胸のあたりがモヤーモヤしてなぁ。誰かに聞いてもらいたかったとこに、あんたが来た。

 それだけじゃ。

 悪いモン聞かせてしもうたかもしれんな。すまんことをした。



 でもなァ……もしかしたら、あるのかもしれんで。

 空の向こうにョ。安楽な極楽浄土があるンかもしれんで。

 ワシは松の木の端から空を渡って、そこに行けるのかもしれんで。

 先に行った村の衆が、向こうで待っとるかもしれんで。

 …………ふふ。そう考えんと、浮かばれんわい。





 ホレ、わしのハナシはこれで終わりじゃ。

 あんたさん、役所に帰ってョ、うまいことハナシ、作っておいてくだっしゃい。

 年金のフセイジュキュウも、そらわたりのお祝い金じゃ思って、黙っておいてくだせぇや。

 年金の勘定のこたァ、村の衆にゃわしがそれとなく、あんたのことは隠して、ワシから云うておくで。若いモンがうまいことやるじゃろが。


 警察に云うたらいかんで。


 警察に云うたら、ワシらも、あんたの立場も、あんたの上司の立場も、もっと偉い人の立場も無ぅなるでな。

「ギョウセイのタイマン」とかョ、「ヤバンな儀式」とかョ、「くるった村」とかョ。なんも知らん輩に、さんざっぱら云われて書かれて語りつがれるで。

 あんたの名前も残る。

 そこンとこをよう考えて、行動しんさいや。



 なぁに。なァんもなかったような顔して、ほうっておけばいいんじゃ。

 三郎さんとこの婆様は元気でおったし、「そらわたり」なんて儀式はねぇし、村は平和だったと、そう云うておけばえぇんじゃ。



 あんたらが手ェをつっこまんでも、年寄りばっかりのこの村は、あと十年もしたら、なくなってしまうからよ。

 お役所は、そういうのは得意じゃろ。わからぬフリ、見て見ぬフリはョ。

 その得意なところで、ワシらのことは忘れることじゃ。

 今さら引っかきまわされても、困ることばかりじゃて。ほうっておいてくだせぇ。



 あんた、そげにワシに頭を下げんでもえぇんじゃ。あんた……泣かんと。泣いたりせんでもえぇで。

 あんた一人が悪いンじゃないからな。云うたらョ、みんな。みんなが悪いんじゃ。みんながな。

 しかたないことじゃて。しょうがない。これが世の流れと思いンさい。



 そうじゃそうじゃ。気ィを確かに、道中、足元に気を付けてな。 


 ほいから、帰り道にさっきの谷があるじゃろう。もう覗かん方がえぇぞ。 

  わかるな。

 谷の底にャあ、チロチロと川が流れとるだけじゃ。

 深くて暗いからョ、へんなものが見えて、クラーッときて、落ちてしまうとコトじゃからな。

 さっきみてぇに、覗かんことじゃで。



 帰りんさい。町に帰りんさいや。

 報告したら、この村のこたぁ、スッカリ忘れることじゃ。



 万事平穏、世はこともなし。

 偉い人にはそう、云うといてくだせ。



 

 

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