公衆電話パラダイス

亜済公

公衆電話パラダイス

 列車は十五の駅を通過し、徐々に速度を上げていった。私以外に乗客はない。カタコトと、かすかな振動が座席のクッションを通して伝わる。窓の外には、夕日に照らされた街並みが広がり、絶えず後方へ流れていった。赤い屋根、青い屋根、黄色い屋根、白い屋根……。時折、小さな中庭があって、びっくりするほど綺麗なひまわりが咲いていたり、屋上の白い洗濯物が、バサバサと勢いよくはためいていたり。それらは一瞬、姿を見せて、強烈な、網膜に焼きつくような印象だけを残していった。

 日の光に暖められた車内には、夏の匂いが充満している。心の奥に疼くような、焦がれるような温かい匂い。

 やがて、列車は速度を落とし、駅のホームへと滑り込む。線路が甲高い悲鳴をあげて、聴覚がいっぱいに埋め尽くされた。

「さようならはさびしい」

「きのうあったかもしれない」

「あたたかいね」

 歯の隙間から、息を吹き出すような音を立て、金属製の扉が開く。広告のシール。自動ドア。ぷしゅー。同時にがやがやという話し声が、車内へいくつも侵入した。

「くるしまぎれのからまわりだよ。なんども」

「さかなはこぼねがおおいんです」

 公衆電話に、足が生えたような人間だった。すね毛がちくちく飛び出していて、親指には水色のネイルが塗られている。テレフォンカードの挿入口から、黄色い歯がちろりと覗き、一、二、三……と数字の記されたボタンには、手垢がべったりついていた。

「こくばんけしがないんだな」

 列車の扉が閉まり、再び風景が流れ出した。公衆電話は、全部で五つ。彼らはケタケタいやらしく笑い、誰かへ電話をかけていた。自らの受話器を自らに当て、自らのボタンを自ら押す。その唇から唾液が跳ねて、私の頬に張り付いた。

「やまのたけのこしちじゅうごにち」

 彼らの様子を眺めながら、私はふと、ある瞬間に気がつくのである。そうだ! そうに違いない! 


 ——けれども、まだ、何に気がついたのかを、私は知らない。

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公衆電話パラダイス 亜済公 @hiro1205

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