書籍化記念SS 「今の幸せ」
サーラがその手紙を受け取ったのは、ルーフェスの妻となってから、しばらく経過したある日のこと。
ソリーア帝国の風習や気候にも慣れ、心身ともに余裕が出てきた頃だった。
社交界に出たり、ロードリアーノ公爵家の領地に建てられた孤児院を訪問したりと、忙しいながらも充実した毎日を過ごしていた。
そんなサーラに、執事が恭しく一通の手紙を差し出した。
「リナン王国から奥様に、お手紙が届いておりました」
「え?」
手渡された手紙を見て、サーラは首を傾げる。
「誰かしら……」
心当たりはまったくなかった。
もちろん、両親や兄ではないだろう。
兄は王族を襲撃した罪で身分をはく奪され、王都から追放された。母は爵位を譲った父と一緒に、地方の領地に移り住んだと聞いている。
さらにカーティスがサーラとの婚約を破棄したときに、親しくしていた友人たちとも縁が切れている。
今さら、サーラに手紙を送る者がいるとは思えなかった。
(むしろわたしがどこにいるか、誰も知らないはずよね?)
不思議に思って手紙を裏返すと、見覚えのある名前と筆跡だった。
「まぁ……。ユーミナス?」
懐かしい名前に、思わず声を上げる。
彼女はサーラの従姉妹で、たしかにユーミナスならばサーラの居場所を知っているだろう。
兄の罪の責任を負う形で、父は爵位をユーミナスの兄に譲り渡していた。だから今のユーミナスは、エドリーナ公爵の妹である。
そのユーミナスが何の用だろうと、不思議に思いながら手紙を開く。
なぜ叔母夫婦ではなく、その息子が継いだのかというと、叔母夫婦はほとんど父の言いなりだったからだ。実際に、父に言われるままにユーミナスをカーティスの婚約者にしただけではなく、さらにそれを破棄させて第二王子と婚約させたりしていた。
その第二王子との婚約も、彼が、カーティスが襲撃された事件に関わっていたことで罪に問われ、白紙となったと聞いている。
サーラがそうだったように、どちらもユーミナスの意志など関係のない、政略的な婚約だった。
それなのに二度も王族との婚約が破談になったことにより、リナン王国に住みにくくなってしまったらしい。
兄の将来にも差し触りがあると悪いので、サーラを頼ってソリーア帝国に行きたいと考えているようだ。
手紙を読み終わったサーラは、深い溜息をついた。
ユーミナスもまた、父の野望の犠牲者である。
少々気位が高く、他人にも自分にも厳しい彼女のことだ。周囲から、婚約が二度も解消された傷物令嬢と噂されるのは、耐え難いほどの苦痛だったに違いない。
もちろん彼女が望むのなら、喜んで受け入れるつもりだ。
ユーミナスには、カーティスの婚約者という立場を押し付けて、自分だけ逃げてしまったという負い目がある。
すぐにルーフェスに相談すると、彼も快諾してくれた。
「サーラが会いたいのなら、かまわないよ。客室を準備させよう」
「ありがとう。さっそく、ユーミナスに返事を書くわ」
いつ来てもかまわない、と書いて返信する。
ユーミナスはよほどリナン王国から逃れたかったのか、サーラの手紙が着くとすぐに、国を出てきたらしい。
御礼の手紙とほぼ同時に到着した彼女を、サーラは出迎えた。
「……ご迷惑を、お掛けしますわ」
ユーミナスはそう言って、ゆっくりと頭を下げる。
ややきつめの顔立ちも、長旅のせいか、それとも今までの苦労のせいか、少し弱々しく見えた。
「迷惑だなんて」
サーラは首を横に振り、彼女の手を握る。
「むしろわたしの代わりに苦労を背負わせてしまって、申し訳ないと思っているの。長旅で疲れたでしょう? すぐに部屋を用意させるわ」
ふたりで、今までのことをたくさん話した。
「わたくしはカーティス王太子殿下にも、聖女を騙るエリーも嫌いでしたが、何もしようとしないサーラにも、少し苛立っていましたの」
ユーミナスは、当時のことをそう語った。
「ええ、そうね。ユーミナスならそうだと思っていたわ」
サーラは苦笑しながらも、頷いた。
もし彼女がサーラの立場だったとしたら、カーティスがどんなに庇おうとエリーを追求し、偽聖女だと暴いていただろう。
そう思ったが、ユーミナスは弱々しく首を横に振った。
「でも、わたくしがカーティス王太子殿下の婚約者になったとき、無理だと悟りました」
カーティスは、サーラに会いに行ってはいけないと何度注意をしても、まったく聞いてくれない。
そんなカーティスに対する苦情は、婚約者のユーミナスに向けられる。
何とかしようとすると、実はカーティスの廃嫡を狙っていたサーラの父に止められる。
それでもユーミナスは、王太子の婚約者としての役目を、何とか果たそうとしていたらしい。
けれどそれも、カーティスがサーラを追いかけてあっさりと王太子の地位を返上したことにより、無駄になってしまった。
しかも父はすぐに、第王子とユーミナスを婚約させた。
「自分にもできないことを、わたくしはあなたに求めてしまっていたわ。本当にごめんなさい」
「いいえ、謝るのはわたしの方よ。義務も責任もあなたに押し付けてしまって、ごめんなさい」
ふたりで謝罪し合い、少しだけふたりで泣いた。
それは、家族や祖国への決別の涙だったのかもしれない。
ユーミナスは、噂が収まるまでここで静養し、いずれ兄の待つリナン王国に帰ると思っていた。
けれど彼女は、静かに首を振る。
「いいえ。わたくしはもう、リナン王国には帰らないわ。貴族社会にも、もううんざり。わたくしにできるかどうかわからないけれど、できれば自分ひとりで生きていきたいと思っているわ」
もしユーミナスが望むのなら、リナン王国の公爵令嬢として、ソリーア帝国の貴族と結婚することもできる。
ルーフェスが皇帝陛下に掛け合い、その許可も得てくれたのだ。
けれど彼女は、ひとりで静かに暮らすことを望んでいる。
ならばサーラは、それを叶えてあげたかった。
「それなら最適な場所があるわ」
そう言って、にこりと笑う。
「少し騒がしいけれど、温かくて優しい人たちが暮らしているの」
ロードリアーノ公爵邸に建てた孤児院で暮らすことを、サーラはユーミナスに勧めた。
「キリネさんが何でも教えてくれるし、ウォルトさんも頼りになるから、大丈夫よ」
ユーミナスはサーラのその助言通り、孤児院に移り住んだ。
サーラはときどき、その様子を見に行っている。
今日はそれを、ルーフェスに報告した。
「さすがにユーミナスはわたしよりも器用で、もうパンを綺麗に焼けるらしいの。子どもたちも懐いているみたい」
ユーミナスは子どもたちにも厳しいが、間違ったことは言わない。
学校に通うために孤児院を離れたアリスに代わって、子どもたちに勉強を教えることもあるらしい。
「……そうか」
ルーフェスはサーラの言葉に静かに頷くと、そっと肩を抱き寄せる。
「サーラの身内ならば、俺にとっても身内のようなものだ。何かあったら、遠慮なく言ってほしい」
「うん。……ありがとう」
肩に感じる温もりに、心が安らぐ。
ソリーア帝国に移住したことを、サーラはまったく後悔していない。
けれど誰ひとり知る者のいない暮らしに、ほんの少し寂しさを感じていたことを、ルーフェスは知っていたのだろう。
だからサーラのために、従姉妹のユーミナスを歓迎してくれた。
「ねえ、ルーフェス。わたしは今が、一番幸せよ」
たとえ祖国を離れても、両親や兄に二度と会えなくても、それだけは変わらない事実だ。それを告げると、ルーフェスは嬉しそうに目を細める。
きっと近い将来、家族が増えてもっと幸せになっていることだろう。
それを確信して、サーラは微笑んだ。
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婚約破棄した相手が毎日謝罪に来ますが、復縁なんて絶対にありえません! 櫻井みこと @sakuraimicoto
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