第39話

 宿の中で夕食を済ませた後、ルーフェスは情報収集をしてくると言って、夜の町に出かけて行った。

 サーラも付いて行こうと思っていた。だが、彼に部屋に戻っているようにと言われてしまい、素直にその言葉に従うことにした。

 こんなときに、余計な心配をかけてしまうわけにはいかない。

 せめて戻って来るまで待っていようと思っていたのに、夜明け近くになってもルーフェスは戻ってこなかった。

 待っているうちについ眠ってしまったようで、気が付けば朝になっていた。

「……ルーフェス?」

 慌てて周囲を見渡すと、彼は隣にある寝台の上に座っていた。

 珍しくぼんやりとした様子で、サーラが起きたことにも気が付いていないようだ。

 昇ったばかりの太陽の白い光が、ルーフェスの横顔を照らしていた。

 その視線は、遥か遠くを見ている。

 思えば最初に会ったときから、彼はこんな目をしていた。

 人嫌いで無愛想で、それでも困っているときは、必ず手を差し伸べてくれた。

 話しかけることができなくて狼狽えていたとき、優しく声を掛けてくれた。

 床に水を零して途方に暮れていたときも、呆れたような顔をしながらも片付けを手伝ってくれた。

 町に出かけたあの日は、無知なサーラが雷鳴の鳴り響く中、大木の下で雨宿りしているところを見つけて、危険だと教えてくれた。

 そうして、父の非情な命令に生きる気力さえなくして、死んでしまいたいと口走ったサーラを、この共和国まで連れてきてくれたのだ。

 旅の途中でも、数えきれないくらい、ルーフェスには助けられている。

 その度に、心が穏やかに温かくなるような、優しい感情が心の中に芽生えていた。

(わたしはきっと、ルーフェスのことを……)

 好ましく思っている。

 そう思った途端に頬が紅潮して、サーラは両手で頬を覆った。

 芽生え始めた想いを押し込めるように、きつく目を閉じる。

 この想いを今、外に出してはいけない。

 ルーフェスは今、妹の死の真実と向き合おうとしている。

 そんな彼を支え、今までの恩返しをしなくてはならない。

「サーラ?」

 ルーフェスは、ようやくサーラが起きていることに気が付いたようだ。

 名前を呼び、柔らかな笑顔を浮かべる。

「すまない。起こしてしまったか?」

「ううん。帰って来るまで待つつもりだったのに、いつのまにか眠ってしまって」

「情報を得るのに、思っていたよりも時間が掛かってしまった。だが、ようやく仔細がわかった」

 ルーフェスはそう言うと、次の言葉を躊躇うようにサーラを見た。

「どうしたの?」

「この件には、リナン王国が深く関わっていた」

「えっ……」

 捨て去ったはずの祖国の名を耳にして、思わず驚きの声を上げる。

「伝えるべきか迷ったが、いずれ耳に入るだろうから、俺の口から伝えておこう。リナン王国の国王。そしてエドリーナ公爵が、この件には深く関わっていた」

「父が……」

 エドリーナ公爵は、サーラの父だ。

 娘を道具のように使い、カーティスを言葉巧みに操って、王太子の地位を捨てさせた。その父は、今度は何をしたのだろう。

「カーティス王太子が国を出た後、国王はエドリーナ公爵と共謀して、今度はリナン王国の王妃を排除しようとしたようだ」

 サーラの様子を伺いながら、ルーフェスは知り得た情報を話してくれた。

 リナン国王は、この機会に帝国の影を完全に排除したかったのだろう。

 だが、その方法は少々乱暴なものだった。

 カーティスの母であるリナン王国の王妃を、不義の疑いで追放したのだ。

 もちろんそのような事実はなく、王妃は抗議を続けて、とうとう投獄されてしまう。それを聞いたソリーア帝国の皇帝は怒り狂い、リナン王国に兵を向けようとした。

 抗議はするべきだが、侵略をしてはいけない。

 レナート皇太子はそう父を諫めたが、皇帝はまったく聞き入れてくれなかった。

 このままでは両国の間で戦争が引き起こされてしまう。

 そう思ったレナートは、父を強引に退位させ、自ら皇帝の地位に就いた。

「そんなことが」

 ルーフェスの話を聞いて、サーラは両手を握りしめる。

 家を出てティダ共和国に移住したサーラにとって、父はもう父ではない。

 でもあの国には、大切な人達がいる。

 もし戦争になってしまったら、孤児院で暮らす彼女達にも、被害が及ぶかもしれない。

「父にしては、強引で雑な手口です。冤罪で王妃陛下を投獄するなんて」

 父ならば、もっとうまく立ち回るのではないか。

 サーラがそう言うと、ルーフェスも頷いた。

「もう帝国など敵ではないと思って慢心していたのか。もしくは、戦争を引き起こすことが目的だったのか」

 さすがに戦争になってしまったら、リナン王国にも利はない。

 だが父には、エドリーナ公爵にはあったのかもしれない。

 娘ですら駒でしかなかった、あの父だ。国王陛下の側近ではあったが、心から忠誠を誓っていたかどうかは、怪しいところだ。

「……これからどうなるのでしょうか」

 不安になって、サーラはルーフェスを見上げた。

 レナート皇太子が皇帝になれば、戦争は避けることができるだろう。

 だが、帝国の皇族であった王妃を冤罪で投獄してしまったのだから、このまま終わるとは思えない。

「レナート皇太子殿下は、国政に関しては公正無私なお方だ。リナン王国の王妃を救うために、手を尽くされるだろう」

 深く関わっていたルーフェスがそう言うのなら、両国が戦争になってしまうことはない。サーラはほっとしたが、ルーフェスの顔は曇ったままだ。

「ただ、エリーレのことになると、激情に駆られることがある」

 かつての最愛の婚約者である、ルーフェス・ロードリアーノ公爵の妹、エリーレ。

 彼女の殺害に関わったとされた、自分の妻でもあった皇太子妃マドリアナを、父親のピエスト侯爵や親族の必死の嘆願にもまったく耳を貸さずに処刑すると公表してしまったらしい。

 おそらく、レナート皇帝を止められるのはルーフェスだけだ。

 だが彼にとっても、マドリアナは最愛の妹の仇。簡単に許すことなどできないだろう。かといって、若い女性が無残に処刑されてしまうことを、喜ぶような人ではない。

 俯いた彼の姿から、その葛藤が伝わってくる。

 サーラはただその背を、抱きしめることしかできなかった。

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