第15話

 人通りが途絶えた頃を見計らって、ルースは裏道に入った。サーラも慌てて彼の後を追う。

 草が生い茂り、本当に道なのか疑いたくなるくらいの悪路だ。石に足を取られて、何度も転びそうになる。

 ルースは無言で、サーラの荷物を引き受けてくれた。

「あ、ありがとうございます」

 慌てて礼を言ったが、彼は軽く頷いただけだ。

 でも重い荷物がなくなって身軽になったことで、とても歩きやすくなった。

 それでも気持ちばかり焦る。

(急がないと……)

 父は、サーラが逆らうなんて思ってもいないだろうから、サーラが修道院に戻ったかどうか、きっと確認しない。

 サーラが戻らないことを心配した修道院が孤児院に確認するのが先か。もしくは王城を出たカーティスがサーラを訪ねるかで、そこでようやく判明するはずだ。

 だから今は、少しでも町から離れなくてはならない。

 このまま人気のない道を暗くなるまで歩き、今日は森で野営をして、早朝に港町を目指すとルースは言った。

(野営……。外に泊まるということよね?)

 初めての経験ばかりで少し不安になるが、自由を選び、父に逆らう道を選んだのはサーラ自身だ。

 何の見返りもなくサーラを助けてくれるルースに、あまり迷惑を掛けないように頑張らなくては。

 そう決意して、ただひたすら道を歩いた。

 それでも、公爵令嬢として暮らしてきたサーラの身体は、それほど頑丈ではない。生い茂った草を掻き分けるようにして森に入ったときには、もう疲れ切っていた。

 歩き続けていた足も痛む。

「ここで少し休むか」

 まだ周囲は暗くなっていなかったが、そんなサーラを見てルースはそう提案した。

「……でも」

 サーラの歩く速度が遅かったせいで、町からそれほど離れていない。追手はまだ来ないとわかっていても、不安になってしまう。

 そんなサーラの不安が伝わったのだろう。

「心配するな。そう簡単には見つからない」

 ルースはそう言うと、サーラの荷物に忍ばせておいた物を取り出して、野営の準備を始めた。

 そんなに多くのものは持ち出せなかったから、最低限のものしかない。開けた場所に木の枝など集めて火をおこし、柔らかい草の上に毛布を敷いて、サーラを座らせてくれた。

「靴を脱いだ方がいい。足が楽になる」

「ええ、ありがとう」

 少し恥ずかしかったが、言われた通りに靴を脱ぐ。

 道具は何もないので、夕食には水とパンしかない。それも今夜の分だけだ。明日の朝になったらすぐに港町を目指すしかない。

「わたし、孤児院に来て、初めてパンを焼きました」

 少し硬くなったパンを手渡されて、サーラは孤児院での生活を思い出す。

 わずかな間だったが、あそこで学んだことは一生忘れないだろう。

「もちろん最初は、全然うまくできなかった。でも、キリネさんはわたしを叱ったりせずに、丁寧に教えてくれて」

 ルースは、そんなサーラのひとりごとのような言葉を黙って聞いてくれた。

「失敗してもいいと言われたのは、初めてでした。何かに挑戦するのは、とても楽しいことだと知ることができました」

 公爵家でも、王城での妃教育でも、サーラは常に完璧であることを求められていた。

 初めてだとしても、失敗など許されなかった。

 だからいつも気を張っていて、楽しいなどと思ったこともなかった。

 でもパン作りも掃除も洗濯も最初は失敗ばかりだったが、少しずつ慣れて、できるようになっていくのが楽しかった。

「そういえば、ずいぶん歪な形をしたパンがあったな。てっきり子どもたちが作ったものだと思っていたが、お前だったのか」

 ルースがぽつりとそう言い、サーラは思わず頬を染める。

「たぶん、わたしです。すみません、そんなものを……」

「見た目は歪でも、味は変わらない。謝る必要はない」

「……ありがとう。でもいつか、キリネさんみたいにうまく焼けるようになりたいです」

「そうか」

 サーラの言葉に、ルースは少しだけ表情を和らげる。

「これからの人生に、目標があるのはいいことだ」

「これから……」

「そうだ。父親から離れて自由を得たあと、どう生きるのか。それを考えることも大切だ」

 彼の言うように、これからも人生は続いていくのだ。

 修道院からも離れてしまったのだから、自分で生活費などを稼がなくてはならない。住むところや、着るものなども必要となる。

「そう、ですね。わたしはこれから、ひとりで生きていかなくては」

 生きていくのは大変だ。修道院と孤児院の生活で、サーラはそれを思い知った。

「今からそんなに気負う必要はない。ひとりで生活することができるようになるまで、俺が補佐する。だから、心配するな」

「……」

 どうしてそこまでしてくれるのだろう。

 聞きたかった。

 でも、ルースの妹に関わる話だろうから、迂闊に聞くこともできない。

 きっと彼にとって、つらい話だ。

「本当にいろいろと、ありがとうございます。どうやって恩返しをしたらいいのか、まだわかりませんが……」

 だから、代わりにそう言った。

「そんなものは必要ない。だが、お前が父親からも元婚約者からも逃げきって、ちゃんとしあわせになる姿が見られたら、俺は少しだけ、自分を許せるようになるのかもしれない」

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