第10話
叩きつけるような強い雨。
外套から染み込んだ雨は、サーラの身体をすっかり濡らしてしまっていた。
雷もまだ止みそうにない。
轟音が鳴り響くたびに、冷え切った身体がびくりと反応する。
「急ぐぞ」
「は、はい」
そんな天候の中に足を踏み出すのは、怖かった。
でも、ここが危険だと聞かされてしまえば、留まることはできない。
(アリスを守らなきゃ。わたしのせいで、危険に晒してしまうところだったのよ)
雷がそんなに危険だなんて、知らなかった。
サーラはアリスの手をしっかりと握って、先を歩くルースの後に続いた。
ルースは急ぎながらも、サーラたちの歩調に合わせてくれた。しばらく歩くと、あの大木から少し離れたところに、木造の小屋がある。
街道から少し離れた場所にあるので、土地勘のないサーラは今まで知らなかった。この建物は、街道を歩く旅人のための休憩小屋らしい。
どうやらここで雨宿りをするようだ。
ルースが先に扉を開ける。建付けが悪いらしく、力を込めて押し開けている。サーラも彼の背後から中を覗き込んだ。
簡素な造りだが、中は思っていたよりは広い。でも古いものらしく、木の窓枠は外れかかっていた。風が吹くたびに、がたがたと音が鳴り響いている。床も、足を踏み入れるたびにぎしりと軋んだ。
(大丈夫なのかしら?)
古い木造の建物を、少し不安に思う。
中に入ってよく見渡してみると、先に何人かの旅人が雨を避けて逃げ込んでいた。
少し人相の悪そうな男達だ。
サーラはアリスの手をしっかりと握ったまま、心なしかルースのほうに近寄る。男達はサーラとアリスを見てにやついた顔をしていたが、ルースの姿を見るとさっと視線を反らした。
何だ、男連れか。
そう呟く声が聞こえて、思わず身を固くする。
彼らにしてみれば、ちょっと声をかけてみようか、と思ったくらいだろう。でも深窓の令嬢だったサーラにとって、見知らぬ男性に声をかけられるというだけで、かなり怖いことだ。
(ルースさんが来てくれて、本当によかった……)
今までも何度かアリスと一緒に出掛けたが、怖い思いをしたことは一度もなかった。でもアリスの警戒から察するに、それはとても運の良いことだったのだ。
(わたしは本当に、何も知らなかったのね)
王都から離れた町では、女性がひとりで歩けないくらい治安が悪いなんて知らなかった。
王太子の婚約者だったのだから、もっと国内の状況を把握しなければならなかったのに。それがエリーひとりに翻弄され、学園内の揉め事さえ抑えきれなかった。自分では、とても王妃になんてなれなかったと改めて思う。
「寒いか?」
俯いたサーラに、ルースが声を掛けた。
心配してくれたのかもしれない。
「……大丈夫です。ただ、雷が怖くて」
こんなところで落ち込んで、ふたりに心配をかけてはいけない。
サーラは慌ててそう言うと、そっと窓から空を見上げた。
その瞬間に稲妻が走り、小さく悲鳴を上げる。
昔から雷は苦手だったが、公爵家の大きな屋敷と、この古びた木造の小屋では、感じる怖さは桁違いだ。
アリスも同じらしく、サーラの腕にしっかりと掴まって目を閉じている。
そんなふたりを見守っていたルースは、自分の外套を脱ぐと、それをふたりの肩にかけてくれた。
冷え切った身体に、温もりを感じる。細身に思えたのに、やはり男性だけあって彼の外套は大きく、サーラとアリスの身体をすっぽりと覆い尽くしてしまう。
雷からも、他の旅人の視線からも守られる安心感。
「あ……」
でもこのままでは、彼が冷えてしまう。
そう思って顔を上げた瞬間。
再び雷鳴が轟いて、サーラとアリスは揃って悲鳴を上げた。
「いいから、そうしていろ。少しはましだろう」
ルースはそう言いながら、落ち着かせるようにふたりの肩に手を置いた。
大きな手の感触が、とても心強い。
雷が鳴り止むまで、彼はずっとそうしてくれていた。
(温かい……)
冷え切った身体に触れた温もり。
不思議な安心感を覚えて、サーラはそっと目を閉じた。
雨が少し小振りになったとき、他の旅人は先に小屋を出て行った。
ルースは慎重だった。
空を見上げ、雷が遠くに移動した頃を見計らって、そろそろ移動しようと提案してくれた。
荷物はすべて彼が持ってくれたから、サーラはアリスの手をしっかりと握って、雨でぬかるんだ道を必死に歩く。
「そんなに急がなくてもいい。俺が迎えに行ったから、心配はしていないだろう」
足取りがかなり危うかったのか、ルースはそう言ってくれた。
たしかに、ただでさえ歩きなれていない道だ。急げばそれだけ、危険が増えるかもしれない。
「はい」
素直に忠告に従って、今度は慎重に歩く。
雨はまだ降っている。
きっと明日の朝まで止むことはないだろう。
それなのにサーラの心は、先ほどよりも少し軽い。
ルースはサーラとアリスを気遣って、なるべく歩きやすい道を選んでくれている。こうして気遣ってもらえるのが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。
夕方近くになって、ようやく孤児院に帰宅することができた。
ほっとして建物の中に入ると、すぐにキリネが迎え出てくれた。
「ほら、三人とも早く着替えて。風邪を引くよ」
追い立てられるようにそれぞれの部屋に戻り、着替えをする。
サーラの部屋には、乾いた清潔なタオルと温かい飲み物が置かれていた。
キリネの心遣いだろう。
その優しさが、サーラの身体だけではなく心も温めてくれる。
(ずっとここにいたいな……)
人嫌いだと言われているルースでさえ、あんなにも優しい。
怖くて震えていたときに包み込んでくれた温もりは、カーティスたちのせいで男性が恐ろしくなってしまったサーラの心にも、深く染み渡る。
本気で、ここに残れるように修道院の院長と、孤児院の院長に頼んでみよう。
サーラはそう決意して、温かい飲み物を口にする。
少し薬草の匂いがした。
冷たい雨に濡れたサーラが風邪を引かないように、気遣ってくれたのだろう。
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