第10話 洋館にゾンビが出現する

 深夜0時。

 トッシュとシルの眠る部屋に、庭の外から近づく小さな陰があった。


 ゾンビ化したドーベルマンだ。


 野犬ではない。

 ホラーハウス化した洋館が引き起こす怪異だ。


 元になったゲームで、ゾンビ犬がプレイヤーを襲うイベントと、

 まったく同じイベントが発生しているのだ。


 ゾンビドーベルマンは涎まみれの鼻をひくひくと動かし、

 館の中にいるトッシュとシルの匂いを嗅ぎ取った。


「グルルル……」


 ゾンビドーベルマンは脇腹から内臓がこぼれおちているとは思えないほど俊敏な動きで、窓に向かって跳ぶ。


 だが。


 ドゴンッ。


 窓に跳ね返されて地に落ちた。


 実はこんなこともあろうかと、トッシュが事前に窓の強度を上げておいたのだ。


 もちろん、ゾンビドーベルマンはそんなこと知るはずもない。


「……ガルル?」


 ゾンビドーベルマンはいったん下がり、再び勢いを付けて跳ぶ。


 ドゴンッ。


 窓にぶつかる音は、屋内で寝ていたシルを起こした。


「きゃっ。なんの音?」


 ドゴンッ。


「きゃっ。窓に何かぶつかっている。

 ねえ、トッシュ、起きて。ねえ」


「ううん、あと5分……」


「起きて! 起きてよ!」


「あと10分……」


「起きて!」


「……起きてまーす……すやすや……」


「ど、どうしようトッシュ起きないし……。

 トイレに行きたくなってきた……」


 ドゴンッ!


「きゃっ。ねえ! トッシュ! トッシュ!」


 シルは瞳に涙を蓄え、何度もトッシュを揺らした。


「ふええ……。起きてよぉ」


 事態は屋敷の外だけでなく、中でも起きていた。


 何処に潜んでいたのか、人型ゾンビが二体、玄関ホールを徘徊していた。


「あー」


「うー」


 意志なき死体の彼等がどうやって獲物を認識しているのかは不明だが、

 ゆっくりと、トッシュ達のいる部屋へと進んでいく。


「あー」


「うー」


 ゾンビあーがうなり声をあげながらドアを掻きむしる。


「きゃっ! ……ね、ねえ、トッシュ。

 ドアの向こうにも何かいるよ。

 ねえ、起きて。起きてよぉ……」


「あと30分……」


「う、うう……。トッシュの馬鹿ぁ。

 こうしちゃうよ?

 えいっ」


 シルは右手でトッシュの鼻をつまんで、左の手のひらで口を塞いだ。


「……」


「ねえ、起きてよ。ねえ」


「……」


「本当は起きてるんでしょ?

 シルをからかっているだけでしょ?

 ねえ、起きて」


「……」


「ねえ、変な顔色してないで起きてよ。

 笑うの堪えているでしょ? ぷるぷるしてるよ?」


 確かにトッシュはプルプル小刻みに震えているが、

 笑いを堪えているわけではなく、窒息しかけていた。


 限界になり、トッシュは跳ね起きて大きく息を吸う。


「ああああああああっ!」


「きゃっ」


「ゲホッ! ゲホッ! ごほっ。ごほっ、うぉぇぇええいッ!」


「いきなり大きな声を出さないでよ」


「いやいやいや、待って。

 俺、殺されかけてたのになんで怒られてるの?!

 鼻と口を押さえたらダメでしょ?!

 どっちかだけにしようよ!」


「トイレ行きたいの……」


 シルは半泣きでプルプルと震える。


「あ、あー。そういう事情で俺を無理やり起こしたのか……。

 確かに、お漏らしして失われる少女の尊厳は、

 無職ニートの命より重いか」


「ねえ、おしっこしたいの、トッシュのスキルで止めて?」


「だーめ。

 尿意を消すことは出来るけど、おしっこが消えるわけじゃないから、

 明日の朝には漏らしちゃうよ。

 俺のスキルは強力な反面、使い方を間違えると痛い目に遭うからな」


「じゃあ、おトイレ作って……」


「それも無理。

 物のステータスを変えることは出来るけど、モノ自体は変えられないから。

 って、ちょっと、いま『意外と出来ること少ないな』とか思ってない?!」


「お、思ってないよ。トッシュ。

 すごい。すごーい」


「なんか『凄い』のテンション低くない?

 いや、まあ、いいけど」


「なんとかしてよお……。どんどん、怖い……」


「ホラーハウスだし、ゾンビが出たんだろうなあ。

 仕方ない。ゾンビを撃退しながらトイレに行くか」


「だ、大丈夫なの? 危なくないの?」


「大丈夫。スキルでクマになって」


「う、うん」


「クマクマパワー! へーんしん!」


 シルが抱き枕代わりにしていたクマのぬいぐるみを頭上に掲げる。


 すると、シルの着ていた服が消えて全裸になる。

 シルの身体は光り輝き、床から数十センチ浮いたところでクルクルと横回転してから、

 ピカッと一際明るく発光。


 光が収まると、シルの身体はクマの着ぐるみに包まれていた。


「な、なぜ、昼まではなかったのに、急にそんな魔法少女みたいな演出が……」


「気分……!」


「そ、そうか。まあ、いいや。

 ちょっと、じってしててね?」


「う、うん」


 トッシュはシルの背中に指先で触れる。


「シルの着ぐるみスーツのステータスを表示」


 シルの服

 物理防御:35

 魔法防御:30

 ちから:+100

 体力:+50

 ……


「おお……。自慢するだけあって、色んなパラメータボーナスがあるな」


「んっ……。くすぐったい」


「すぐに済むからじっとして」


 シルの服

 物理防御:350

 魔法防御:300

 ちから:+100

 体力:+50

 ……


 こう。


「よし。出来た。

 シルの服の防御力を、物理350、魔法300にしておいたから、

 これで並大抵の攻撃は通らない」


「300って凄いの?」


「けっこう強いと思うよ。

 夕方ここに居た兵士がつけていた金属プレートが、

 物理防御30くらいだから」


「な、なんか300って凄そう……」


「もっと上げられるんだけど、

 何処かで別の問題が発生するかもしれないからね。

 とりあえず、300もあれば、ゾンビゲーあるあるのロケランを喰らっても

 平気だろうし、これで様子見」


 シル自身のステータスを変えることも出来るけどやめておいた。


 過去に人のステータスを変えたせいで、

 とんでもない騒動に発展したことがあるからだ。


 それ以来、人のステータスは極力、変えないようにしている。


 それに、ステータスを表示したら、シルの個人情報まで見えてしまう。


「怖いのは状態異常系魔法。

 取り憑く系のゴーストが居たら拙いかも。

 ただ、多分……。

 この屋敷は、館から脱出するアクションゲームだから、

 いきなりプレイヤーにゴーストが乗り移って即終了ってことはないはず」


「難しくて分からない……」


「少しずつ覚えていって。じゃ。外に出るよ」


「う、うん。

 ……あ。

 シルの防御力は分かったけど、どうやってゾンビを倒すの?

 わたし、怖いからゾンビと戦いたくない」


「それは、こう」


 トッシュはドアを開け、眼前に居たゾンビの胸を、手のひらで押す。


 ゾンビは背後に居たもう一体のゾンビを巻き込み、

 玄関ホールの中央付近まで転がっていった。


「す、凄い。ゾンビが飛んでった……」


「忘れてない? 俺は俺自身のパラメータを変えられるんだよ。

 今、全パラメータ2倍だから」


「凄い!

 でも、どうして2倍なの?

 10倍や100倍にしたら、もっと強いよ!」


「けっこう使いどころが難しいんだよ。

 例えば力を100倍にしたら、ドアノブを握りつぶしちゃうし、

 何かの拍子にシルに触れただけで怪我をさせてしまうかもしれない。

 何もかも安全なのが、2倍ってところ」


「そうなんだ」


「じゃ。ちょっと待ってて」


「どうするの?」


「いや、まあ、ゾンビとはいえ、

 人型をしている者を殺すのは気がひけるから、

 ステータスを弄って移動力を0にする」


 トッシュはゾンビの前にしゃがみ、足に触れてスキルを発動した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る