第27話

 その日の夜も、月は蒼かった。

 メロディはベッドから起き上がると、薄い寝間着のまま、一昨日と同じように中庭に出た。


「こんばんは、ポーケントッターさん」


「コンバンハ、メロディサン」


 鋼鉄の巨人は、少女を見下ろした。


「身体ハ大丈夫デスカ?」


「ええ……全身が痛いです」


「明日ハモット痛ムデショウ。戦闘機動ニヨル高荷重ニヨッテ、内臓ニモ負担ガ掛カッテイルハズデス。血尿ガ出テ、体重モ落チルデショウ」


「アーマードライバーって、大変な仕事なんですね……」


 ポーケントッターの言葉に、メロディは俯いた。


「……また戦争に行くのですか?」


 一瞬の沈黙の後、恐る恐る訊ねるメロディ。

 そして得られたポーケントッターの答えは、まさにメロディが怖れる答えその物だった。


「……ハイ、マタ戦争ニ行キマス」


「どうして……?」


「国王陛下ニヨル動員令ガ下サレタ以上、ワタシニハ従ウ義務ガアリマス。逆ラウコトハ出来マセン。逆ラエバ――ティアハ反逆者ノ娘デス」


 アノ男ノ言ウトオリナノデス――。


「『白銀の稲妻』ト呼バレル以上、ワタシハ『ソウルアーマー』デアル運命カラ逃レルコトハ出来マセン」


 ソウルアーマーであるポーケントッターが戦場に出る。

 その意味を、メロディは今初めて理解していた。

 今日計らずもソウルアーマー戦を経験したことで、戦場に出たポーケントッターにどんな事態が起こるのかを、メロディは初めて理解した。


「……逃げて下さい」


 メロディは顔を上げた。

 いつの間にか、瞳が涙で濡れていた。


「逃げて下さい! ティアと一緒に、あの娘と一緒に逃げて下さい! ティアには父親であるあなたが必要なんです!」


「……」


「どうしたのですか!? 逃げたくはないのですか!? あなたならどこまでも遠くに逃げられるはずです! その鋼鉄の翼で、この国を出て、遠くへ、ずっと遠くへ逃げて下さい!」


「……アノ娘ニ必要ナノハ、モハヤワタシダケデハアリマセン」


 ポーケントッターは静かに答えた。


「アノ娘ニハ、コノ宿屋ガ必要デス。コノ街ガ必要デス。アノ学校ガ必要デス。サンディスサンガ必要デス。マートサンガ必要デス。クレアサンガ必要デス」


 ソシテ――。


「ソシテ何ヨリ、ティアニハアナタガ必要デス」


「……ポーケントッターさん」


「ワタシト逃ゲレバ、モウティアハ、アナタト暮ラスコトハ出来マセン」


「で、でも! もしも父親であるあなたが死んでしまったら――」


「メロディサン、ワタシハ逃ゲタイノデハナイノデス。ワタシハ帰ッテキタイノデス。ティアノ許ニ、ソシテアナタノ許ニ、帰ッテキタイノデス」


 それは……。


 それは、鋼鉄の巨体に魂を封じたポーケントッターの、人肌の温もりをなくしたポーケントッターの、精一杯の告白だった。


「……ポ、ポーケントッターさん」


「人ハ、人トノ繋ガリノ中デ生キルベキデス。人ニハ社会ガ必要ナノデス。ワタシニトッテ、ティアトアナタヲ含ム、コノ『ポートホープ』トイウ社会ハ、命ヲ懸ケテ勝チ取ル二値スル、価値ノアル場所ナノデス」


 コノ街デ生キラレル権利ヲ得ルタメナラ、ワタシハ何度デモ戦場ニ赴キマス――。


 メロディの目からボロボロと涙が零れた。


 これが、これがこの世界の現実なのだ。

 決して楽しいだけじゃない。

 決して希望に満ちているだけじゃない。

 人さらいがいて、卑劣な貴族がいて、何もかも奪い去る戦争がある。

 少しでも油断すれば、少しでも弱さを見せれば、そういった醜く冷徹な存在にたちまち追いつかれて、身ぐるみ剥がされてしまう。

 そうならないためには、自分自身の力で己の運命と戦い、切り拓いて行くしかないのだ。


「……分かりました。わたし待っています。このポートホープで、この『春の微風亭』で、あの娘と、ティアと一緒に、あなたが帰ってくるのを待っています」


 これが――これがわたしの戦いなのだ。

 これが宿屋の女将としての、わたしの戦いなのだ。

 ソウルアーマーに乗って戦うのは、わたしの戦いではない。

 わたしの戦いは、この宿屋でティアと共に、ポーケントッターの無事を信じて、ポーケントッターの無事を祈って、彼の帰りを待つことなのだ。


「わたし、待っています。いつまでも待っています。だから、だから――だから絶対に生きて帰ってきて下さい!」


「アリガトウ、メロディサン……」


 そしてポーケントッターは、メロディにティアを呼んでくるように頼んだ。

 メロディが自室に迎えに行くと、ティアは眠ってはおらず、すぐにポーケントッターの許にやってきた。

 ポーケントッターは娘に、自分が再び戦争に行くことを告げ、メロディに語ったのと同じ理由を言って聞かせた。

 子供だからといって、誤魔化したり、単純化したりはしなかった。

 ティアは懸命に父の言葉を理解しようとしたが、やがて駄々を捏ねて泣き出した。


 ポーケントッターは、黙ってティアが泣き止むのを待った。

 ポーケントッターは分かっていた。

 すでにティアが、全てを理解していることを。

 理解しているからこそ、駄々を捏ねているのだと。

 理解した上で、受け入れられないからこそ、泣き喚いているのだと。

 子供は大人が考えているよりもずっと深く、本能的に自分をとりまく世界の有り様を理解しているのだ。


 ほどなくして、ティアが泣き止んだ。

 しゃくり上げるティアに、ポーケントッターは一つずつ父親としての教えを説いていった。


 人に優しく出来るように、強くなりなさい。

 人の優しさを素直に受けられるように、強くなりなさい。

 夢を沢山見るように。

 でも決して、夢の中だけでは生きないように。

 辛い現実に負けないように、辛い現実を生きなさい。


 ポーケントッターは様々な教えをティアに伝えた。

 ティアは泣きながらも何度も頷いて、父親の教えを胸に刻み込んだ。


 メロディは、蒼い月夜に行われたポーケントッター父娘の神聖な儀式を、いつまでも忘れずに覚えていた。

 それはティアのみならず、メロディ自身のその後の人生おいても、彼女を支え続ける重要で美しく大切な出来事になった。


◆◇◆


 メロディとティアがポーケントッターの許を去ってからしばらくして、月光に照らされる『春の微風亭』の中庭に、別の人影が現れた。

 ポーケントッターはその人影を認めると、クックピットを解放して、自らの体内に招き入れた。


「……お前に乗るのも久しぶりだな」


 ドライバーシートに身を沈めハッチを閉じると、スカーレット・クロスフォードが人心地着いたように呟いた。

 そのまま目を瞑って、在りし日の想い出に浸る。

 やがて、スカーレットの肩が小刻みに震え始めた。


「……馬鹿者め……」


 形のよい唇が歪み、押し殺した罵言が漏れる。

 次の瞬間、心の奥底に封じ込めていた感情の沸騰と共にその罵言が爆発した。


「馬鹿者め! 馬鹿者め! 馬鹿者め! なぜさっさと新大陸に渡らなかったのだ! そうすればこんなことにはならなかったのだ! 充分な路銀を餞別として渡したではないか! お前はわたしに忠誠を誓う機械! わたしだけの物だったはずだ! そうであったから、そうであったから、どんなに苦しくても、寂しくても、心細くても、召し放ってやったのだ! それをあんな――あんな娘に心奪われおって!」


 狭いクックピットに、スカーレットの激しい嗚咽が漏れた。

 それは16歳の少女が漏らす、年相応の感情に満ちた泣き声だった。

 この、世界と隔絶された狭苦しい『鶏の巣』だけが、爵位と階級と立場と責任にがんじがらめに縛られた彼女が、唯一自分に戻れる場所――。

 スカーレットに許された、唯ひとつの自由な世界なのだ。


「……クロスフォード侯爵夫人、誓約ノ儀式ヲ。我ガ剣ヲ受ケ給エ」


 スカーレットの嗚咽が収まるのを待って、彼女の唯一の理解者であるポーケントッターの声が響いた。

 消灯していた正面中央のパネルが、何かを促すように明滅を始める。


「我ガ剣ハ我ガ名誉。我ガ剣ハ我ガ命。

 主タル君ニ、我ガ名誉ヲ捧グ。

 主タル君ニ、我ガ命ヲ捧グ。

 君ノ名誉ガ、我ガ名誉。

 君ノ命ガ、我ガ命。

 君ニ敵アラバ、君ニ先立チ我ガ討タン。

 君ニ禍アラバ、君ニ代ワッテ我ガ受ケン。

 君ヨ、我ガ忠節ヲ受ケ入レ給エ。

 我ガ剣ヲ受ケ入レ給エ」


「……ナカト・ポーケントッター……お前の剣を受けよう」


 涙を拭ったスカーレットが、点滅するパネルに掌を押し当てる。

 一度デリートされ未登録クリアだったドライバー情報に、今一度スカーレットの掌紋とDNA情報が登録され、ナカト・ポーケントッターは再びスカーレット・クロスフォードの乗機となった。


「この……馬鹿者めが……」


「……恐悦至極ニ存ジマス」


◆◇◆


「……身体ニ気ヲツケルノデスヨ」


「……うん。パパも」


「ワタシハ大丈夫デス。アナタノ父親ガ世界最強ノソウルアーマー、

『白銀の稲妻』デアルコトヲ忘レテハイケマセン」


「うん、うん、忘れてないわ。ティア、全然忘れてないわ」


 ポーケントッターの言葉に、ティアが瞳に涙をいっぱいに溜めて頷く。


 人々の前で、父と娘の別れの情景が繰り広げられていた。

『春の微風亭』の前には、今日出征するポーケントッターを見送るため、彼の知己のみならず、町中の人間が集まっていた。


 メロディ、サンディス、マート、二人の女給、クレア。

 市長や、その部下の役人や、自警団の面々。

 強欲な船主に、気弱な口入れ屋、荒くれの港湾労働者たち。

 聖ギルモア学園の学園長や、教師たち。ティアの級友も。

 沢山の人間が、ポーケントッターを見送り、彼の無事を祈るために集まっていた。


「ティア、何モ心配スル必要ハアリマセン。何モ恐ガル必要ハアリマセン。アナタニハ、コノ『春の微風亭』ト、メロディサンガイマス。心健ヤカニ、ワタシノ帰リヲ待ッテイテ下サイ」


「分かってる、分かってるわ、パパ。だから、だから、絶対に帰ってきてね。ティアの所に、絶対に、絶対に帰ってきてね」


「約束シマショウ」


「……ポーケントッターさん」


「メロディサン、娘ノコトヲオ願イシマス」


「……承知しています。ティアのことはわたしに任せて下さい」


 メロディは唇を噛んで、必至に涙を堪えながら答えた。

 身を切られるような悲しみに、苦しみに、必至に耐えながら答えた。

 もうポーケントッターの前で、涙は見せられない。

 彼から幼い娘を与る自分が、もう涙は見せられない。

 次に自分が涙を見せて良いのは、ポーケントッターが再びこのポートホープに生きて帰ってきたときだ。

 それまで、もう自分は涙を見せることは出来ないのだ。


「……また、お会いしましょう、ポーケントッターさん。この街で、この『春の微風亭』で、わたしと、ティアと、あなたで、またお会いしましょう」


「……エエ、メロディサン、必ズ」


「……必ず」


 メロディとポーケントッターの別れの言葉は、再会を誓い合う言葉でもあった。


 サンディスや、マートや、二人の女給、クレアたちが、メロディに続いて、次々にポーケントッターと別れを交わした。


 それが終わるのを見計らって、スカーレットがポーケントッターに搭乗した。

 ドライバーシートに座りセイフティベルトを締めると、視線を、自分を見上げる者たちの中からティアに向けた。


「ティアリンク、出来ることならお前とは友人になりたかった。ポーケントッターのこと、すまぬ。わたしの力の及ぶ限り、お前の父親がお前の許に帰れるように力を尽くそう」


「……あ」


 スカーレットの素直な言葉に、ティアは驚いた。

 ティアは今でもスカーレットが好きではなかった。

 自分の許から父親を奪っていくスカーレットを、今でも好きではなかった。

 それでもティアは、彼女に『大嫌い』と言ってしまったことを後悔した。


 スカーレットはティアから、その両肩に手を置くメロディに視線を移した。

 鋼鉄の巨人に想いを抱き合う、二人の少女の視線がぶつかり合う。

 と、不意にメロディを見つめるスカーレットの口元が綻んだ。


「メロディ・スプリングウィンド。わたしはお前の髪が羨ましい。お前のその明るいブロンドはナカトの好むところだからな。人々に安らぎを与える髪の色だ」


 メロディは一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。


「レディ・バーミリアル。わたしにはあなたのその赤い髪こそ羨ましいです。運命を切り拓く強い意志と情熱を秘めた、戦女神の髪の色です」


 別れに臨んで、メロディとスカーレットは、ようやく少しだけ互いに気持ちを通じ合った。


「――また会おう、メロディ・スプリングウィンド!」


 そう言うと、スカーレットはクックピットのハッチを閉じた。


「――あ、待って! 待って下さい! この飛行眼鏡!」


 ハッと思い出して、メロディは手にしていたゴーグルを振った。

 それは、ティアの救出作戦のおりにスカーレットより貸し与えられた物で、あの戦いのときにメロディの目を守ってくれた物だ。


「お前に進呈しよう! いずれこの先、お前にも必要になるものだ!」


 スカーレットの最後の言葉を封じ込めるように、ハッチは完全に密閉された。


「ソレデハ皆サン、行ッテ参リマス」


 電磁気力の斥力を利用して、ポーケントッターとヘーゼルダインの巨体が音もなく浮き上がった。


 と、見る間に上昇していく。


「パパーーっ!! きっと、きっと帰ってきてね!! ティアのところにきっと、きっと帰ってきてねっ!!」


 父親に向けたティアの声は、上空で点火された電磁プラズマスラスターの轟音にも不思議と掻き消されることなく、ポートホープの海と空に響き渡った。


 メロディは、そんなティアの両肩に再び手を置き、ポーケントッターの飛翔音が消えるまで、


 いつまでも巨人が消えた空を見上げ続けた。

 出会ってしまったが故に、別れは辛く悲しい。

 でも、メロディは信じていた。

 もう一度、彼と会えることを。

 あの心優しい鎧と、もう一度この宿で会えることを。

 自分と、彼の娘と、彼とで、もう一度この『春の微風亭』で再会できることを。メロディは信じていた。


 そして、メロディは言うのだった。


「さあ、ティア、中に入りましょう。これからもあなたが暮らす宿屋へ。あなたのお家へ」


 ティアリンク・ポーケントッターは、父が飛び立っていった北の夏空に向かって涙を拭うと、素直にその言葉に従った。


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