第19話

 その時から、ティアの頭は聖火祭で一杯になった。

 寝ても覚めても、そのことばかりを考えた。

 朝起きては聖火祭の話をし、夕に学校から帰ってきては聖火祭のことを語った。


 聖火祭までの一週間はあっという間に過ぎて、ついに当日がやってきた。


 その日ティアは、いつも学校に行くときに使っているメロディからもらった鞄ではなく、以前このポートホープに来たときに背負ってきたルックザックに荷物を詰めて、学校に向かった。

 ザックの中には文房具と弁当の他に、木製のスプーンと皿、さらには今朝市場でマートに選んでもらった上物の兎の肉が入っており(シチューの材料を子供たちみんなで持ち寄ることになっていた。ティアの割り振りは兎の肉だった)、ザックの上には丸められた毛布が括り付けられていた。外で寝るため、いつもは着ていかない防寒用の外套も羽織っている。

 ちょっとした冒険者気分を味わいつつ、ティアは上機嫌で学校に向かった。


 ティアは先生に兎の肉を渡すと、足をパタパタさせながら窓の外で行われているかがり火の準備に見取れた。そして授業が始まってもその調子なので、先生に怒られた。


 やがて授業が終わり、ティアたちは校舎を出た。


 いつもなら、ここで家に帰るのだが、今日は違う。

 今日はここからが本番だった。

 教師たちの手によって大鍋でシチューが煮られ、ティアはその匂いを満足げに嗅いだ。

 兎の煮込みは、チョコレートと並んで、ティアの大好物だった。

 ティアはワクワクした。隣のクレアも、同じように興奮で胸がドキドキしていた。


 日が落ちると同時に、大きなかがり火が焚かれた。

 夜の闇の中、夜空に向かって立ち上る火柱。

 ティアはその、自分が考えていた以上に荘厳な光景に息を飲んだ。

 確かにこれは、神聖な儀式なのだと思った。

 その荘厳な火柱の前で、老婦人の学園長がこの祭の起源を教訓めいた寓話にして面白可笑しく語ってくれた。

 ティアは初めて聞くその話に感動した。


 それから子供たちは振る舞われたシチューを食べた。

 ティアはクレアの好きな人参を、クレアはティアの好きな兎の肉を、こっそり分けてあげた。

 ティアとクレアはいつも一緒で、何かあると暗がりの中で顔を見合わせて、クスクスと笑った。


 その後はダンスの時間だった。

 回りながらみんなと踊るダンスが多かったので、クレアだけとは踊れなかったが、それでもティアは一番多くクレアと踊った。


 子供たちの笑い声と共に、神聖で荘厳で楽しい夜は更けていった。


◆◇◆


「それじゃ、あとはわたしがやっておきますから、みんなは先に休んで下さい」


 午後の10時を少し回った時刻。店終いをした一階の酒場で、メロディがサンディスら従業員に言った。


 夜の10時が、『春の微風亭』の閉店時間である。

 いつもなら酔い潰れた客が一人か二人はいて、追い出すのに難渋するのだが、今日は幸いにそういった酔客は出なかった。


「ああ、それじゃ頼むよ。お疲れさん」


「お休みなさい」


 サンディスと二人の女給がメロディに後を頼んで、階段を上って行く。

 従業員は全て住み込みで、その部屋は四階にある。


「厨房の方は終わったぞい」


 マートが厨房が出てきて、メロディに報告した。


「どれ、わしも休ませてもらうとしようかの」


「お疲れ様でした。お休みなさい」


 老調理人も階上に消え、酒場にはメロディだけが残された。

 カウンターとテーブルの上に木椅子が全て上げられた酒場は、先程までの喧噪が嘘のように静まり返っていた。

 メロディは毎夜この静けさに包まれて、戸締まりと火の始末の確認をする。

 女将である彼女の最後の仕事だ。


 メロディはまず厨房と酒場の火の始末を見て回り、問題がないことに頷くと、次に窓や入り口にちゃんと鍵が掛かっているかを確認した。

 ポーケントッターが表で不寝番をしてくれている今、以前のように火事や泥棒の心配をする必要はなくなっていたが、それでも気は抜けない。何と言っても、宿は客商売なのだ。


 入り口のウェスタンドアの外側についている頑丈な鎧戸の鍵を確認したとき、メロディはふと気になって、外のポーケントッターを見た。

 鋭敏なセンサーを持つポーケントッターは、鎧戸が開けられたことにすぐに気づき、顔を向けた。

 鉄巨人の巨体の先に、丘の上の学校で焚かれているかがり火が灯っている。


「こんばんは、ポーケントッターさん」


「コンバンハ、メロディサン」


「夜風は冷たくないですか?」


「ハイ、ワタシノ身体ニ夜風ハ冷タクアリマセン」


「でも、今の季節はまだ冷たいんですよ。部屋着で夜気に当たると風邪を引いてしまいそうです。中はまだ温かいので、こっちに来てお話ししませんか?」


 メロディはクスッと笑って、ポーケントッターを誘った。

 ポーケントッターは頭を開閉し、索敵・偵察用の『マジックアイ』を放出させて、メロディの招きに応じた。

 この間、本体の方は休眠モードに移行する。

 兵器としての性質上、マジックアイと本体との並列自律行動ドッペルゲンガーモードも可能ではあるが、人間だった頃の感覚が抜けてないためか、ポーケントッターはあまり好きではなかった。


「コンナ季節ニ外デ寝テ、ティアハ風邪ヲ引カナイデショウカ? 心配デス」


 ふわふわと宿の中に舞い降りてきながら、ポーケントッターはそんなことを言った。


「ちゃんとオーバーを着て、かがり火の側で寝ますからね。一番暖かい毛布も持っていきましたし、大丈夫ですよ」


 メロディも学校に通っていた頃は毎年体験していたが、風邪を引いたことはなかった。

 むしろ風邪を引くのは、街中のかがり火の周りで酔い潰れて寝てしまう大人の方だ。

『聖ギルモア学園』のかがり火を皮切りに、これからポートホープではいよいよ『聖火祭』が始まる。

 明日以降町の医者は、腹を出したまま外で寝た大人たちで繁盛することだろう。


「確カニ……祭トナルト大人ノ方ガ羽目ヲ外シマスカラネ」


 ポーケントッターは、マジックハンドを目玉身体の前で組んで、前後に揺れた。頷いて見せたのだろう。


「ワタシモ、以前住ンデイタ村ノ祭デハ、夜通シ踊ッタモノデス」


「ポーケントッターさんが以前住んでいた村?」


「ハイ、ワタシガ生マレタ村デス。兵隊ニ行クマデ、ワタシハソコデ暮ラシテイマシタ……」


 ポーケントッターはそう言って、沈黙した。


 きっと思い出しているのだろう――。


 以前ポーケントッターのクックピットで見た夢を、メロディは思った。

 

 それは、のどかで平和そうな小さな村の景色だった。

 ポーケントッターには美しい妻がいた。

 幼馴染みで、彼がずっと思いを寄せていた娘だ。

 おそらくポーケントッターは、勇気を奮い起こして(多分酒の力も借りて)、娘をダンスに誘ったに違いない。

 頬を染めながらも、はにかんでポーケントッターの手を取る若く美しい娘の姿を、メロディは思い浮かべた。

 そして何を思ったか、不意にポーケントッターの前に真っ直ぐに立った。


「……? メロディサン?」


 両手でスカートの裾を摘んで片膝を折るメロディ。

 続いて、ポーケントッターに向かって手を差し出す。


「ミスター・ポーケントッター。Shall we Dance?(わたしと踊って頂けませんか?)」


「……メロディサン」


「ポートホープの女は行動的なんです。ダンスでも積極的に男の人を誘うんですよ」


 悪戯っぽく、蠱惑的に微笑むメロディ。


「さあ、わたしの手を取って下さい、ポーケントッターさん。明日から街中でもお祭りが始まります。あなたは英雄『白銀の稲妻』。きっと若い娘たちが放っておきません。少し練習をしておきましょう」


 虚を突かれたポーケントッターは、少しの間固まるも、


「……Yes、let's(光栄です。お嬢さん)」


 すぐにマジックハンドを伸ばして、メロディの手を取った。

 それから誰もいない酒場で二人は踊り始めた。


 メロディがリードして、ポーケントッターが追随する。

 踊るうちに、メロディの耳に陽気な音楽が聞こえ始めた。

 静けさに満ちた誰も居ない酒場は、住民たちに囲まれた大きなかがり火の前に変わる。

 楽しく、賑やかな村祭の場。

 目の前には、黒髪の穏やかで優しげな青年がいて、自分をリードしてくれている。

 住人たちが囃し立てる真ん中で、二人は軽やかに踊り続けた。


 メロディは微笑んだ。

 青年も微笑んだ。


 温かな幸福感が二人を包み込んだ。


 ゴ~ン!! ゴ~ン!! ゴ~ン!!


 その穏やかな夢想を、宿の外から響く青銅の鐘の音が引き裂いた。


「――え!? な、なに?」


「タ、大変デス、メロディサン! ハ、早ク外ニ!」


 並列自律行動機能ドッペルゲンガーモードを起動し、いち早く本体で状況を確認したポーケントッターが、強い口調でメロディに言った。

 入り口の鎧戸を開けて、外に出るメロディ。


「――ああっ!? が、学校が――学校が燃えている!」


 宿から飛び出したメロディが見たものは、鉄巨人の視軸の遙か先、丘の上で燃える聖火祭のかがり火と――木造の校舎だった。


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