灰色芸術系学生共の色鮮やかな日々

林部 宏紀

アイドルと少年

 俺、三浦弘道みうらひろみちは都内の芸術系専門学科校に通っている、高校一年生だ。

 生来のコミュ障ゆえ、四月に入学して三ヶ月、夏を迎えたが、未だ喋る相手すら出来ていない陰キャ野郎だ。

 そんな俺だから、今日も今日とて昼休みに人目を避け、空き教室で一人、推しアイドルの動画を観賞していた。


「……アイドル、好きなの?」


 はずだったのだが、不意に背後から声を掛けられ、驚き振り向くと、そこにアイドルのように顔立ちが整った一人の少女が立っていた。

 いつの間に背後に!? 全く気が付かなかった!


「……なら、どうすればアイドルとして人気出るのか、教えて。私、今、アイドルやってるの。地下アイドルだけど。だけど、全然人気出なくて。だから、どうすれば人気出るのか、教えて」


 アイドルのようだと思ったら、本当にアイドルだった。地下だけど。

 そんな彼女に突然アイドルとしての薫陶を求められ、面食らうあまり断ることができなかった俺なのであった……。


 彼女の名前は、浜辺恋はまべれん。同級生なのだが、美術科の俺とは別クラス、芸能科のクラスの子だ。アイドルらしく明るい茶色のボブヘアをした美少女なのだが、どこかもの薄い印象を受け、表情に乏しい。日頃から無口で存在感が薄い、ちょっと変わった娘である。ナチュラルにスニーキングスキルを発揮してくるような、ちょっと変わった娘である。ひとたび口を開いたと思ったら、俺のような陰キャにグイグイ話し掛けてくるような、ちょっと変わった娘である。



「じゃあ、まず聞くけど、浜辺さんは、どうしてアイドルになろうって思ったの?」


 まぁ、そんなこんなでアドバイスすることになったので、まず俺は対面の席に座った彼女に、そう尋ねてみた。


「……私、物心付いた時から家族がいなくて、施設で育ったの。今も、施設。学校へ行くと、クラスのみんなが家族でハワイに行ったとかどこそこに行ったとか話してて、なんだか満たされない思いでいて……だから私は、自分にしかない特別な何かが欲しくて、アイドルになったの」


 と、彼女はとても聞き取り辛い細い声で、どこを見ているのか虚ろにも思える目をして、ぽつりぽつりと話し始めた。なんだか、少々切ない身の上話だった。


「キラキラしてるアイドルに昔から憧れてて……。だけど、アイドルとしても人気出なくて、もう劣等感というか」


 普通の人間がみな当たり前に持っているものを、自分は持っていない。

 だから人が持っていない、特別な何かが欲しい。

 なんとも心を揺さぶられる、身につまされる話だった。


 こんな細い声してちゃ、そりゃ人気出ないでしょ~とも思ったが、いや、彼女の事情を知るや、俺の中に謎のヒロイズムが湧き上がってきた。彼女は悪くない、彼女の力になりたい、彼女のことを守ってあげたい、そんなヒロイズムが。男ってバカよね。

 ……いやいや、贔屓目無しに彼女の問題点は、どこか生気が希薄ともいえるような人格が形成されてしまった原因は、九割くらい彼女が置かれていた環境のせいではないのだろうか。

 そこをクリアしないと、根本的な解決にはならない気がする。彼女に『売れるアイドル像』を説くことはできる。だが、そんな表層的なものは何の意味も成さないだろう。今の彼女はその『像』から遠過ぎるし、近付くこともできないだろう。問題はもっと奥にある。


 ……だとしたら、俺に一体何ができる?

 自問自答するが、すぐには答えを出せなかった。



「今の時代のアイドルに必要なのは、愛嬌と情熱。そして、適度に自分の弱さを上手に見せるスキルだ。人を魅了してファンに付ける時代じゃもうない。応援してあげたいと思ってもらう必要があるんだ」


 てなわけで、とりあえず己のアイドル論を語ることにした俺。


「昔はアイドルも歌が上手かった。山口百恵しかり中森明菜しかり。俺的に一番は岩崎宏美さんだが。アイドルだって歌手なのになんで上手くなくてもいいってことになんの? これじゃ日本の音楽業界は衰退していくばかりだなって感じだが、とにかく今は歌が上手い必要はあまりない。同様に、ルックスもあんまり良くなくてもいい。アイドルなのになんでルックスが良くなくてもいいってことになんの? って感じだが」


 それを彼女は、珍しい小動物でも見るような丸い目をこちらに向けて聞いていた。

 まぁ、かなり斜めに見た怪しげな説を唱えているわけだからムリもないが。


「ルックスも良くなくていい、歌も上手くなくていい。じゃあそれがどういうことかっていうと、おそらく自分と同じくらいのものに触れてたいって心理なんだな。凄い存在に触れて焦ったり妬んだりするのがイヤなんだろうな。自分と同じくらいのルックス、カラオケで歌えそうな歌唱をするスケールのものを肯定、応援してるのが心地良いんだろうな。こんなんじゃ日本の社会は衰退していくばかりだな。小説投稿サイトで読む人が自分でも書けそうだなって思うくらいの質の作品の方が人気出るのも、きっと同じ理由なんだな。そうして劣化コピーの投稿作の数ばかりが増えていくって寸法なわけだな」


 俺が唱えるその邪法に、浜辺さんは納得がいかなそうに小首を傾げる。おっと、さすがにちょっと極端すぎたか。


「すまんすまん。ちょっと言い過ぎた。ただ、用は『私はスーパーウーマンじゃないけど、ひたむきに頑張ってます!』って姿勢と、同情を誘って応援してあげたいって思わせるような、上手に弱さを見せるスキルが肝要なんだ。だからハンパにMISIAかぶれの力強い歌い方をするような娘は嫌われるし、スキャンダルを起こして博多に飛ばされたのにかえって人気爆発して1位になったりするわけだな」

「……ああ、なるほど」


 なので、ちょっとマイルドにまとめて話してみると、知ってる例を聞いたこともあり、納得したように頷いてみせる浜辺さん。うん、よかった。


「基本的に、オタは弱い人間が多い。かくいう俺なんて握手会にすらコワくて行けないぐらいだからな。直に会ってキラわれたら立ち直れないもの。ライブにすら、他の娘推しのファンとモメるのがコワくて気軽には行けない。互いの推しの子のどこがいのかわからんとか、どっちのが優れてるとかでケンカになることがあるからな。同じグループのファン同士連帯しろよって感じだが、人気の娘ほど他の娘推しのファンに妬まれるし、時には運営まで突然特定の娘を推し始めて贔屓だって妬まれたりするからな。そうして、グループは好きでもファンや運営が嫌いになって離れていくという謎の現象が発生する。それがアイドルオタだ」

「……それは、三浦くんとか、一部の極端なファンだけの例の話だと思う」


 しかし、次に目も当てられない恥部に言及してみると、さすがにかぶりを振って呆れた表情な彼女。


「まぁ、そんな豆腐メンタルな人間達に応援してあげたいって思わないといけないわけだから、やっぱり自分も弱い所を見せないとっていうわけだな」

「……なるほど」


 そうして、なにやらひどい着地点となってしまった結論を受け、半ば諦念混じりに納得した様子を見せる浜辺さん。ほんとごめんね、謙遜なしのまさにお耳汚しで。


「もっとも、俺は可愛いアイドルが見たい派の人種だから、あんま可愛くない娘が頑張って前に出てきてるのを見るとイラッとするタイプなんだけどね」

「……台無し~」


 さらに、あまつさえここまで散々求められるアイドル像について熱く語ってたのに、自身の嗜好はそれとは裏腹だったことを俺が明かすと、猛烈な肩透かしを食らうあまりに脱力し、ジト目で俺のことを責める浜辺恋ちゃんなのであった。


 その日以来、俺と浜辺さんはこんな風に少し話すようになった。ツンデレキャラはどうだとか、ぶりっ子キャラがどうだとか、アイドル像についてよく話し合った。

 俺みたいなオタ陰キャの話にじっと耳を傾けてくれる、彼女の混じり気のないところがなんだか可愛いと、俺は思うようになっていった。


 そんな中のある日、俺は浜辺さんが出演するライブをこっそりと観に行ってみた。彼女に告げず、こっそりと。

 浜辺さんは、一人一人が違う色の大きなリボンを身に着けていることが特徴という、売れそうもないダサいグループに所属していた。

 彼女のメンバーカラーはピンクだった。アイドルらしい良い色にも思えたが、サイリウムにまみれた薄暗いステージの上で、その淡い色は思いの外、褪せて見えた。

 いや、映えていなかったのは、色のせいだけではない。正直言って、歌声は細く、振りは小さく、表情も硬い……浜辺さんのパフォーマンスは弱かった。

 舞台上での存在感は全く持って希薄であった。まるで、喧騒の中、一人取り残された透明人間のようにも思えた。


「特別な何かが欲しい」


 そう物憂げに話す彼女を顔を思い出し、俺は一人、胸を痛めていた。

 なんとかして彼女の望みを叶えてあげたい。だが、果たして、俺にできることがあるのだろうか……。

 俺は必死に無い頭を振り絞った。



 そして次の土曜日、俺は浜辺さんを自宅へと誘った。最初はやはり渋られて、「うん、いやいや大丈夫! 今日親出かけてていないから。え? 逆に危ない? いやそんなことないって。なんなら家の前まででもいいから。ね? 前まで前まで。ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」


 と、ダメな大人の常套句みたいなことを口にしてしまいながら必死に説得して、なんとか了承してもらった。


「そこの角曲がったとこが俺ん家だから」

「ふーん、どんな家?」

「へっへっへ、こんな家さ!」


 そして、浜辺さんを家の前へ連れてくると――


「…………うわぁ!」


 そこで、彼女は目にした。

 よくある広さ40坪ほどの二階建ての中流家屋、その白い外壁の全面に大きなピンク色のリボンが描かれている様を。

 それには思わず目を見開き、驚愕の声を上げる浜辺さん。

 彼女が所属するグループのシンボルアイテムであるリボンで、彼女のメンバーカラーであるピンクのペンキで、大胆に外壁を彩ってやったのだ。つまりこれは――


「ふっふっふ、驚いた? これぞ、劇的ビフォーアフター! 浜辺さん激推し仕様外壁痛くみリフォームだ! 浜辺さんに、でっかいエールを送りたかったからさ」


 得意げに言ってみたものの、なお唖然とした様子で硬直し続ける彼女。そりゃそうか。だが、まだ俺のターンは終わっていない!


「これだけじゃないんだぜ。ちょっと中の方も見ていってよ」


 そんな彼女の手を引いて、俺は浜辺さんを家へと招き入れた。


「……うわぁ! うわぁ!」


 驚きの二乗。家に足を踏み入れるや、彼女は目にした。家の中の壁という壁すべてに、ピンクのリボンが描かれている様を。

 玄関も、廊下も、リビングも、無数に描かれた手の平サイズのリボンで埋め尽くされている光景を。


「……こ、これはさすがに、家の人に怒られるんじゃないの?」


 と、それにはさすがに心配になった様子で、おずおずとそう尋ねる彼女。


「だろうね。でも、こうしたかったんだ」


 が、俺はそんな彼女に敢然と言った。


「どうしてそこまで、ここまで……」


 俺の意志の強さに、動揺を見せる浜辺さん。だがそれは悪い意味でなく、心を揺さぶられている様子だった。だから、俺は素直な想いを口にした。


「特別が欲しいって言ってたから。浜辺さんが悩んでるみたいだったからさ」


 その言葉を聞くと、浜辺さんは初め不意を突かれたようにきょとんとしていたが、やがて相好を崩して――


「くすっ……」


 初めて笑った。

 少し呆れたように、けれど愉しげに。

 その時、二人の気持ちが通じ合ったような気がした。


「まったくもう……家族の大事な家なのに」

「ふふふ……だからこそだ」


 家族の大事な家だからこそ、彼女が妬んですらいた家庭だからこそ、こうしたのだ。

 その大事な家よりも、彼女の存在の方が大きいということを示すために、彼女のシンボルマークで、この家を塗り潰したのだ。そして、家を塗り潰すぐらいしないと、特別な体験をしたと思ってもらえないだろうから。

 そんな俺の意図は、彼女に伝わっているようだった。


「さぁ、ピンクのペンキはまだまだ余ってるぜ! とうっ!」

「きゃっ!」


 そして、俺はリビングのテーブルの上にたくさん並べて置いておいたペンキ缶を一つ手に取ると、おもむろに手近なタンスにペンキをぶちまけ、豪快にピンクに染めてみせた。

 と、初めはそれに驚いていた浜辺さんだったが、「さ、浜辺さんも一緒に! 温かい他人の家をぶっ潰して、かかった呪いをぶっ飛ばせ!」と俺に促されると、なにか解き放たれたような笑みを浮かべて、辺りにペンキを撒き散らし始めた。

 テレビも、ソファーも、テーブルも、俺達は征服していった。


「いいぞ! いいぞ! 窮屈なこの世界の全てを自分の色に染め上げろぉ! 世界は俺達のものだぁぁぁ!」

「おお―――っ!」


 俺達は、そうそう特別な人間にはなれない。家族がいないものは、もうどうにもならない。

 思うようにままならないことばかりの世の中だから、せめて、今日くらいは、世界を自分の色に染め上げろ!


 そうして、俺達は時が経つのも忘れて、その狂った宴を楽しんだ。

 彼女のあんなにはしゃいだ笑顔を見るのは初めてだったし、おそらく、浮かべることすら初めてだったのではないだろうか。俺は、そう思った。


 なお、その後、浜辺さんと入れ違いになるように帰ってきた両親に「スプラトゥーンのやり過ぎで頭がバグってたみたい」という言い訳を敢行してみたのだが、お尻を百回叩かれてこっぴどく怒られた。

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