第三章、その2

 菊水島に到着すると優たち汐ノ坂高校二年生と教員を乗せた数台のバスは、観光客で賑わう菊水市の市街地を抜けると街道に出る、両側には一面に広いサトウキビ畑が広がっていた。

 父から聞いたがこの菊水島も、先の東亜大戦で大勢の島民が巻き込まれて命を落とし、今も多くの島民や英霊の遺骨や遺品、武器装備や撃墜された飛行機の残骸が多く残ってるという。

 そう考えてる間に小山の上に建てられた菊水島自然の家に到着して入所式が行われ、宿泊棟の宛がわれた八人部屋に入った途端、げっそりした顔でグロッキー状態の喜代彦は最寄りのベッドにそのまま倒れ込むと、本田が心配した様子で駆け寄る。

「おい山森大丈夫か!?」

「うん……もう船に乗りたくない……帰りは飛行機がいい」

 喜代彦はそう言うが優は苦笑しながら指摘する。

「でも喜代彦君、高所恐怖症だったよね? しかもプロペラ機だから凄く揺れるよ」

「そうでした……」

 寝不足・船酔い・バス酔い・凪沙の説教というクアドラプルパンチを受けた喜代彦はそのまま口から魂が出てきそうな様子だ。

「今日から三泊四日の臨海学校……先が思いやられるな」

「そう言うなよ山森! 楽しんで行こうぜ! それに――」

 クラスの陽キャ代表で徹夜明けで目の下に隈ができてるにも関わらず、テンションの高い水島がニヤけながら一番最後に入った優に視線を向ける。

「――水無月には訊きたいことがあるんだ」

「み、水島君たち何を訊きたいの?」

「今夜のお・た・の・し・み!」

「……嫌な予感しかしない」

 優は表情を歪めた、到着してすぐ体操服に着替えてメインホールに集合してお昼ご飯は食堂で摂る。

 優はふと兵予学校に行ってたら寮生活でこんな風に食べていたのかもしれない、兵予学校に行った同級生はどうしてるんだろう? と思いながら、午後は別館で班に別れて応急手当や心肺蘇生法の講習会が行われ、あっという間に日が暮れた。

 夕食、入浴、夕べの集いが行われ、消灯の時間が近づき一日が終わる。


 今夜を楽しみしてたはずの水島は隣のベッドで不敵な笑みを見せながらも、より一層とゲッソリと憔悴しきった表情だ。

「ふふっ……待ってたぜ、やっと……やっと……消灯の時間だ」

「ああ……この時が来るまで長かった」

 喜代彦も今にも事切れそうな儚い笑みを見せ、本田はテンションを上げてる。

「ええもうすぐ消灯という名の枕投げの時間じゃん! 野球部の力を見せてやるよ!」

「そうだ! 本田の言う通りメインイベントだ。テニス部の力を侮るなよ! ラケットがなくてもできるところを見せてやる!」

 テニス部の三上もやる気満々な様子だ。

 優はというと、寝る前の習慣としてベッドの上で瞑目静座している。水島は気になったのか今にも事切れそうな声で様子で訊く。

「ところで水無月……さっきから瞑想でもしてるのか?」

「ううん、その日の行いを反省をしてるんだ……小さい頃からの習慣でね」

 優は首を横に振る。これは海軍士官の父から教えられたもので、海軍兵学校時代の習慣だと話していた。すると本田が興味を抱いたのか歩み寄って訊いてきた。

「どんな習慣だ水無月、教えてくれない?」

「うん五省ごせいって言って海軍兵学校――海軍の士官学校では一日の終わりに当番学生が五省を唱え、それぞれ心の中で反省する……って、父さんが教えてくれたんだ」

 ここで父さんのことを話していいのだろうか? 優は躊躇いながら口にすると三上が訊く。

「へぇ~水無月の親父さん海軍なんだ、どうやるんだ?」

「どこでもいいから瞑目静座して、僕が発唱はっしょうしたらそれを心の中で自分自身に問いかけるんだ」

 優が言うと水島も眠いにも関わらず興味を抱いたのか、みんなに促す。

「へぇ……なぁ! せっかくだからみんなもやってみようぜ! 水無月みたいに姿勢正して修行僧みたいに座るんだ!」

 水島の呼び掛けにさっきまでそれぞれお喋りをしてたり、スマホを弄っていたクラスメイトの男子八人は「なんだなんだ?」と優の真似をしてベッドに瞑目静座すると、喜代彦は心配した表情で訊く。

「おいおい優いいのかい? お前自身のこと……知られるんじゃない?」

「いずれ隠しておいてもバレそうだし……隠し通せるとも思ってないから」

「そうか……そうだよな」

 喜代彦にも思い当たるところがあるのだろう、実際彼も表では陽キャな優等生だが実際は弱点だらけのオタクだ。喜代彦もベッドの上に瞑目静座すると、さっきまで騒がしかった部屋が一瞬で静まり返る。

 優も瞑目し、呼吸と精神を整えると学校では絶対に聞かせない精悍かつ、凛々しい声で五省を発唱する。


 至誠しせいもとるなかりしか(誠実さや真心に反することはなかったか)


 言行にずるなかりしか(発言や行動に恥ずかしいところはなかったか)


 気力にくるなかりしか(物事を達成しようとする気力は十分だったか)


 努力にうらみなかりしか(目標や目的達成のため十分努力したか)


 不精ぶしょうわたるなかりしか(最後まで怠けずに取り組んだか)


 声を部屋の隅々まで響かせたものだ。ほんの少しの沈黙の後、優は歯を磨くためベッドから降りようとすると、クラスメイトたちは驚きの眼差しで優を見つめている。

「あれ? みんな、どうしたの?」

「いや……水無月ってこんな声出せるんだなって思って」

 三上が言うとクラスメイトたちは頷き、水島は優を見つめながら言う。

「俺もそう思う、水無月の声……見栄や虚勢を張ってる奴の声じゃない、本物の声だ」

「本物の……声?」

 優は思わず首を傾げると水島は首を左右に振って眠気を振り払うと、真剣な眼差しと表情で頷く。

「ああ、特技ってわけじゃないけどなんとなく声でわかるんだ。俺って色んな奴の知り合いや友達がいるんだけど、中には見栄や虚勢を張って自分を必要以上に大きく見せようとする奴もいる。水無月にはそんな奴らの声が全くしないんだ。大人しくて地味で目立たないけど、逆に言えば落ち着きがあって飾らない謙虚な奴と言えるからな」

 凄い観察眼だと優は思わず関心すると、いきなり生徒指導兼体育の先生が入ってきた。

「お~いお前ら――」

 クラスメイトたちが一斉にビクッとして一瞬で部屋の空気が凍り付く、体育の先生気だるげな口調だが表情と目は笑ってなかった。

「――消灯だぞ~今日の反省をしたら後は寝るだけだからな」

 体育の先生はそう言って扉を閉めると、緊張が解けて全員が安堵する。

「ビックリした……生きた心地がしなかったぞ」

 本田が胸撫で下ろすと喜代彦も頷く。

「反省したら寝るだけって、今の聞こえていたかもな……枕投げ明日にしよう? 俺昨夜寝てないんだ」

「賛成、実は俺も……意識を保つものがもう限界。反省したんだしこれ以上反省点増やさなくてもいいだろ?」

 水島は今にも事切れそうな表情に戻り、三上も同じことを考えてたのかみんなに訊く。

「昨日夜更かししてたって奴、手を挙げて」

 すると八人中五人が手を挙げて、いつもより一時間程度という人もいればオールナイトしたという奴もいて、本田は正論を述べる。

「お前ら寝ろよ! 夜一二時までならまだわかるが徹夜オールナイトはマズいだろ! 三上、これじゃ枕投げにならねぇから明日にしようぜ」

「そうだな、徹夜した奴相手に試合で勝っても面白くないしな」

 三上は残念そうに言うと、優は密かに安堵した。

 LINE交換してるクラスメイトが喜代彦だけでよかったことと、普通に眠れることに感謝しながら歯を磨いて布団に入った。


 翌日の臨海学校二日目、優は選択授業の乗馬教室に向かうため送迎車である日産キャラバンに乗ると、隣の席に同じクラスの潮海美海が涼やかな笑みで座る。

「おはよう水無月君」

「おはよう潮海さん」

 こんな風に気さくに挨拶してくれる女の子がいるって、実は恵まれてるのかな僕は? そう思ってると本田が後ろの席からニヤニヤしながら羨ましげに言う。

「絵になるねぇ……海軍士官のご長男に敷島電鉄グループの御令嬢とはねぇ」

 本田の失言にミミナは忌まわしげな表情になって振り向く。

「その言い方、やめてくれます? 電鉄グループの御令嬢だなんて本気で不愉快です」

 ミミナは睨み、低くも凛とした声で本田に本能的な恐怖を与えて「ひぃっ!」と短い悲鳴を上げさせて慌てて宥めようとする。

「じょ、冗談だって……」

「冗談でもやめてください、それは免罪符なんかじゃありません」

「ご、ごめんなさい……俺が悪かった」

 本田は恐怖一色の顔で謝罪するが海軍士官の長男だなんて誰が漏らしたんだろう? 教えてるとしたら一人だけ心当たりがある。

「本田君――」

 優は満面の笑みで振り向き、低い声で問い詰める。

「――僕が長男だなんて言った覚えないけど、誰が教えてくれたのかな?」

「や……山森です……朝飯の時にポロッと」

「教えてくれてありがとう、本田君」

 本田は何度も首を縦に振ると、優は真っ黒な笑みで喜代彦に後で東亜大戦時代の皇国海軍の遺産――海軍精神注入棒でお仕置きしてやりたいと思った。

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