ありふれた

 いつも使っているスマートニュースを起動させてみると、『東京五輪開催まであと11日!』とあった。新型コロナワクチンバナー情報を何度も横にスクロールしないと出てこないほど、隅っこの方。国を挙げて一大ムーブメントだというのに、マスメディアでさえ応援ムードを諦めているらしい。

 11日後? ああ、ほんとに開催すんのかよ……松山は、失望したようにぐにゃりと濃い目の眉をしかめるしかできなかった。日曜日の夜11時にそれを確認しても、特に希望もわくわく感も見事なまでに湧いてこない。ああ、そう、という何とも言いようのない気持ちが、何もかもどうでもよくさせてくれる。


 そういえば、明日から緊急事態宣言が出されるらしい。期間は長めに取り、六週間。東京ではこれで四度目になる。まあ先週の自分と別に大した足かせにもならないだろう。

 銀座も原宿も渋谷も、定点カメラで映し出されるスクランブル交差点は、行きかう人々がせかせかと走り出すように黒いドットを流し込んでいる。熱に浮かされくたばりぞこないとなった都知事をも呆然とさせるような実態だ。それもこれもすべて、何ら変わろうとしない社会が悪い……と、ネット民は豪語しているらしい。

 


 12時を回った。夜だ。寝よう……あーあ、明日もまた通勤電車に乗らないとな。

 いつまでたってもテレワーク化しない、もはや会社の犬となっている松山は、朝六時にセットされた目覚まし時計と充電器コードの繋がれたスマホを投げ捨てるように床についた。

 明日も東京か。四度目の緊急事態宣言で、何が変わるのかねぇ……?


 朝になっても、一週間たっても、11日後になっても、彼の脳内には「仕事」というありふれた語句しか出てこなかった。

 世間も同意したいほどありふれている。オリンピックがなかった時と同じように、「緊急事態宣言発令中」もやらなかった時のように、明日もまた日本の首都は所狭しと通勤ラッシュを形成するのだろう。アメリカやフランスのように明確な理由もなく、無料なので打ってください――と政府に言われるままに。


 『致死者354人』のワクチンを打つ日を待ちわびながら、二年前から待ちわびたオリンピックがこれから開かれようとしている……オリンピックって何だっけ、と、ぎゅうぎゅうづめになった山手線のなか、スマホはgoo国語辞書を開いていた。


 オリンピック:

 国際オリンピック委員会(IOC)が主催する、スポーツで最大の国際競技大会。


 今年は無観客で開催されるらしい。

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