33 後輩は俺にチョコバナナを食べさせたいらしい

 というわけでテスト期間が始まった。これが終われば夏休み。これが終われば今学期は自由の身。俺たちはいつメンで図書室に集合して、コツコツ勉強することにした。


「はあーかったりー……」ジャス子先輩がのっけからやる気なし宣言を発した。九条寺くんが、

「靖子先輩。赤点なしでアルバイトして新しいミシン買うって言ってましたよね」

 と、ジャス子先輩に釘を刺す。ジャス子先輩は、

「だけどさあ……いまから数学の問題集解く意味ある? 公式覚えられないんだから解いても無駄だべ」とぼやく。


「だから解いて公式覚えるんじゃないですか」と、九条寺くんがド正論を放つ。


「そうか。それはアハ体験だ……!」いやそんなアハ体験してどうするの。


 美沙緒さんはちょっと難しそうな顔をしつつコツコツと問題を解いていく。こうやってコツコツ勉強できるからいい成績が保てるのだ。一瞬の油断もなく、問題集を解いては答え合わせをし、間違えていたところを理解できるまで確認する。美沙緒さんが将棋も得意なのはこういう体質の賜物なのだろうなあ、と思う。


 夕方、図書室閉館の時間になり、いつメン勉強会は解散と相成った。みな荷物をかかえて廊下に出る。ジャス子先輩は頭痛を催している顔だ。美沙緒さんが心配そうにジャス子先輩を見て、

「あの、ジャス子先輩。頭痛いならロキソニン持ってます」と声をかけた。


「あー大丈夫。ただの脳みその疲れで実際に頭が痛いわけじゃない。優しいね、みーちゃん」


 ジャス子先輩は陽気に笑った。ぐいーっと伸びをして、

「ボキボキボキボキ簿記二級」とよく分からないギャグを言ったが、実際にボキボキ音がするような、体のこっている人の伸びだった。


「じゃーねー。またあしたー」


 みんなでばらばらと廊下で別れる。美沙緒さんと九条寺くんがいなくなったところで、ジャス子先輩がぽつりとつぶやいた。


「寂しいんだよね。だから将棋部くんに何度もちょっかいしようとした。ごめん」


「……?」よく分からないので言葉の続きを待つ。


「寂しいんだ。全国大会より上はないじゃん? 全国大会終わっちゃったら優勝しようが負けようが部活引退するじゃん? 寂しいんだ。もう演劇部にいられないのがさ。まあ最初から裏で黙々と衣装作ってるだけだったけどさ、それでも演劇部のみんなとバカやったりお菓子食べながら裁縫したり、ヘーカに衣装の出来を褒めてもらえたりするの、もうないんだなーって」


 ヘーカというのは演劇部の顧問の現代文の先生だ。見た目が天皇陛下にそっくりなのでこのあだ名がついた。平成の時代はデンカと呼ばれていたらしいがよく分からない。


「でもジャス子先輩には目標があるじゃないですか。それだけマシですよ。俺なんか、なにを勉強したいのか自分でもよく分かってないんで」


「そーなの? てっきりなんかしゅんごい目標があるのだとばかり……」


「でも、俺は最初、ただ近くの医療機器工場に勤めるつもりでしたけど、美沙緒さんと話してるうちに、東京で「働く意味」を勉強してみようって思ったんですよね」


 ジャス子先輩はしばらく、口をとがらして考えて、

「いいじゃん。それ充分目標だよ。よおし、演劇部引退したらちゃんと勉強して東京の専門学校行こう。ありがと木暮くん、やる気出てきた」


「それはよかった」


「それと一緒に別のヤる気も出てきたけどどうする?」


「ヤらないですよ。俺は美沙緒さんと付き合ってるんですから」


「……そうだね。ウチも仲のいい元彼いるんだったわー。東京にいるしバイト三昧の稽古三昧で忙しくて、めったに連絡よこさないからあんまり仲いいって感じしないんだけどね」


 ジャス子先輩はせつなげに笑った。心の痛くなるような笑顔だった。


 さて、テスト期間の日常なんて書いても面白くないので、テスト終了後に時間はワープする。廊下に貼りだされたテスト結果は、一年生はまたしても美沙緒さんが首位で、九条寺くんは三十番以内。俺もどうにか三十番以内だ。ジャス子先輩の名前はなかったが、本人いわく「赤点はわりと余裕で回避できた。よっしゃバイトしてミシン買う」とのことだった。


 テストが終わって夏休みが始まってすぐの日曜夜に、花火大会が開催されると地元の新聞に書いてあったので、俺はそれに美沙緒さんを誘うことにした。そうしたら結果、いつメンが集まることになってしまった。


 本当は美沙緒さんと二人で行きたかったが、やっぱり美沙緒さんと二人っきりはその後あらぬ方向に展開した場合が怖いので、なんだかんだいつメンでよかった、とも思った。


 最初にやってきた九条寺くんは、小学生の男の子が着るような甚平を着て現れた。これで出店の風船を持っていたら完全に小学生男子だ。


「春野、まだ来ないのか?」


「うん、何で来るんだろ……ちょっと連絡してみる」


 スマホをジーパンのポケットから引っ張り出して、今回は美沙緒さんとふたりっきりのやりとりをしているチャットを選んで連絡してみる。どうやらきれいに着付けしようとして手間取り、それでちょっと遅くなって、これから来るらしい。


「やっほい。なに、みーちゃん遅くなるの?」


 ジャス子先輩が後ろから現れた。すごくファッショナブルな、蛍光色でクロコダイル柄の浴衣に、面白い形に結んだプロレスマスク柄の帯を締めている。足元はハイヒールのゲタだ。


「オシャレっすねジャス子先輩」


「だべ? ネットで去年ぽちったやつ。今年の新作はミシンを買うと思うと手が出なかったんだ。重機柄ですごく可愛かったんだけどねー」


 重機柄、どこがかわいいのだろうか。


「で、どうする? みーちゃん打ち上げ花火に間に合いそう?」


「たぶん……ちょっと目立つとこにいましょうか」


「それいいね。えーっとね……児童公園にいよっか。あの公園のトンネル山のてっぺんから、すっごいきれいな花火見えるんだよ。超穴場スポットだよ」


 というわけで、近くの児童公園に移動した。児童公園というだけあって、遊具が充実している。花火大会会場の河原の混雑が遠くに見えるが、公園は静かだ。俺は美沙緒さんに、児童公園にいるよ、と連絡した。


 ジャス子先輩は裾が乱れるのも構わずトンネル山によじ登った。白い足が見えてどきりとする。九条寺くんもその横に登る。俺はブランコに座った。


 スマホが鳴った。開いてみると美沙緒さんから、いま河原についたとの連絡。電話に切り替えて、いま児童公園にいるのだ、というと、

「児童公園ですか。遊具の陰で致す感じですか」

 と言われた。いやいつメンで集合してるから致さないよ。そう答えて、それからわりとすぐ、美沙緒さんが現れた。


 リボンとスイーツを描いた柄のゆかたに、トランプ柄の帯。帯はきれいに手結びしていて、胸元の主張が大人しいかわり髪を上げていて、白いうなじの後れ毛がたまらなく色っぽい。


「おーみーちゃん! 浴衣超かわいーじゃん! どこのやつ?」


「なんかよく分かんないネットショップで見つけて、可愛いと思って買ったんですけど……ジャス子先輩の浴衣もカッコいいじゃないですか! 似合ってます! 作ったんですか?」


「えへへへ……さすがに和裁は専門外でさ、普通にネットでぽちーしたんだわ。帯は変わり結びの本読んで結んでみた。ミニふくら雀ってやつ」


「わたしなんかふつうの花文庫だからなあ……」花文庫。どんなエロラノベレーベルだろうと思ったら、美沙緒さんの帯結びを花文庫というらしい。


「あ、あのっ。春野、お前浴衣すごく似合うな!」


 九条寺くんがそう言った。顔が真っ赤だ。


「――あ、そうだ。みんななんかおやつ食べない? かき氷かなんか買ってこよっか。まだ打ち上げまで時間あるっしょ?」と、ジャス子先輩が笑顔で言った。


 スマホの時計をみる。まだ花火大会開始まで5~6分ある。


「じゃあお願いしていいですか。味はなんでもいいです」


「わたしも味はなんでもいいですが、先輩にはチョコバナナを食べさせたいです」


 なんでチョコバナナなの。まあ想像するところは分かるのだが。とにかくジャス子先輩が全員分のかき氷を買いに行った。荷物持ちに九条寺くんを連行していった。


 公園には、俺と美沙緒さんが残された。

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