32 後輩は俺の陰毛には学問のお守りの力があると思っているらしい

 土曜日。待ち合わせ場所のシネコン前で、スマホを見る。グループチャットで全員こっちに向かっていることは分かっている。なんとジャス子先輩は隣町の人で、わざわざ電車で来てくれるようだ。スマホの時計を見る。待ち合わせ時間までまだしばらくある。


 向こうのほうから九条寺くんが現れた。実に質素な、ケチャップとかカレーとか飛ばしちゃいそうな白いTシャツにデニムパンツといういで立ち。シンプルながらよいものと分かるスニーカーを履いている。


「おはようさん」


「おう。おはよう」九条寺くんは子供がせいいっぱい大人ぶっている口調でそう言い、髪の毛の遊ばせた毛先をいじっている。端的にいってかなり少女漫画に出てきそうな見た目。


「これか? 胸キュン映画とかいうやつ」と、九条寺くんはポスターをちらっと見る。きれいな若い女優さんと、イケメンの俳優が向き合っているシンプルなポスターだ。


「うん。調べたらわりと評判よかった。それともこっちにするか?」


 俺はハリウッドの超大作怪獣映画のポスターを指さした。九条寺くんは、

「おれ、こういうデカい音するのむり」と答えた。耳が繊細にできているらしい。


「おそくなっぴー」ジャス子先輩が現れた。服装はなんというか、その、ド派手で元気のいい感じ。田舎のこの街で着ていたらちょっと浮きそうな感じだ。


「意外と早かったっすね、ジャス子先輩」


「うん、早めの電車で来て駅ビルの手芸屋漁ってた。大漁大漁」


 そういうジャス子先輩はビーズ刺繍に使うビーズや、服の裾とかにあしらうようなレースを見せてきた。この人は本当に裁縫が好きなのだな、と思った。


「――春野、遅いな」


「美沙緒さんどうしたんだろ。ちょっと連絡してみる」


 と、スマホをぽちぽちすると、その場にいた全員のスマホが鳴った。そりゃそうだ、このグループ交際のためにチャットを作ったんだから。


 美沙緒さんから連絡が来た時も全員のスマホが鳴った。美沙緒さんはこっちに向かうタクシーの中らしい。さすがお嬢様といった感じである。


「もしかして工事にひっかかっちゃったかな。電車でこっちに来る途中、春野医院からそう遠くないとこであちこち工事やってたの目に入ったから」ジャス子先輩が心配そうに言う。


 上映時間ちょっと前に、なんとか美沙緒さんが到着した。ジャス子先輩の心配どおり、工事に引っかかっていたらしい。美沙緒さんはいつぞやの、俺の散歩をするためのワンピースに、シンプルなエナメルのパンプス、グレーのストッキングという清楚ないで立ちで現れた。とてもよく似合っている、と褒めると、「祖母にはデートにこんな安物着ていくなって言われたんですけど」と恥ずかしそうに言った。それから美沙緒さんはジャス子先輩を見て、

「東京にいかなくてもいるんですね、変わったファッションの人」と呟いた。地味に失礼だ。


みんなでチケットとポップコーンとコーラを買い、胸キュン映画を上映するスクリーンに入った。


「いまどきの映画館てこんなんなんだね。何年も映画なんてテレビでしか見てなかったから知らんかったわー」と、ジャス子先輩。ジャス子先輩の暮らす隣町には、単館の古い名画座が一つあるだけで、その名画座ではもっぱら時代劇映画とか西部劇をやっているらしい。


 映画泥棒のやつと予告編が流れて、胸キュン映画が始まった。ストーリーは実にシンプルで、海で出会った女子高生と大学生が恋に落ちて一緒に渚でぱちゃぱちゃして、なにやら別れがあって、それから都会でもう一度出会って……みたいな話だった。


 俺たちは横に四人並んで――将棋でいうところの金の延べ棒状態――、その映画を見た。意外なことにジャス子先輩が号泣していて、九条寺くんがハンカチを差し伸べていた。


 美沙緒さんは最初から最後までよく分からない顔。九条寺くんはわりと感動している顔。俺は「まあ1300円の価値はあるか……」みたいな顔で観ていた。きれいな女優さんの水着姿はまぶしかったし、映像や音楽はとてもきれいだった。


 映画が終わってスタッフロールが流れ、俺たちは劇場を出た。


「美沙緒さんずっとよくわかんない顔してたけど、どうして?」


「なんていうか、あそこまで愛しあってるならBくらいまで行っていいと思うんですよね。それがなかったのがすごく不自然です」そこかい。ため息が出る。


「び、びー?」九条寺くんは美沙緒さんの言うことが理解できないらしい。説明するのもあれなので、「家に帰ってから、恋のABCでググってみな」とだけ言っておいた。


「いやー泣いた泣いた。すっきりしたー」ジャス子先輩が笑顔になる。それから、

「でも作品の設定が真夏なのに東京であんな厚着してるのおかしいと思う」と呟いた。そういうことは心のうちに秘めておいてください。そう思っているとジャス子先輩はスケッチブックを取り出し、ヒロインの着ていたかわいいワンピースをさらさらと描いた。


「こんなんだったよね、主人公のワンピース。かわいいなーって思ったけど、真夏の東京で着るには生地が厚かった気がする」どこまでファッションオタクなの、ジャス子先輩。


 スマホの電源を入れてみるとすっかり昼になっていた。みんなで近くのファミレスになだれ込んだ。


「ジャス子先輩、ご両親どうなりました?」美沙緒さんがメニューのタブレットを操作しながら聞いた。ジャス子先輩はティヒヒと笑って、

「あー、元彼をスマホのテレビ電話で見せたら緑の髪にドン引きしてた。でも、東京行きたいなら行っていいって言われたよ。ただし恋愛関係こじれたら自力でなんとかしろ、とも」


 と、人生ハードモードなコメントを発した。


「えっ。靖子先輩彼氏いるんですか。おれミックスグリル。ドリンクバーつけるか?」


 九条寺くんが驚きながらミックスグリルと全員分のドリンクバーを発注した。


「彼氏じゃないよ、仲のいい元彼。ダブルデートとかグループ交際とか言ってたからそもそも完全に気配を感じてなかったか。おろ? LINEきた」


 ジャス子先輩はスマホを両手打ちでぽちぽちして、

「元彼が次の公演の案内送ってきた。しかもちょうどその日東京じゃん!」


「と、東京って、なんでです?」俺が訊ねると、ジャス子先輩は胸を張って、

「東高演劇部、なんとなんと今年夏の全国大会、出場決定してました!」と答えた。えっ、それってすごい快挙なのでは。しかしいつの間に。


「もうこないだの土日で決定してたんだけど、喋っちゃだめって言われてて。でもこのいつメンなら言っていいかなーとか思ってー。それで今週ずっと衣装のレベルアップに時間使ってたわけ。強い敵に挑むなら装備は強化しないとね」


 装備は強化しないと、ってそれよくあるゲームじゃないですか……。


 結局ジャス子先輩はパンケーキを、美沙緒さんは季節限定の海鮮冷製パスタを、俺は和風キノコパスタを発注した。先述した通り九条寺くんはミックスグリルである。そしてジャス子先輩は九条寺くんとドリンクバーで錬金術をやっている。


「楽しそうですね。似合うと思うのに、あの二人。でもそれぞれ好きな人がいるんですよね」


 その片方の矢印が自分に向いていることを無視して美沙緒さんはそう言う。まもなく食べ物が運ばれてきて、美沙緒さんは上品に貧相なエビの泳いでいるパスタを食べている。俺も和風キノコパスタを食べるわけだが、美沙緒さんほど優雅に食べることができない。かっこわるい。


「で、先輩。これから全員でホテル代出し合って4Pするんです? わたしはそれもいいと思います。楽しそうですよね、乱交パーティ。パーティっていうには少ないか」


 俺は和風キノコパスタが変なところに入ってひどく噎せた。しない。しないよ!


「それは残念。先輩の陰毛には学問のお守りの力があると思っていたのに」


 なんだそれは。処女の陰毛は強力な勝負のお守りになるとかいう話を聞いたことはあるが、俺の陰毛が学問のお守りになるわけがない。俺の股間は菅原道真か。


「なんならあとでちょっと分けてくれても。あ、わたしの陰毛いります?」


「とりあえず遠慮しようかな。アハハハ」俺は引きつり笑いをした。ちょうどジャス子先輩と九条寺くんがミラクルマジカルドリンクをもってやってきたところだ。


「なんの話だ?」九条寺くんが、色合いから察するにメロンソーダとカルピスを錬成したものをすすりながら訊いてきたので、「学問の神様ってダザイフなんちゃらのスガワラなんちゃらだよねーって話だよ」と、俺はぼかして答えた。九条寺くんは頷いて、

「そうだな、来週からテスト期間始まるしな」と、すごくまっとうなセリフで応えた。


「バイトしたいから赤点とれねーんだよな~! テストかったるいな~!」とジャス子先輩。


「じゃあいつメンで集まって勉強します? 学年またいじゃってるから集中力散るだけですか?」と、美沙緒さんが提案する。それはいいね、と俺はこたえて、九条寺くんは顔を赤くして頷いた。ジャス子先輩はニヤニヤしている。何をする気だ。俺は怖い。

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