30 後輩は俺がチョメチョメしてくれなかったら寂しくて死んじゃうらしい

「うそだ! 靖子先輩は、お前となんかしたいって言ってた! ……なにをやるかは、具体的に言ってなかったけど」


 いや九条寺くん、「やる」って言われてなにをするか想像がつかないのか。ほんとうに子供じゃないの。俺は九条寺くんのピュアな心を踏みにじりたくなくて、

「俺もなにをするのかよく分からない。よく分からないことをするわけないだろ?」

 と、そう答えた。九条寺くんはヘウレーカの顔をしている。


「春野には黙っとけばいいか」


「頼む。春野さんは知りたくないと思う」


「――わかった」九条寺くんは、ふと足元をみて、

「やべ。内履きのまま玄関から出てしまった」と、そう言ってなるべく歩数がかからないようにひょこひょこと戻っていった。やっぱり育ちがいい。


 俺は家に帰り、宿題をやっつけ夕飯を用意して食べ、それからぴよ将棋と三戦してから風呂に入った。ぴよ将棋、棋譜を解析してみるとやはり余裕で勝ったつもりでも悪手を指しているのが気になる。うーん。上手くなるのは難しいなあ。部室から借りてきた詰将棋の本を眺めてから、布団に入った。ちょっとトイレに行きたくて布団を出ると、

「ただいまー」と母さんが帰ってきた。


「おかえり」そう声をかける。


「なんか久々に起きてる顔見た。学校、頑張ってるんだってね」母さんは笑顔だ。


「頑張ってるって、なにを?」


「勉強も部活も。お父さんから仙一が進学したいって言ってる話は聞いてる。そのために我々は社畜やってるんだから、遠慮せず行きたい学校に行きなさい」


「……ありがと。母さんも早く食べて寝なよ」


「そうする。やれやれ」

 母さんは冷食を取り出してチンし始めた。俺は布団に戻り、目を閉じる。


 勉強ももっと頑張らなきゃなあ……将棋ばっかりやってる場合じゃねえんだよな……。


 ――夢を見た。夢の中で俺はなぜかバニースーツを着て、網タイツを穿いていた。M字開脚した状態で、美沙緒さんとジャス子先輩が俺を品定めしている。横では、ミニスカメイド服の九条寺くんがやっぱりM字開脚で品定めされている。まるっきし変態美術展みたいな状況だ。


 美沙緒さんとジャス子先輩が仲良く品定めする夢にさんざんうなされて、目が覚めたらもう両親は仕事に行っていた。水曜日。空は明るい。


 弁当が用意してある。冷食を詰めるだけなのだから俺でもできるのだが、とにかくありがたくカバンにいれ、顔を洗い嗜み程度に生えてくるヒゲを剃り、制服に着替える。


 シリアルに牛乳をだばだばーっとかけてカシカシとかっこみ、アパートを出た。


 ジャス子先輩が俺に「ヤろ?」と言ってきたのを思い出す。


 怖いことだ。ジャス子先輩には怖くなくても、俺には怖いことだ。いささか怯えながら、午前中の授業をやっつけて、ピロティに向かった。


 美沙緒さんとジャス子先輩が仲良くおしゃべりしていた。なんだか楽しそうだ。なんの話だろう。とにかく、「やあ」と声をかけて美沙緒さんの横に座る。


「将棋部くん、ちゃんとみーちゃん愛してあげなきゃだめだよー」


「……はい?」よく分からないので、弁当箱を開けながら尋ね返す。


「将棋部くんさあ、みーちゃんとチューしたこともないんでしょ? Aも行ってないじゃん」


 きょうび恋愛のABCを言う人初めて見た。


「将棋部くん、恋愛には肉体的接触が伴うものだよ。せめて今年中にチューぐらいはしなよ。みーちゃん寂しくて死んじゃうよ」


「先輩がチョメチョメしてくれなかったら寂しくて死んじゃいますよぅ」


「あははーみーちゃん大胆! キスだけでおさまってなかったか!」


 チョメチョメって……。完全に呆れつつドン引きしつつ、弁当に手をつける。


「美沙緒さん、そんな自分を安売りしなさんな。もっと充実した恋愛ってもんがあるだろ」


「だって現状買い物に一緒に行くくらいじゃないですか。手をつないだかつないでないか分からない程度」


 ……確かに、手をつないだかどうか覚えていない。つないだような気がするが、気のせいかもしれない。


「じゃあ、今週末土曜日……映画でも観に行く? なんか胸キュンものの邦画が」

「日活ロマンポルノですね?! 日活ロマンポルノなんですね?!」美沙緒さんが食い気味に言う。ちがわい。というか俺らじゃそもそも入れないでしょ、ポルノ映画の劇場……。


「そうじゃなくて。少女漫画が原作の、なんかカップルで観に行くのにちょうどよさそうなやつが今週金曜封切りだから、それはどう? って」


「少女漫画ですか。恋愛描写がぬるくてあんまり好きじゃないです。行ってせいぜいキスどまりじゃないですか」


「ふつう高校生のカップルっていうのはキスどまりなもんなの!」


「そうなんですか? ジャス子先輩」なぜジャス子先輩に振るんだ美沙緒さんよ。


「うーん、難しいとこだね。うちみたいなパッパラパーのアホな不良なら、案外Bくらい……いやCまでいくな。Cまで行ったな」そんなことさらりと言わないでくださいジャス子先輩。


「……ジャス子先輩は、彼氏っていたんですか」美沙緒さんが妙にしんみりしたトーンで訊く。


「きのういないって言ってませんでしたっけ」

俺がそう言うと、ジャス子先輩はきひひと笑って、「現状付き合ってる人はいないけど、ひっどい腐れ縁の元彼が、いま東京で劇団員兼アルバイトやってる。ジャス子が東京にくるなら一緒に暮らそうって言ってる」と、寂しげに微笑んだ。


「東京で劇団員やってるってことは年上ですか。ジャス子先輩、年下が好みって言ってませんでしたか?」


 俺がそう言うと、ジャス子先輩はしばらくあうあうしてから、「い、いや、その、同い年よりは頼られたり頼ったりする関係のほうがいいよねって話で……」と、なにか言い訳臭いことを言った。明らかに不自然だ。


 ジャス子先輩はふっと目線を上げて高いところを見た。それから、不自然なセリフを打ち消すように、話を始めた。


「元彼が東京に来たら一緒に暮らすべっていってくれてるけど、ウチの親、東京は家賃と交通費がやべーからなるべく近くの学校に行けって言うんだ。ウチ、親に元彼の存在伏せてるから、家賃の心配しなくていいって言えなくて。みーちゃんは進路どーすんの? てか将棋部くんは?」と、俺らに訊ねてきた。


「俺は東京の大学に進学するつもりですけど」


「わたしも東京の女子大でのんびり花嫁修業します」


「うひゃー! おかねもっちー! いいなあ、東京。ウチは東京に行ってやりたいこと、いろいろあんだけどね……どうすればいいだろうね?」


「元彼の存在をおおやけにして、ご両親を説得するほかなくないですか。スマホのテレビ電話的なの使って元彼を紹介するとかして」美沙緒さんが真面目にそういう。ジャス子先輩は頭痛でも催したような顔をして、

「ウチの元彼、髪を緑色に染めてるんだよね……売れない劇団員だし」とぼやいた。だいぶアーティスティックなひとらしい。劇団員というのも生活の不安定さをうかがわせる。


「でも好きならそれを貫き通すほかないんじゃないですか。ジャス子先輩はその腐れ縁の劇団員さんが好き! その劇団員さんもジャス子先輩が好き! 一緒に暮らせて家賃半分だし相手はバイトとはいえ働いてる! それだけあれば説得には充分かと思います」


「……そっか。元彼と相談して親に紹介してみる。ウチの親もヤンキーではやばやと結婚したひとたちだから、わりと許してくれるかも」


 ジャス子先輩は穏やかに笑った。放っておいてはいけないと思ってしまうような、せつない笑顔だった。いやいや騙されないぞ……せつなげに元彼のことを言うくせに、俺と一発ヤる気満々だったんだぞ、ジャス子先輩は。というかなんでそんな、別れても仲のいい元彼がいるというのに俺に「ヤろ?」と言ってきたのか。わからない。欲求不満なんだろうか。まあここから東京なら物理的に会うのは難しいし、と思った瞬間、美沙緒さんが口を開いた。


「じゃあ、ジャス子先輩は元彼さんとテレフォンセッ●スとかするんですか?」


 俺はから揚げを噴きそうになった。ジャス子先輩もレモンティーを噴きそうな顔をしている。


「ちょ、みーちゃん言うこと過激すぎるよ! どこで覚えたのそんな言葉」


「河原に落ちてるエロ漫画です」


 なにを読んでるの。呆れて出てくるべき言葉が出てこない。


「ま、まあ、そういうのはフィクションだべ……ホントにやる人はいないと思うよ、みーちゃん……」


「美沙緒さん、ほかの生徒もご飯食べてるのを忘れないでね」


「あぁっ」美沙緒さんは悲鳴を上げた。周りは聞こえないふりをしているようだ。


 美沙緒さんの性に対する好奇心の強さにビビりつつも、俺はこの子の味方をしなきゃいけない、という想いをとてもとても強く持った。

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