18 後輩は文章のなかならどんなわいせつなことでも言っていいと思っているらしい

 月曜日。廊下にはテストの成績が貼り出されている。俺は思ったよりずいぶんと好位置につけていた。大学受験ガチ勢みたいなクラスメイトの名前の合間に俺の名前がある。


 一年生のほうを見ると、美沙緒さんは学年一位の成績だった。九条寺くんもなんとか30番に入っていた。


 これを見ても美沙緒さんは自分への評価を変えないのかな。


 とにかくきょうも昼休みはピロティだ。すでにリア充がたむろっている。適当に座ると、美沙緒さんがやってきて、俺の隣にぽすりと座った。


「テスト、一番だったじゃん。すごいね」と、素直に声をかける。


「まぐれですよ。次はひどい成績を取るに決まってます」


「そう? もうちょっと誇っていいことだよ?」


「……そういえば、先輩は小説って書いたことありますか?」

 なにをいきなり。俺は少し考えて、「ないな」と答えた。


「気の合う人族が、小説書いてみたらどうだーって言うんですよ」

 美沙緒さんはそう切り出した。しかし気の合う人族って。やっぱりエルフの美少女が奴隷になって醜い豪商に折檻される世界じゃないの。


「あいつにはちゃんと『九条寺貴比古』って名前があるぜ? でも、まあいいんじゃない? 小説書いてみるのも」


「でもわたしずっと美●女文庫しか読んでないんですよ。芥川とか太宰とか村上春樹とか読んだことないんですよ。そんな人間に小説が書けると思いますか?」


「わかんないけど、美●女文庫が好きならそういうの書けばいいんじゃない?」


「そっか、文章のなかならどんなわいせつなことでも言っていいんだ……! 先輩を傷つけたらいけないと思って言えなかったことを、どんどん書けばいいんだ……!」


 いや普段の言動以外にもそんな俺に言えないようなことを考えてたんですか。普段から人に言うのはどうかというようなことばかり言っているなあと思っていたんですが。


「美沙緒さんは純文学向きなんじゃないかなーって俺は思うよ」


「矢倉ですか」


「……それは将棋の純文学ね」美沙緒さんの切り返しが鋭すぎる。


 そんなことを呑気に言いながら昼ご飯を食べた。相変わらず八割が冷凍食品の弁当を食べ終えて、美沙緒さんが茶色い弁当と格闘するのを眺める。


「小説書く機材って、パソコンとか必要なんですかね?」


「パソコンかあ。分からないけど、紙の原稿用紙だと読まれてしまう可能性があるな。ポメラってやつがいいらしいよ」


「ぽめら」美沙緒さんはスマホをポケットから取り出し、アマゾンを開いてポメラで検索をかけた。どうやらポチったらしい。どういうお財布してるの。


 ポメラをポチって、美沙緒さんは弁当の続きをぱくぱく食べた。


 予冷が鳴ったので撤収する。その日も、平和に五時間目六時間目と時間が過ぎた。

 掃除が終わって帰りの会のあと、担任の飯島先生に声をかけられた。ちょっと職員室に来てくれないか、と。


 飯島先生は言ってしまえば「かわいいおばあちゃん」と言ったふぜいの体育教師である。いつもジャージを着ている以外、運動神経がよさそうな様子はないのだが、若いころは器械体操で全国大会にいくような人だったらしい。それに「おばあちゃん」と言ってもまだ定年前なのだから恐らく五十代だ。どうにも中高生は先生の年齢を多く見積もりがちである。


「失礼しまぁす」


 職員室に入ると、飯島先生はプロテインバーをもぐもぐしながら、

「木暮くん、貼りだしてある定期テストの成績みた?」と訪ねてきた。


「ええまあ。それなりにいい感じでしたね」


「木暮くんは就職希望よね? でもそれ、なんかもったいないと先生は思うわ」


「……やっぱり、そうですか?」


「そうよ。進学希望のやつを悠々と追い抜いてる。このまま誠実に勉強すればちゃんとした公立の大学に進めるはず。いまは奨学金の制度が充実してるし、ちょっと進学希望で考えてみたらどう? まあお家の事情が許さないとかなら無理にとは言わないわ」


「いえ、親も学資保険とか入ってるから大学に行けるなら行けばいい、行きたいなら行けばいいって言ってるんですけど、でも……なんていうか、勉強するより働くほうが偉い気がして」


 俺がそう言うと、飯島先生はポチ目で俺を見て、

「なんで? 勉強する人が新しいものごとを切り開くから、労働するひとは働けるのよ。勉強するってすごく尊いことなのよ。私の戦中派のおばが言ってたわ……女学校に行きたかったけど戦争が進んでそれどころじゃなくなっちゃった、って。もしあのとき嫁入りしないで女学校に行っていたら、世の中でやってることをもっと理解できたろうに、って」

 と、熱心に語った。戦中派の話まで持ちだされても困るのですが。


「とにかく、進学して学べる余裕があるなら、進学して『働くことの意味』というものを考えてみるのを大いに勧めるわ。ただ働くだけじゃ分からないことが分かる。それに、三交代の医療機器工場で働いてそれなりの収入を得て暮らしていけるとしても、成人してから本当は勉強したかった、と思ったら後悔するわよ」


「……考えてみます」


「しっかり考えなさいよ。東京は楽しいわよ~」


 東京は楽しい、と言われてしまった。


 職員室前に置かれたカゴ――カバンや、制服以外のコートなどの上着を持ち込んではいけないという謎校則がある――から、リュックサックを持ち上げて、俺は部室に向かった。


 久しぶりの将棋部。部室はちょっと埃っぽい。窓を開けて換気する。床を箒で掃いて、盤と駒を出す。


 東京。楽しいんだろうな。いろんな面白いものがあるんだろうな。でも俺なんかが、勉強したところで、なにかの役に立つ人材になれるんだろうか。


 そう考えて、いやいや役に立つ・立たないの文脈で考えるのはかわいそうな美沙緒さんと同じで、俺なんかが、というのもかわいそうな美沙緒さんと同じだ、と首を小さく振る。


 ……美沙緒さん、来ないな。なんか心配だ。部室を出ようと顔をひょっと出したら、隣の演劇部の部室から例のド派手メイク女子が現れて、なぜかハリボーのグミを勧めてきた。とりあえず遠慮しておく。


「テストどーだった?」と、演劇部の女子は聞いてきた。


「ええ、それなりによかったですね」と答えると、演劇部の女子は口にハリボーのグミを放り込み、もぐもぐしながら、

「すげー。やっぱ将棋するひとって頭いいんだねー。あたしギリ赤点回避って感じだったわー」

 と、ステレオタイプ全開のコメントを発してきた。


「いや別に将棋してるから頭がいいわけではなくてですね」


「えーでも頭よくないと将棋ってできないんでしょー?」


 そんなことはない。頭の体操みたいなものだ。そう言うと演劇部はグミをもう一個口にいれて、笑顔になった。


「まあ、布の裏表を確認しないで裁断するようじゃ、将棋打ってもあっという間に負けるかー」


 そう言って演劇部はひっこんだ。何だお前。それに将棋は打つものじゃない、指すものだ。


「こんにちはー」


 美沙緒さんが現れた。やあ、と挨拶して、部室に入れる。美沙緒さんは自販機で買ってきたと思われるちょっと高いイチゴ牛乳を持っている。俺の分もある。


「はいどーぞ! いろいろ教えてくれたお礼です!」


 美沙緒さんは珍しく顔色がいい。どうしたんだろう。イチゴ牛乳を飲みながら訊ねると、


「この成績を維持できれば志望校は余裕って言われて! 嬉しかったのでイチゴ牛乳、先輩の分も買ってきちゃいました!」とのこと。そりゃそうだ学年一位なんだから当然である。


「美沙緒さんは、親の言う通りに生きて楽しい?」


「うーん、親の言う通り以外に生きたことがないので……」


 美沙緒さんは脱線したことがないのか。いや俺に対する言動はひどく脱線しているが。


「じゃあさっそく、久しぶりに指しましょうか」


「そうだね」駒を盤に広げる。拾って並べていく。すべて並べ終えて、

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」

 と、二人で頭を下げた。

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