試練を乗り越えて。

裏切られて。

「逃げて! 早く!」

 皆一様にあたしに逃げろ、と言ってくる。

 どうすればいいのか判らない。ただ今は、重すぎる選択を問われて、頭が混乱している状況だ。早く判断しなくてはと迷っていても、エステラと仲間、どちらも大切だから選べない。両方救いたい。

 あたしは気楽にこうやって呑気に判断に迷うことができるけど、大切な仲間……アネラ、雷姫、ソフィア、エレナは今もデスグラシアの強力な魔法に痛めつけられている。

 彼女たちは今、何を想っているのだろう。何を見ているのだろう。何を望んでいるのだろう。きっと、自分たちは死んでもなんでもいいから、エステラだけは助けてくれと望んでいると思う。が、それじゃあエステラは今後誰が創り上げて行くのか。あたしは孤独に生きるしかないのか。

 そんなの嫌だ。孤独なんて嫌だ。

 あたしは、皆と楽しく、この美しく愛しい世界で暮らしたいんだ!! 

 今もあたしを嘲笑いながら仲間たちを痛めつけるデスグラシア。なんて憐れなのか。

 今こそ、蒼い星の力を借りるべきではないのか……! 

「エステラ・ディ……」

 あれ? 言えない……何故だ? もう一回唱えよう。

「エス……」

 言えない!! なんで!? 喉元が絞められたように窮屈だ。何故……? 魔法が使えなくては、ここでできることはほぼ無に等しい。もしやこれは、デスグラシアの仕業……? 

「星々の従者よ、お前の声はムルシエラゴ様に授けられた。声はもう出せない。つまり、魔法はもう使えないということだ。さあ、選べ。ここでエステラの死を見るか、ここで仲間の死を見るか」

 ムルシエラゴに……あたしの声が……なんで……? 

 こいつ、さてはすごく弱い心を持っているな。人から何かを奪わなくては自分の強さを証明できないだなんて。強がっている、ただの弱虫。そう確信したあたしは、階段を上って、デスグラシアのもとへ行った。

「レウェリエ!! やめて!!」

 アネラ……大丈夫。あたしも死なないし、あなたも死なない。幸せな生活を送れるよ。

 あたしはデスグラシアの前に跪いた。従者らしく、謙虚に。

 あたしは……!! お前と闘う!! 

「ほう、この我と戦うというのか。では少しばかり声を返してやろう」

「ありがたき……幸せ」

 こいつなんかにこんな言葉遣いしたくはないけど、少しの辛抱だ。

 デスグラシアは、マントの中から大鎌を出して、大きく一振りする。きっと無詠唱で魔法を使ったのだろう。

「さあ! 十分に味わうがいい!! お前の仲間が、我の仲間になる絶望をな!!」

 あたしの仲間が……こいつの仲間になる?

 いやいや! そんなことある筈がない!! と思ったが、皆様子がおかしい。目をつぶって俯いている。

 すると、視界が真っ黒になった。

「!?」

 目を開けると、そこにいたのは真っ黒な洋服を着て、瞳の色を桔梗色に染めたアネラ、雷姫、エレナと、不気味な笑みを浮かべるソフィアだった。瞳の光は消えて、ただ狂気に満ちた表情を浮かべている。それはまるで、魂を抜かれたようだった。

「星々の従者、まずはあたしが相手よ。黒き海流にその身を溶かしなさい!!」

「あうっ……!!」

 頭にヒールが食い込む。痛みで思わず声を上げた。あたしを見下ろし、頭を踏みつけてくるアネラは、本当にアネラなのか? アネラはこんなに無表情じゃない。もっと表情豊かで、皆に笑顔を振りまく、幸せの象徴のような人なのに。どうして……。

 手に持った魔導書に掌を重ねたアネラは、その手を大きく上に振り上げた。一瞬とんでもない轟音が聞こえてきたかと思うと、ニヤッと不敵な笑みを浮かべて、口を開いた。

「ディアブロ・コリエンテ!!」

 そう言った途端、黒い海流が流れてきた。それはまるで悪魔のようにあたしの体と心を蝕む。波にもまれ、溺れてきた。肺の中に水が浸入してきて、息ができなくなる。なんとか吐き出し、体を安定させた。

「さあ、次はあたし。黒き雷でその寝ぼけた頭を目覚めさせな!」

「痛いっ……!!」

 頭を思いっきり殴られた。その鈍い痛みは、ずきずきと軋む。怖いよ、皆。あたしに仲間はいないの……? いや、この人たちはあたしの仲間じゃない! 暴力を振るうような人じゃないもん!! 

ヘェイレイ惨杀ツァンシャ!!」

 雷鳴と、落下してくる黒い稲妻。それはあたしの頭に直撃する。黒い光に包まれたかと思うと、目の前に星が飛んでいて、衝撃で息ができなかった。ただでさえ海流に飲み込まれそうになっていて息が苦しいのに、息ができなくてさらに苦しい。

「さ、次はあたしね。悪魔として生まれたあたし。その血筋をどれだけ怨んだか……でも、この力であなたを殺せると思うとせいせいするわ」

「やめて……」

 腹部に思いっきり蹴りを入れられた後、踏みつけられた。必死にやめてと懇願するが、それが逆効果だったのか更に蹴られ、踏まれる。仲間にこんな仕打ちにされるし、痛いしで踏んだり蹴ったりだ。

「ニュクテリス・リューペー・フォナゾ!!」

 襲ってくる蝙蝠の大群。それはあたしの体を貪り食ってくる。

「いやああああ!!!」

 痛みに金切り声を上げるあたしの横で、優雅に高笑いするソフィア。辛い。泣きたいけど、今は泣いている場合なんかじゃない。絶対また仲間たちに会える。大丈夫!!

 そう自分に言い聞かせるが、それは気休めに過ぎず、続く痛みがあたしを終焉へと誘う。

「あらあら、とんでもなく惨めな姿だこと」

 失いそうな意識の中で聞いた、エレナの声。悪戯にあたしの顔面が踏みつけられると同時に思いっきり遠くに蹴っ飛ばされた。

「ううっ……」

 泣いているのか、呻いているのか判らない声を漏らす。

 遠くにはあたしのことを嘲笑うデスグラシアと、大切で大好きだった筈の仲間たち。もう、あたしを殺すことしか考えていないのかな。もう、あたしのことなんて記憶にないのかな。

 痛みが体全体を支配したとき、意識を持っていかれた。


「ぃっ!!」

 気づけば意識は戻っていて、声を上げていた。

「なんか勝手に眠ってたから、起こしてあげた。眠ったまま攻撃したってつまんないもん。さ、しっかり起きてて。三人とも! 抑えていて! 意識ぶっ飛んだら、思いっきり叩いて起こしてあげて!」

「「「了解!!」」」

 魔法の準備をするエレナと、あたしたちを抑えるアネラ、雷姫、ソフィア。腕、肩に食い込む爪。痛い。優しく触ってくれる三人に戻って。お願いだから。

 エレナは魔導書を宙に投げて、呪文を唱えた。

「チォールナヤ・コーシカ・スィエールツァセールツェ!!!」

 エレナの爪は、黒猫のもののように鋭く、長くなる。その爪を立てながら近づいてきたエレナは、あたしの前にしゃがみ、指を曲げた。

 そして、その爪を……

「いや……っ、あぁっ……」

 人生で感じる痛みで、これほどのものはあるのだろうか……

 皮膚、肋骨、そして心臓。心臓が二つに割れてもなお、生き続けるあたし。

 呼吸なんてもう、できるわけがない。が、追い打ちをかけるように肩を押さえつけているアネラが口元を塞いできた。

「楽に、なりたいんでしょう……?」

「……」

 命って、こう簡単に消えてしまうものだったんだな。判っていたはずなのに悲しくなった。

 ムルシエラゴを殺めてきたあたしは、生と死というものがこんなにも思いとは知らなかった。生きていることが当たり前だと思っていたけど、違った。死とは、こう簡単にも訪れてしまう。何故今頃気づいたのだろう。

 人というのはなんと愚かなのか。自分がその状況に立たないと何も知れないし、理解できない。

 仲間だって、いついなくなってしまうか、裏切られてしまうかも判らない。

 自分の思い出が走馬灯のように頭の中でぐるぐると回る。

 両親との思い出。友達との思い出。仕事仲間との思い出。デニーロとの……思い出。

 デニーロ……

 言葉にならない言葉を頭の中でそっと呟く。

 デニーロに会いたい。デニーロに会いたい。デニーロに……会いたい。

 胸の奥がキュッと締め付けられる。心臓の痛みも和らぎそうなほどのときめきとともにくる切なさと悲しさ。デニーロのことを考えるといっつもこうだ。

 この気持ちは、何なの?

 その時。

「レウェリエ!!」

 懐かしすぎる少年の声。

 来てくれたんだ。デニーロ。でも、どうしてここへ……。

「レウェリエは取り敢えず休んでて!」

 デニーロはあたしに声をかける。そして、鞘から短剣を抜いた。そしてその刃を……皆に向けた。

 そしてデニーロはアネラに向かって刃を向けて、走っていく。これは完全に刺す気だ……! アネラが殺されてしまう!! 

 幸い距離は近い。あたしは這いつくばってデニーロの目の前に立ちはだかった。デニーロは驚いたような顔をして、立ち止まろうとしたが勢い余って立ち止まれず、短剣であたしの左胸を貫いてしまう。貫いた短剣は地面にゴトン、と落ち、血の海が広がった。

 意識がさらに遠のいていく。もう視界はほぼ真っ暗に近い。

「レウェリエ……」

 最期に聞いたのは、デニーロの涙交じりの悲しみの声――






 目が、覚めた。ここは天国なのだろうか。審判は終わったのだろうか。

 ゆっくりと目を開けるが、そこは天国の空ではなく、クリーム色をした、ただの民家の天井だった。

 というか、自分が天国にいけると勝手に思い込んでいたことに微笑する。

「「「「「レウェリエ」」」」」

 優し気な五人の声。やっぱりここは天国なのか。きっとそうだろう。仲間たちも死んでしまったのか。そう考えると悲しいな。

「良かった、生きてて……」

 隣でデニーロが胸を撫で下ろす。

「え、じゃあ、あたしたち、生きてんの?」

 あたしが四人に訊くと、皆笑いながら頷く。

「もう! 大げさだなあ」

「あたしたちがそう簡単に死ぬわけないだろ」

「この通りピンピンしてるし……」

「この世界でやり残したこともいっぱいあるしね」

 やっぱり、あれは幻想だったのか。現実と理想が中和されてできる幻想。あれは幻想にすぎない。絶対に。

 だからあたしたちはこれからも、この美しく愛おしい世界で大好きな仲間とともに楽しく暮らせるんだ。

 嬉しさに心躍る。

 これからは後悔しないように、仲間たちと過ごせる日々を噛み締めながら生活しなくては。

 幸せすぎて、眠くなってしまった――



「んんっ……」

 幸せは崩れ落ち、あたしは冷たい地面に横たわっていた。

 あれは夢だったのか……あたしの理想が夢になって出てくるなんて。それほど今は、望みと真逆の状況に置かれているのだと痛感した。

 心臓はやはり二つに割れているが、なぜか息ができるし、普通に過ごせる。が、呼吸をすることによって肺の辺りに激痛が走るから、苦しい。

 ふと空を見上げると、星が瞬いていた。それは蒼く、綺麗に煌めいていて、痛みを、心を浄化してくれそうな。そんな気がしてきた。あの星が奪われると考えると、奪おうとする奴を殺してでも星を取り戻して、この暗く冷たい夜に輝かせて、人々に希望を与えたいと思う。

 錆びついた短剣。それを握っているのはデニーロ。後ろを見ると、皆倒れていた。しかも、元の姿に戻っている。デスグラシアの気配はなく、ただ冷たい空気の漂うところだった。月明りが静寂を呼び起こしている。

 でも、ここからどうすればいいのかが判らない。皆は意識を失っている状況だし、魔法を使うといってもどういう風に放てばいいか見当がつかない。

「星々の従者」

 後ろから聞こえてくる、押し殺したような声。

「お前……」

 あたしがキッとデスグラシアを睨むと、デスグラシアはフッと鼻で笑った。

「お前の仲間たちの中にある呪いは、表面上は解けたが、呪いは塊となって潜在し続けている。そしてそれは……永遠に融解して消滅することはない。呪いがある限り、こいつらは目を覚ますことはない」

 冷酷に告げられる現実。それは今のあたしには重すぎた。

 儚く散った幸せな日々。一切の「孤独」を感じさせない仲間たち。独りじゃ戦える気がしない。でも、やるしかないのだ。

 こいつに奪われた日々も、仲間も、取り戻して見せるしかないのだ。

「デスグラシア!!」

 ムルシエラゴに身を砕かれたエステラの民たちの鎮魂。痛み、苦しみに喘いで、今も身体の奥深くに潜在し、浸食されていく自分と闘う仲間たちの救済。エステラに選ばれしものであるあたしは、熱く燃えるこの命が途絶えるその最後の一瞬まで、その宿命を果たさなくてはならないのだ。

「絶対お前を、いつか倒す! エステラは、お前なんかには渡さない!」

 あたしの声が壁を乱暴に蹴って反響する。

 絶対に渡さない。渡せるわけがない。この世界は星を愛する、優しい人々の為の楽園なんだから!! お前たちみたいな、人々を殺め、呪うような輩にはこの世界は似合わないし、操れない。この世界は優しい人々皆で築き上げて来たんだ。築き上げて来たものを、あたしが壊すわけにはいかない。

「この我を倒すと……面白い。楽しみに待っている」

 暗闇に消えて行ったデスグラシア。次は絶対、倒してやるんだから。覚悟しときなさい。

 冷たい地面に寝っ転がっている仲間たちを見つめる。

「いつでも、来てもらえるようにね」 

 独り言を呟きながら、一人ひとりに蒼い星を握らせる。これさえあれば、あたしと相手は繋がれるから。遠くにいても、あたしたちは一緒だもんね。

 行かなきゃとは思ってるんだけど、足がすくむ。

「頑張って。我が妹よ」

 お姉様……? お姉様なの? まだいるの? あたしは、まだ独りぼっちなんかじゃないの? お姉様。

 辺りを見渡しても、変わらぬ冷たく殺風景な景色があるだけだ。だけども、空気は確実に暖かく、希望を与えるものに変わっていた。

「待っててね」

 今も意識がない仲間たちに声をかける。届いただろうか。……たとえ、届いていなかったとしても、言えたのだからいい。声をかけるだけで、実際に話せたような気分になれる。

 暗い森を駆け抜け、外に出た。森の中は夜なのに、外は昼間。

「……なんで泣いてるんだろ」

 あたしは手首で目の辺りを擦る。

 今は泣いちゃだめだ。挫けちゃだめだ。再開の嬉し涙を流せるその日まで。絶対に。あたしたちは絆で固く結ばれているのだから。涙なんて必要ない。

 そう自分に言い聞かせ、あたしは前を向いた。

 

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