——佳味ラーメン


 七条駅を降りて女坂へ向かってあるく途中に見つけた。


『呑朱香味』


 ラーメン屋さんのようである。ここ最近、久しく食べていないからか、中華への欲求が舌の中でぶくぶくと肥っていたので、その謙虚で質素な店構えを見るだに涎が溢れた。


 バイトの面接へ向かうところであったが、終わったらすぐに来ようと決心した。


 面接中、中華の風が胃のなかで渦まいて盛大な音を奏でたが、それ以外はさしたる事件もなくすんだ。あとは向こうの事情とわたしの条件が合うかどうかに任せるしかない。しかし皆さん、面接などがあるときは、ぜひある程度位は満たして挑むべきである。わたしはそれを身をもって学んだのである。



 そして、である。

 わたしが歩きながらつまずいて転びそうになったのは、単に道が下り坂になっていたからだけではない。もうすでに中華に脳は犯されていた。


『呑朱香味』


 やはり美味しそうである。

 これはわたしが空腹であることを抜きにしても、(なぜそう感じるかは不明だが)非常に惹かれる店である。

 赤い軒に金色で『呑朱香味』と書かれている以外、さしたる特徴は見つからないのだが。


 入ってみると、普通のラーメン屋であった。

 店の人は店主であろう人が一人きりであったが、彼はまだ若く(三十代中盤あたりであろう)、眼鏡をかけた生真面目そうな人であった。


 カウンターの一番奥側に座るや否や、


「ぜひ、ラーメンを食ってください」


 拉麺—四六〇円とある。

 なるほど、拉麺がおすすめらしい。これにしようと思ったが、その瞬間、わたしは目を疑うものを見つけた。


 メニュー表、その拉麺—四六〇円から下の方に目を移すと、炒飯—七八〇〇円、餃子—五五〇〇円とある。


「これ、一人前ですか」と聞くと、


「そうです。けれど、やっぱりうちは拉麺が自慢ですので、ぜひ、お客さんここ初めてでしょう、でしたらなおさら、拉麺を食ってみてください。後悔はさせません」


 そりゃあ、四六〇円ならお手頃な値段なので、そうそう後悔はしないだろうけど。


 天津飯にいたっては一〇九〇〇円である。

 何を使うとこう高くなるのだ。いや、拉麺を安くしているのかもしれない。


「拉麺は、これだけお安くなさると、やっぱり赤字ですか?」

「いいえ……そんなことはありませんが。拉麺、お嫌いですか?」

「いいえ、そんなことありません。じゃ、拉麺でお願いします」


 どちらにせよ、あまり持ち合わせのないわたしは、拉麺以外の品の値段のものは頼めなかった。


「ありがとうございます!」

 と歯切れよく、彼は拉麺を作り始めた。

「こちら、水どうぞ」



 驚いたことに、水がまずびっくりするくらい舌触りが良く美味しい。胃に入るより前、喉を通るより前に、まず舌に染み渡ってなくなってしまうようである。その感想を言う前に今度は、


「それと、お客さん、空腹でしょう。すきすぎるのもあまり良くないですからね、まずこちら、胃の中に入れてください」


 出されたのは、小籠包のようなものが一つであったが、それも驚くほど旨かった。中は肉ではなく白菜が入っているのだが、皮の食感と味とがうまく馴染んでいて、つるんと喉を通ってしまった。すぐになくなってしまったおかげで、わたしはより腹が減った気がした。


 それからちびちび水を飲んでると、ついに拉麺が出来上がった。それはもう、目で味を吸収してしまうみたいに、わたしの目に素敵に写ったのであった。



 一見、特徴の少ない中華そばに見えた。しかし、それがわたしの目の前にことりと置かれ、そのかぐわしい湯気がわたしの前に立つと、わたしの胃はもうよじれてしまった。


 スープは透明に輝いていたし、麺はそのなかで泳ぐようだった。それにいまにもほどけそうなチャーシューは三枚。二枚じゃなく三枚なことによって、すこし得したように感じる。そして白い雪のように盛られたネギと影の薄いメンマ。それらがスープに濡れて喜んでいるようにさえ見えた。


 まずスープを掬って飲んでみた。


 このスープのための水だったのかと頷いた。スープは面白いようにするすると口を通過して喉へ向かうのだ。通り過ぎたあと舌に醤油の爪痕、口から鼻にかけてそのこうばしい香りが広がった。


 そして、麺が口に吸い込まれた。味が口のなかで暴れまわった。。何層にも隠された旨味が舌の上でほどけるように次々に味わえる。目を瞑るだけでもう色鮮やかな色彩が浮かんでくるようだった。


 ここから先の感動を逐一書いていると終わりがないので、ここら辺にしておく……。



 わたしは寝るときまでも、その感動を曳きずった。

 ああ、なんて美味しい拉麺だったろう。

 それと同時にわたしの中にあるのは、あの拉麺よりはるかに値の張る他の料理は、どれほどの美味しさだろうかということである。想像を絶することが、想像できた。




 それから二週間して、わたしはとうとう耐えられずまたあの店へ、今度は二万円の準備をして行った。


 しかし、そこにもう『呑朱香味』はなかった。隣接する喫茶店の戸を叩き、何があったのか聞いてみると、「やっていけなくなったから、店をたたんだ」そうである。「拉麺は何より好きだから、きっとまたどこかで店を出す」とも言っていたそうであるが、その店にまた行ける日は来るのであろうか。


 わたしが体験したような道筋を、きっとみんなも辿ったのだろう。

 ラーメンを食べ衝撃を受け、次は餃子やチャーハン、そしてそれもまた美味しいに違いない。

 美味しいどころではなく、天地をひっくり返す感動があるかもしれない。それを思うと、わたしは、その味を知らずこの店と別れるだけ、まだ幸せなのかもしれない。



 全く、こういう常識を聞いたことがある。

 東京はうまい店が話題になり、人が押し寄せ、それからは味が落ちてゆくがブランドとなった店は出続ける。

 大阪は話題になって不味くなると人が来なくて潰れる。


 わたしが思うに京都は、美味しい店が潰れて、なぜか美味しくない店がずっと続く。

 あくまで偏見である。

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