——桃色皇女


「クッキーを一口おつまみなさい」


 桃色皇女は小さな指で、袋に入ったクッキーをわたしにさしだしました。


 団地近くの公園のベンチに座って、夕方のわたしは桃色皇女とお茶会を開催したのです。


 おやつと紅茶とジュース。会話というのは、彼女の学校での話を聞くのです。どうやら、担任の先生のことをあまり気に入っていないらしいです。


「皇女さま。お勉強は楽しくって?」

「いいえ。あんなものは楽しくありません。わたしはもっと走ったり、男の子を叩いたりしたいのです」

「叩くというのは、あまり穏やかではありませんこと、あはは」

「叩いてやるのよ。だって、モチダとかノブオとか偉そうですもの」



 彼女とは、万引きをしようとしているのを止めたのがきっかけで、さっき出会いました。代わりにわたしが、買いたいものはなんでもいいよと言って、すると彼女はお菓子をいくつか選びました。わたしもそれに合わせていくつか選んで買いました。


 小学三年生のその子は、母親が帰ってくるまで一人らしいので、わたしは彼女の住む団地の近くでこうやって茶会を開催しています。


 今日はDVDを借りて部屋で観ようと、桃山まで来たのですが、観るのは明日にしましょう。


「好きな男の子とかいらっしゃる?」

「いない」


「先生はやさしくって?」

「うっとうしい」


「あらあら、皇女さまは将来何になりたくいらっしゃるの」

「あら、あたくし? あたしはね獣医さんになりたいわ」

「ああ、素敵! きっとなれるわ」

「なれるかしら」

「なれるに決まってる」

「あなたにそう言われると、自信がなくなってくるわ」

「なぜよ」


 なぜよ、なぜよ、なぜなのよ。ああ紅色の夕暮れに、小公園でお茶をする。かつて栄えた桃山に、あたしは一人の悲しい女。風に吹かれて消えてゆく、歴史の中ではほんの少しの、砂粒みたいな光なのだわ。なぜよ、なぜよ、なぜなのよ。


「お姉ちゃん、急にどうしたのよ。変な歌……」


 お姉ちゃんと呼んでくれた! 皇女さまは引き攣った表情でわたしを見るけれど、わたしはまだ、お姉ちゃん……。


「ひかないで」


「皇女さま、お母さんはいつ頃に帰ってらして?」

「うん。……お母さん、今日は帰ってこないよ。明日になったら帰ってくる」

「そうなの。じゃあ、どうする? お父さんは?」

「お父さんは家にいると思う」

「あら、そうなんだ」

「ねえ、お姉ちゃんの、将来の夢はなに?」


 二人きりの公園は綿菓子の中。夕暮れの絵の具が滲んできます。


 ふくらむ風が何度も何度も、テーブルの上のプラ袋を飛ばそうとしました。わたしはたちは何度もそれを抑えて、上にスマホを乗せて、どこかへいかないようにするのです。


「わたしの夢か」

 頭の中は軽くて、そんな質問に答えるための、なんにも入ってないのだと思いました。けれど彼女がじっとわたしの目を、時も忘れて覗くもんだから、


「スーパーヒーローかな」

「え、なにそれ」

「地球を救うスーパーヒーロー」

「あたしもなりたい」

「そうでしょ。まず、じゃあこれ、クッキーを一口、おつまみなさい。喉が渇いたらフルーツティー」

「フルーツティー」

「そう。それが大切」


 皇女さまは最後に残ったお菓子を口の中に詰め込んでパフェみたいになりました。飲み込み終わるとわたしは彼女を家まで送り届けて、「また会いたい」とわたしを抱いてくれたので電話番号を渡して、それで家に帰りました。もう映画は、とっくによくなってました。

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