第68話 もう……戻りたいとは思えん。あの頃には……


 はあ…… はあ……


 駆け足でついたのは、聖ジャンヌ・ブレアル教会だ。


 はあ……


 両膝に手を乗せて、肩で思いっきり呼吸を整える。

 それから、


 はあ…… はあ……


 息を切らせながらも、新子友花は見上げて、

 見上げた先には当然――



「聖人ジャンヌ・ダルクさま……」



 である。


 ……あ~あ。


 少し小さく、大切な神様の御前でもあるからして新子友花はそう溜息をつく。

 そして、いつもの席へと長椅子の1番前へと着席――

 新子友花は、十字を切ってから両手をギュッと握る。


「ああ聖人ジャンヌ・ダルクさま……」


 いつものように、祈りの次の言い出しはこれだった。

「て、何を祈ろうと? あたし……」

 頭に“クエスチョンマーク“を浮かべてから、勢いでラノベ部の部室から居ても立っても居られずに飛び出して、その勢いで聖ジャンヌ・ブレアル教会まで駆けてきた自分――

 祈り……ではなくって、要はすがる一心で来たものだから、新子友花の頭の中には言葉が浮かばなかった。

「……」

 しばし……祈りの言葉を探す。


「……ああ!」

 疑問符をあっさりと吹き飛ばして、今度は“ビックリマーク”が飛び出した。

「……あたしって、聖人ジャンヌ・ダルクさま。あたしって、なんで……こんなに皆からイジメられるのでしょう?」

 自分が無意識に駆け込んできた教会に、毎日朝の礼拝を欠かさず祈り続けてきた聖人ジャンヌ・ダルクさまに、自分が思うことはなんだったのだろう?

 けど、すぐに祈り縋る内容が瞬間的に思いついた。


 それは、新子友花にとっては自身が学園で成績不振のそれよりも、もっと切実な気持ち――

 でも、それを『青春』と称してくれた大美和さくら先生の気持ちもよく理解できずに、ラノベ部の部室から飛び出してきたことを、今の彼女には分からないのだ。


 あたしは純粋にラノベ部で活動してきたのに、文芸誌にも書いたのに……。

 どうして、あたしの周りには、こうもあたしの気持ちをくみしてくれない人が集まるのか?


 それとも、あたしがだから、こうして集まるのか?


 なんだか、やぱっりよく分からない……。

 自分自身の心の中にある、聖人ジャンヌ・ダルクさまにお聞きしたい気持ちがである。



「あたしって……、なんでみんなに揶揄からかわれるのですか?」

 新子友花は、素直に聖人ジャンヌ・ダルクさまの像に向かって言葉を言い放った。

「……あたしは、自分なりに部活動をやっているんだけれど。そこに勇太が口を挟んできては、あたしのことを揶揄うし……。愛はずっとあたしのことを鼻持ちならないって思っているみたいで。夕美は……まあ、あいつとは幼馴染の間だから……べつに今まで通りかな」


 はあ~


 また、嘆息を大きくついて……、

「そんでもって、新城が現れてからというもの……。あたし、なんだかラノベ部でどんどんと……、どんどんと立ち位置が端に追いやられていっているというか」

 もう、もうひとつ、


 はああ……


 嘆息を――

「ああ聖人ジャンヌ・ダルクさま……、あたしって……、どうしてにも学園生活が思い通りになってくれないのでしょうか?」

 胸の前で十字を切ると、新子友花は再び両手をギュッと握りしめるのだった。

 見つめる先は、聖人ジャンヌ・ダルクさま……の像で。




       *




「聖人ヴァレンタインさまも―― 忙しいのう」


「自らの殉教の日に―― どうして、乙女の恋愛相談を受けて、そんでもってチョコレートをあげる貰うの恋愛キューピットの役目をしなければいけないのか。聖人ヴァレンタインも肩が凝っていることだろう。……そう我は思うけどな」



 ふわわ~ん



「ああ……ジャンヌさま?」

「だから、ジャンヌで構わぬ」



 よっこいせっと!



 いつものように登場したのは、正真正銘の本物のジャンヌ・ダルクだ――

 教会上空からふいに姿を見せてくれたジャンヌ・ダルクが、いつものように像の台の上に座った。

「お前は、悩みが絶えんのう……。我から見て興味深い信者だぞ」

 足を前後にブラブラと振っていて、これジャンヌ・ダルクの癖である。

 目下に見るは新子友花の表情で……、


「だ……だって。新城が、愛が……夕美が」


「それに……忍海勇太か?」


 ジャンヌ・ダルク、とっさのスキアリ発言だ。

 聖人たるもの、信者の心の奥底にある好意を見抜いていることは当然で……。

「に、にゃにゃ……」

 やっぱし分かりやすいぞ……、新子友花よ。

 彼の名前を聞くなりや、パブロフの猫の如くに毛を逆撫でながら驚く姿、祈る拳を放して、分かり易いアタフタを聖人さまに披露している。


「……」


 無言になってしまった新子友花。

 どうしてか?

 信仰の対象の聖人ジャンヌ・ダルクさま自ら御前に姿を見せてくれた、その本物の相手に対しては……正直何も反論はできない。


 神は全知全能なのだから――


 あっさり白旗を振るセンチメンタルでハイカラ女子高生――新子友花。


「……そっか。やっぱり彼がお前の心には……まあいい」

 その姿を見つめているジャンヌ・ダルクは、

「……」

 アタフタしている新子友花の気持ちを察し、それ以上言葉を続けないでおこうと思った。

 足をバタバタしながら――

「新子友花よ……。お前は忍海勇太と、どうなりたいのだ?」

 端的に彼女にズバリ質問を突きつけた。


「ど……って、どうなりたいって。べ……べつには……」




「ぶっちゃけ、好きなんだろう?」



「にゃ! ジャンヌって」



「……さまがぬけているぞ。……まあいい」

 ジャンヌ・ダルクはバタバタさせていた両足を止める。

 肩で大きく嘆息を吐いてから、自分はいつから恋愛相談の神様になってしまったのか?

 毎年2月14日になると、自ら進んでもなく、否応いやおうに彼女達……乙女のキューピットにされてしまう聖人ヴァレンタインに同情して、『でも……あんた。まんざらでもないんだろ?』

 我に縋る信者はな……皆、悲痛な救いを求めてくるんだ。

 変わってはくれまいか……我とヴァレンタインよ。


 もう一回、ジャンヌ・ダルクは大きく息を吐いてから、

「新子友花よ……。青春時代は短いぞ。うかうかしていると他の女子に先を越されてしまうぞ」

「先を……ですか?」


「ああ、そうだぞ」

 ジャンヌ・ダルクは大きく頷いて、台の上にスッと立つ。


「……我の一生も同じだった。あの羊飼いの時の彼とな」

 享年19歳で火刑に処された自分の、英仏100年戦争の『救国の聖女』と生き続けた自分にも、少しはあった青春時代を思い出す。


 その思い出は、徴兵された彼の思い出だった――


「……」

 ジャンヌ・ダルクが見上げる目線は教会のステンドグラスの遥か向こう。

 どこか遠くの風景を見つめているような……。

 故郷のドンレミの思い出だろうな。


「我は、お前達が羨ましいなぁ……」

 見つめ続けながら、ジャンヌ・ダルクは自身の青春時代の……ドンレミ時代の思い出を辿る。


「……羨ましい?」

「ああ、そうだ」


 長椅子の最前列の席に座っていた新子友花、ジャンヌ・ダルクが発した羨ましいという言葉に反応した。

 羨ましい……。

 それはラノベの顧問――大美和さくら先生が言い放った青春に対する気持ち……、羨ましい。

 新子友花は、ジャンヌ・ダルクと大美和さくら先生と、2人が仰るそのキーワードに自分がいまだに分からないままにいる――



『あたしって……、なんでみんなに揶揄からかわれるのですか?』



 という自分が先に発した言葉の解答が、他ならぬ聖人ジャンヌ・ダルクさまから聞けるのでは……そう思うなり、勢いよく身体が反応。

 何か、自分がよく分からない青春というものの意味が……分かるのではないか?

 そう思って、高ぶる気持ちを抑えることをせずに、長椅子から立ち上がったのだった。



 ジャンヌ・ダルクは――

「もう……戻りたいとは思えん。あの頃には……」



 視線を7色に光るステンドグラスに向けたまま、表情は硬くて、

「戻っても、しょうがないのだ。それが青春という……本当に厄介な代物だぞ」

「ジャンヌ・ダルクさま……」

 見上げる新子友花、そこへ――

「……我の生まれ故郷はな……。戦火でみんな燃えてしまったんだ」

 スッ……ステンドグラスから視線を下げて、ジャンヌ・ダルクは新子友花を見つめる。

『救国の聖女』と呼ばれるようになって、だからこそ目の前で苦しみ自分に祈りすがろうとする信者に、自分なりの解答を教えたいのだ。


 我は、なんていうか優しすぎるのか?


 それとも、自分が優しすぎるだけなのか? もっと距離をとらなくては……。

 瞬間心の中に思う薄情な気持ちを、ジャンヌ・ダルクは……でも、今はずっと祈り続けてくれた新子友花のために、その垣根を越えても神として許されると信じよう。



『お前を助けたいのだ……』



 ――最初に、こう言ったのだった。

 ジャンヌ・ダルクは口角を上げて微笑んで、目の力を緩めてから、

「新子友花―― 恋とか恋愛とか、そんな余裕なんて正直なかったのだ。我には―― みんな友達も村人も、敵兵に殺されてしまったんだ……。その後に思うことは後悔の一念、どうして自分が生き残ってしまって」


「やがてな……、大天使様から預言をもらってしまい」


「ジャンヌさま、恐れながら。それは選ばれたからで……」

「恐れなくていいぞ……」

 新子友花から放たれたその言葉。正しいのだろう。

「もう……戻りたいとは思えん。あの頃には……」

 でも、自分が選ばれたことを自身――ジャンヌ・ダルクはその後の火刑の末路を辿って思い出して、


「選ばれたことは、我にとっては幸いなのか?」

「幸い……って」


「新子友花よ―― お前がラノベ部の部室で思った『あたしって……、なんでみんなに揶揄からかわれるのですか?』を、今……、この教会で祈り縋ろうとしたお前のその思いを英仏100年戦争の終結のために、誰かが―― という非情な周囲からのお願いと比べてみろ。お前の悲痛なんてものは、容易いと……そうは思ってくれないか?」

「……ジャンヌさま?」

 話を続ける聖人ジャンヌ・ダルクさま―― でも、新子友花にはよく理解できない。

 自分の部室でのみんなからの攻めと、それがどうして戦争で体験したジャンヌ・ダルクの苦難と繋がるのか。

 見下げている新子友花への視線を逸らすことなく、ジャンヌ・ダルクは続けて――

「……誰かが先頭に立たなければ、この戦争を終結させることはできないのだと……それは誰も、我もわかっていた。でもな……先頭に立って戦いを、戦い続けていると。どうしてか、周りは我をには思ってくれなくなったんだ――」


「それはどうして……」

 見え上げる台の上、ジャンヌ・ダルクに素直に疑問をあてる新子友花。


「……我はな」

「……ジャンヌさま」

 新子友花とジャンヌ・ダルクの目と目が合った。


「……まあ、怒りとか憎しみとかの矛先が、我なのだろうな。我ジャンヌ・ダルクに責任を負わせることで、自分達は戦争で人を殺していることへの罪悪感を、我ジャンヌ・ダルクに背負ってくれと……。ジャンヌ・ダルクのために戦っているんだという”偽善者”の言い分のための……、後に敬称――『聖人』に込められた本当の”嘘”だ――」



 さみしかったけれど……、我はそれでいいとな。



「本当……の嘘って」

 新子友花には、ジャンヌ・ダルクが言い放ったその言葉が分からない。

 そんなことよりも……だった。

「ジャンヌさま……、どうかお顔を上げて……ください」

 いつの間にか、台の上に立っているジャンヌ・ダルクの顔は新子友花と視線を合わせていたそれよりも、更に下へと下がっていて……俯いていたのだった。

 ――こんな弱音を吐くジャンヌ・ダルクを新子友花は、見たことがなかった。

 いや。というよりも、ジャンヌ・ダルクが見えること自体が奇跡なのだけれど。

「我はどうして、ジャンヌ・ダルクとなってしまったのか?」

「それは、どういう意味ですか?」

「なあ新子よ―― もしも、お前が英仏100年戦争を先導せよ、勝利を得よと言われたら……どうする? それもシャルル七世から直々に任されてしまったら」


「……」

 新子友花は返答をためらった。

 なんだか難しい話に聞こえてしまって、でも、何か言わなければ……という気持ちが心の中にはしっかりとある。

 ずっと、今まで信仰の対象――聖人ジャンヌ・ダルクさまとして祈り続けてきた自分なのだ。


「……その、あたしは。その……聖人ジャンヌ・ダルクさまについて行きたいだけで……だけでいいかなって……いいと思えるがあって……、いいと思います。思うんです……」


「そうか……」

 顔を少し上げると、ジャンヌ・ダルクは微笑みを作る――


「それが、忍海勇太にヴァレンタインデーののチョコレートをあげたい気持ちなんじゃないか??」


「ジャンヌ・ダルクさま?」



 新子友花は、またまた頭の上に大きな“クエスチョンマーク”を現した。

 ……そんな彼女に、ジャンヌ・ダルクはそれ以上多くを言わなくて、


「さあ! 迎えが来たぞ……。お前の愛する……だったけな?」


 じわりと理解できてくるのも、青春という概念の面白みか?

 フフッと笑みをこぼしてから、ジャンヌ・ダルクは――消えていく。




       *




「おい! お前って!!」


「んもー!! だから、あたしのことを、お前って言うなって、パブロフか! 勇太よ」


「……みんなさ。お前の帰りを待っているんだぞ。だから帰ろう。ラノベ部の部室にさ」


「勇太……」



 そだね。

 あたしって、なにりきんじゃって……ってかな。


 ……ありがとう。あたしのことを探してくれて。



 勇太――





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

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