四章 言わぬが満開の花

第32話 花開く仕込み

「わたしが犯人を見つけるよっ!」


 俺の元から離れ、輪の中に戻った茜川がそう宣言した。

 意気込んでいるが、ただの空元気だ。

 だが、それでも落ち込むよりはマシだろう。


 自分を言葉で奮い立たせ、不安を覆い隠して前に進もうとしている。

 それについて、違和感を抱く者、なんとなく察している者、

 全てを理解している者がいても、茜川の事情を詮索する者はいなかった。


「急に張り切り出しやがって。その空っぽの頭で取り返しのつかないことでもしたか?」


 詮索こそしなかったものの、堂々と、鳴滝先輩が茜川の地雷を踏み抜いた。

 しかしいつもの軽口だろう、先輩は茜川の事情を推測したわけではない。

 冗談のつもりで言ったら当たってしまったことなんて、

 運がないと言うほど珍しいことでもなく、会話をしていれば日常的にあることだ。


 天気の話や芸能人の不祥事は、そういう地雷を踏まないための必要な話題でもある。


 つまり、鳴滝先輩が茜川の地雷を踏み抜いたことを責めるには、

 目に見えた悪意がまだ足りなかった。

 しかし、鳴滝先輩であれば積み重ねた乱暴な態度がある。

 この一言も、事情を知った上で、

 茜川を馬鹿にしたと捉えられやすい環境になってしまっていた。


 他の誰かなら見逃されていたようなことも、鳴滝先輩は悪く誤解されてしまう。


「せんぱいには関係な――」


 茜川らしからぬ手が出たところで、鳴滝先輩がそれよりも早く茜川を強く押した。

 尻餅をついた茜川が椅子に背中をぶつけ、当たった椅子が音を立てて床に倒れた。


「文句あるか? 先に手を出したのはてめェだぞ――」


 確かに、そうだ。全員が見ていたが……、

 実際は鳴滝先輩が茜川の手を防いだ上で、彼女を突き飛ばした。

 先輩はやり返したに過ぎない。


 ……だが、先に手を出したのは茜川でも、

 実際に当たっていなければ鳴滝先輩の一方的な暴力に見えるだろう。


 肉眼ならまだしも、モニター越しで見ている審判は、さてどう判断するか……。


『鳴滝三年生……三枚目のイエローカードになります……あなたは現時点で失格です』


「はぁ!? ふざけんなよ……ッ、先に手を出したのはこいつだろうがッッ!」


『こちらでは確認できません』


 そう、俺の目でも茜川が先に手を出したと分かったのは、ギリギリだった。

 現場でこれなのだから、死角の多い傍観者はもっと分かりづらい。


『鳴滝三年生……退出してください。

 それとも、手を引いてほしいのであれば女子生徒をそちらへ向かわせますが?』


「……ちっ。いらねェよ。自分で歩ける」


 鳴滝先輩が部屋の扉へ向かう。

 ドアノブを掴んだところでこちらを振り向き、


「覚えてやがれ」


 そう捨て台詞を吐いて、扉が閉められた。




 これで部屋に残されたのは七名になった。

 失格者の情報については、正否の確認ができないブラックボックスになってしまった。

 これまで出されたもので推理をするしかない。


「立てますか、先輩」


 すると、尻餅をついた茜川に手を差し伸べる者がいた。

 木下だ。


「…………」


「警戒しなくてもなにもしませんよ。なにもできません。

 僕の手札はもう既に使い終えています。だから安心して握ってくれて構いませんよ」


「……いらない。自分で立てる」


 木下の手を無視して、茜川が立ち上がった。

 木下からすれば珍しいのかもしれないな……、

 慣れていないのか、行き場を失った手を宙で迷わせながら、

 肩をすくめてなにも掴めなかった手をポケットに入れる。


「くふっ、振られてやんの」

「中継されてんだぜーこれ」


 尼園と立花が木下を指差し、くすくすと嘲笑する。

 ……そういうお前らの陰湿な部分も今まさに生中継されてるけどな。


 特に尼園、お前は本当に現役アイドルなんだよな?


「うるさいぞ、お前たち」


 後輩同士だともちろんタメ口で話しているので、こういう会話は新鮮に感じる。

 当たり前だが、木下もそういう口調ができるんだな。


「木下」


 同級生を睨み付けているところを邪魔して悪いが、後輩に呼びかける。

 木下は嫌な顔どころか逆に嬉しそうに俺を見た。


「……林田先輩、僕のメッセージは伝わりましたよね?」

「悪いが……いや、答えは少し保留だ。その前に確認だけさせてくれ」


「なんですか?」

「お前の兄貴は、賢聖なのか……?」


 俺の中ではこの短い質問を出すのに何十秒とかかっていた。

 反面、返ってきた答えは、聞こえてくるまで一瞬にも満たなかった。


「はい。かつて林田先輩の隣にいた、あの人が僕の兄です」


 自然と、俺は天井を見上げていた。

 名字が違うのは、考えれば簡単だ……義兄弟と言ったところだろう。


 俺が知らない内に親が再婚していたとか、可能性はいくらでもある。


「そうか」


 そうなると、無関心ではいられない。

 見て見ぬ振りはできなかった。


 だから、不本意だが、木下の期待に応えることになりそうだ。


「ここからお前を出し抜けばいいのか?」

「ええ、その手腕、この目でしっかりと――」


「ああ、悪いな。もう終わってるんだ」


 は? そう思わず声を漏らし、ぽかんとする木下。

 いや、もう終わってるは言い過ぎたな。手腕はもう見せられない。

 見せられるのは植えた種が花開くところ――だろう。


 追い詰められたからここから巻き返すために手を伸ばす、では、あまりにも遅過ぎる。


 手遅れだ。


 その不利を作らないために、

 最初から追い詰められた時に一発で逆転できるような仕組みを作っておくことが、

 俺にとっての腕の見せ所と言えた。


 だからもう見せられない。


 俺の仕込みは、ゲーム開始以前から始まっている。

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