第14話 新一年生たち

 尼園澄華、木下鳶雄と同じ新一年生の中で、よく目に止まるのが立花伊織だ。


 頭が良いわけではないし顔が整っているわけでもない。

 自分の身を削った献身的な行動が多いわけでもなかった。

 でも、なぜか目に止まる。

 こうして学年がごった返す食堂にいるとよく分かる。


 俺は購買でパンを買い、教室で済ませる時もあれば、

 食堂で定食を頼んで高科と持ち寄って食べることもある……。

 食堂に顔を出す頻度は、毎日というわけではないが、週に三回程度はきている自覚がある。


 そのたびに立花のことを見かけるのだ。

 周囲の友人は固定されていない。

 どちらかと言うと、固まっているグループに立花が一時的に入ったようなものか。

 それでも中心にいるのはいつも立花だった。


 普通、少なからずぎくしゃくしてしまうものだが、

 それを感じさせないように歯車を合わせているのは、

 空気を読んだ立花の手腕のおかげだろう。


 立ち回りが上手い。

 俺の視線が向いてしまうのも、俺にはない人間関係の器用さに見惚れてしまったからだ。


 誰にも嫌われない立ち回り方。


 目立ってはいるが、グループの名は奪わない。

 あの集団が『立花グループ』と認識されないのは、

 主要メンバーをきちんと立てているからなのだろう。


 目立たないと言うと語弊があるが、つまり長期的に記憶されていないのだ。

 たとえば、隣で日替わり定食を食べている茜川は理事長の娘であり、

 この学園では珍しい、人を疑わない性格をしている……、


 口ずさむ鼻歌は即興で作った意味のないものばかりだし、

 言動が全体的に幼いのは勉強が苦手だから以外にも、

 彼女は甘やかされて育ってきたから――というのがよく分かる。

 強い個性だからずっと忘れないでいられる。


 比べて、立花はどうだろう。

 みんなで集まった時に積極的に場を回してよく喋って適度にいじって、

 自分からバカをやっていじられて、その場が楽しければいいという目的で、

 必要とあれば嘘も吐く。思い返してみれば、

 立花伊織という人間について覚えていることは?


 楽しい奴だった、面白い奴だった、

 明るいお調子者という印象があっても、立花個人についてはまったく覚えていない。

 そもそも、正直に答えていないのかもしれない。


 立花伊織という一年生は、恐らく、高科とは真逆なんだろう印象を受けた。



「林田先輩、今日は学食なんですかー?」


 定食を持った尼園が近づいてくる。

 俺と茜川、そして彼女が紹介したゲームの謎を作成している有志の集団の一人である、

 女子生徒が揃っているテーブルにだ。


「尼園ちゃんっ、一緒に食べる?」

「げっ、茜川陽葵……先輩」


 忘れていたのを思い出したように、先輩をつけたアイドルが、

 げっ、という顔を首を左右に振って落とし、にっこり笑顔を作って答える。


「じゃあ、ご一緒しますね」


 尼園の美少女ランキング上位陥落の原因となった、

 茜川からのお誘いは、複雑なのだろう……尼園からすれば素直に喜べない。

 とは言え、面と向かって断るには、罪悪感がある。


 嬉しそうに後輩を手招く茜川には、悪意も嫌味もないのだから。


 ランキング十位圏内の二人に注目が集まる。

 そこに同席する俺と有志の女子生徒は、一気に肩身が狭くなった。

 茜川は誰であろうと仲良く接するので、一緒にいても気楽なのだが、

 尼園となると彼女のファンからの視線が痛い。


 特に俺への敵意がきつい。

 名前を呼ばれたことで嫉妬の対象になってしまっている。


 アイドルと仲良くなるとこういうことがあるから、とっつきづらいんだろうな、

 と彼女のクラスメイトの気持ちが分かった気がする……それでも理由としては半分だろう。


 もう半分、尼園へ近づくのを躊躇うのは、自己保身のためだからだ。


 ゆっくり近づいてくる尼園に、このままなにも起きないとは、考えづらい。


「ストップだ尼園! 足下をよく見ろ! 周囲を見回せ! 

 ゆっくり、ゆっくりでいいから落ち着いてこっちにくるんだ……っ!」


「過保護ですよ先輩……もうそれはバカにしてますよね? 

 足下になにもないことくらい分かってますし、

 周りの人もあたしを避けて道を開けてくれているので、

 とっても歩きやすいですからね……ええ、とっても……」


 自分で言って、落ち込んでいた。

 その一瞬の気の緩みが事故を招いた。


 斜めに傾むいたおぼんからコーンスープが数滴こぼれて地面を濡らす。

 そこに体重を乗せた足が着地した瞬間、つるんっ、と聞こえそうなほどの滑りを見せて、

 尼園が転倒した。


 お皿の破砕音が鳴り響く。

 頭からコーンスープを被った尼園が目の前にいた。


 見ている側は喜劇でも、本人からすれば悲劇だろう。


 食堂のおばちゃんが落ち着いた様子で、あらかじめ用意していたタオルを差し出す。


「うぅ……っ、せーんーぱーいぃぃぃぃ」


「だから言ったのに……一度や二度のチェックで防げるほど、

 お前の不幸体質はそんなに甘くないだろ」


 コーンスープまみれになった尼園が、おばちゃんに連れられて食堂を去っていく。

 こういうエピソードが事欠かない尼園は、アイドルの世界でも長生きできるだろう。


 アイドルというか、バラエティタレント寄りかもしれないが。


 さすが、ハプニング女王の異名は伊達じゃない。


「あんなに派手に転んでも、

 パンツの一枚も見せないところはさすがアイドルっスよね」


 と、うしろからそんな声が聞こえてきて振り向けば……、噂をすれば、本人がいた。


 立花伊織だ。


「うっス、立花伊織っス。林田先輩とはまだ関わっていなかったなと思って」


「……先輩全員と知り合いになるつもりか?」


「できればっスけどね。とりあえず気になった人には声をかけてるっスよ。

 だから林田先輩と茜川先輩っス。ちょうど、二人が一緒にいたので声をかけたんスよ」


 立花は有志の女子生徒のこともきっちりと相手をして、仲間はずれを出さなかった。


「俺ってそんなに有名なのか? 正直、他の生徒に埋もれる印象だろ……」


 すると、「なに言ってんスか!」と立花が否定する。


「先輩はなんでも屋で有名じゃないっスか!」

「あのな、誤解があるぞ。なんでも屋って、俺はなんでもするわけじゃねえって」


 これまで一度も断ったことはないが、だからって断らないわけではないのだ。

 そこは勘違いしないでほしい。


「誰が言い出したか分からない噂っスよ。分かってるっス。

 先輩はただのお人好しなだけなんスよね? 

 だから年上年下同級生問わず、色々な女の子から唾をつけられてる」


「……モテてる、と言いたいのか?」

「これをモテてると言いたいんスか?」


「いや、都合良く利用されてるだけだな」

「まあ、それでも普通の男子からすれば羨ましいことこの上ないっスけどね」


 尼園と喋っていて嫉妬されたが、案外、こっちの理由なのかもしれない。


「でも、先輩からしたら大変な思いをしているだけなんスよね。

 結果的に厄介ごとを押しつけられてる。羨ましいと言いながら、

 可愛い女の子のために手間暇をかけて手伝うだけの気概が、

 遠巻きに見ているだけの男たちにあるのかどうかって話っスよ。

 困ってる女の子に手を差し伸べる! だなんて、おれには真似できないなと思うんス。

 だから林田先輩のことは凄く尊敬してるんスよ!」


「そんな大層な理由は、俺にもねえけど……」

「そうなんスか? てっきり信念でもあるのかと思ってたっス」


「信念と呼べるほど、俺は自分から動いてないよ」


 だからお人好しと呼ばれる資格もない。


「断り切れずに流されてるだけなんだよ……悪いな、ガッカリさせて」


「嫌なことを嫌と言えないなら失望ものっスけどね。

 先輩は、嫌とは言わないよう意識してるように見えるっスよ? 

 なら、失望する理由にはならないっス」


 俺が答える前に、


「おっと、邪魔しちゃ悪いっスね。定食、冷めない内に食べちゃってくださいっス。

 あと土曜日のゲーム、楽しみにしてるっスよー!」


 と去っていった。


「……なんだか」

「台風みたいな子だったね」


 茜川がそれを言うのか? 

 お前も大概、ああいうタイプだぞ?


「お前と気が合うんじゃないか?」


 しかし珍しく、茜川が苦々しい顔を見せた。


「リードされるのは、苦手かも」


 なるほど、振り回すのは慣れていても、振り回されたくはないと。


 そういうところは、生粋のお嬢様って感じだった。

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