三・遭遇(Encount)

 半ば諦めて、半ば信じていた。

 けれど、あっけなくその日は来る。

 

 その日。

 わたしとグランマは、クロスデルタの端まで買い物に出るも、探していた茶器が見当たらず、歩き疲れていた。

「駄目だね、次の市場の日に探そう」

「もう帰りましょう……乗り合いバスは来るかしら」

 二番街をきょろきょろしながら通り過ぎようとしたとき、小さな丸い窓に、一つの髪飾りがディスプレイされていた。

 小さな花が集まった形をした、虹色の髪飾りだった。

——貝細工! わたしのペンダントと同じ!

 吸い込まれるように、わたしはその店のドアを開ける。

 

 小さな店内には、所狭しと雑貨が置かれていた。テーブルの上だけでなく、天井から吊るされていたり、テーブルの下に並べられていたりもした。アクセサリはもちろん、何に使うのかわからない旧世界の小さな電子部品や、細かな装飾を施した文具などが、雑然と置かれている。

「いらっしゃいませ。素敵でしょう、そのガラスペン。《南方AIRB管理区》のヒトが作ったんです」

 奥から出てきた《女性》をひと目見て、わたしの身体は固く身構えた。

 それは、わたしたちの敵だと教えられてきた《対ヒト特化型DR‐二八二》、軍用アンドロイドだった。

 顔も、ボディも、仕草も。それはわたしたちの記憶に繰り返し叩き込まれている。忘れるわけがない。

 自分の中の何かが、ピン、と音を立ててはじけた。

 

 ——殺す。

 

頭のほとんどを占める激しい衝動。

いけない、冷静にならなくては。


 終戦の日を覚えている。

突然、基地があわただしくざわめき、その日の訓練は中止された。わたしたちは指示の通り着替え、自室で待機した。夕食の時間になっても、基地のヒトは誰も食堂へ出てこない。不思議に思った仲間が探しに行くと、ヒトの居住室はもぬけの殻だった。

 がらんとした潜水艇のドックを前に、わたしたちはみな途方に暮れた。自分たちで食事の支度など、したことがなかったからだ。しばらくは簡易食で賄ったが、二日経ち、三日経ち、今後について話し合いを始めなくてはならなくなった。わたしは、大切なお守り……貝のペンダントを隠しておいた海中の岩場へ向かって基地を出るが、それが仲間との別れになる。

 何者かによって、基地は爆破された。ヒトの居住区だけをわずかに残して。

 仲間たちは海の泡となって消えた。偶然生き残ってしまったわたしは、食料を探し、飢えをしのぐところから二回目の生をスタートさせなければならなかった。


 ——どうしてわたしたちは作られたの? なんのために。

 ——悪いのは誰? わたし? わたしはあの日に死ねばよかったの?

 ——わからない。何もわからない。わかりたくない。苦しい。

 押し込めてきた自分の血への憎悪が、宿敵と教え込まれた目の前の相手へと向けられる。全身の血が沸騰して、今ならどんなエリート兵士よりもうまくやれる自信がある。

アンドロイドは微笑んでいる。

その微笑みは邪悪にも、無垢にも見える。

 違う! 戦争は終わったのだ。リライとドロイドは協定を結んだ、同盟国同士だ。殺してはいけない。相手はわたしの事情など、これっぽっちも知らないのだ……


 かつての仇敵を見つめる。何度か深呼吸して、注意深く話しかける。

「髪飾り……窓から見えた」

「ああ、あれですか。貝がらの表面を薬剤で溶かして磨いた、工芸品ですね。あれもヒトの手によるものです。紫陽花の細かな花びら、ひとつひとつを削り出してあります。まったくヒトの器用さと熱心さには驚きます」

 滔々と説明をするアンドロイドは、うっとりとした様子で髪飾りを手に取り、こちらへ来た。

「きっと、お客様の長い髪にお似合いになりますよ」

 やわらかい動作でわたしの頭へ手を伸ばしてくる。

 ——奴らの手法だ、親しげに近づいてためらいなくヒトを殺す、ヒトが殺される前に仕留めなければならない。

 理性とは別の部分が素早く反応して、わたしはその手をたたき落とした。床に落ちた貝細工が、パリンと音を立てて割れ、わたしはハッとした。アンドロイドの瞳に、警戒信号の赤い光が走る。

「貴女、何をするんです……?」

 アンドロイドの声が、冷たい響きを帯びてきた。

「……ごめんなさい」

言葉と裏腹に、わたしの身体は膝を軽く曲げ、重心を落として次の動きに備えている。

 すると、

「ヴァネッサ?」

 奥の引き戸がわずかに開いた。

 その声。

 何度も何度も思い出した、あの声。やはり、もしかして。

「パパ! 来ちゃダメ!」

 アンドロイドが叫んだ。パパ? 声の方向へわたしが駆け出すと同時にアンドロイドも、待ちなさい! とまた叫んで駆け出したが、わたしとの間にある飾り棚を避け損ねた。棚の上のカラフルな雑貨がいくつか床へ落ちていくのが見えた。構わずわたしは戸へ駆け寄ると、ドアノブを掴んで、開ける。


 そこには、小さな老人がいた。白髪と深い皺に埋もれていても、蒼い瞳をみればわかる。ロイ=ラナークその人だった。

(教、官……)

「何か割れた音がしたようだが」

「ごめんなさいパパ、パパが作った髪飾り、壊れてしまったわ」

「ああ大丈夫だ、また作れば良い」

「こちらのお客様が、気に入ってくださったそうよ」

 アンドロイドは、その目のレンズに警戒の色をにじませたまま、そう言った。しかし彼は、それに気付いているのかいないのか、笑って応じている。

「そうかね、ありがとう。お気に召したのならば、すぐ作ろう。お名前を伺ってもいいかな?」


 二人のやりとりを、わたしは呆然と見ていた。

 彼が年老いたのは、彼がヒトだから。けれどわたしの身体は老化しない。彼がロイなら、わたしに気づくはずだ。しかし彼は、わたしのことを本当に知らない様子だった。わたしです、Mnp二四七七です、と名乗ったら、彼は思い出してくれるのだろうか。

 彼はなぜ、わたしたちの敵と親しげに話をしているのだろう。

 パパ? ヒトがアンドロイドの父親? 

 そんなはずはない、人違いじゃないの? きっとそう、そうであってほしい。

 もし教官なら記憶がよみがえればきっとアンドロイドなんて……。

 わたしは、荒波にもまれる船のように大きく揺れる思考を制御できずにいた。

祈るように、服の下のペンダントを押さえる。

——そうだ、彼が作ったこれを見せれば、きっと思い出してくれる。

ペンダントの鎖をたぐり寄せようとしたその時、入口のドアが開いた。

「ああ、見つけた! メラクったら、探しちまったじゃないか! 黙って寄り道をして、もう!」


 その声は、わたしを引き戻す声だった。

「話しかけても返事がないから後ろを見たら、アンタがいない! びっくりしてあちこちの店に首を突っ込んで探したさ」

 グランマが立っていた。腰に手を当てて怒ってみせながら、目は笑っていた。それを見ると頭に上っていた血がぼこぼこと沸騰した。グランマあのね、と言おうとして、沸騰した血があふれて目から零れ落ちそうだった。続く説明がうまくできる気がしなくてわたしは声を飲み込み、ただグランマを見つめた。

「買い物は済んだかい? 帰ろうかね」

知ってか知らずか、グランマは淡々とそう言った。

「待ちたまえ」

 彼の声だった。

「お嬢さん、メラクというのかね、とてもいい名だ。その意味をご存知か? こんな歌があるんだ。『メラクは親熊の腰、』」

「『二番手のほし』」

 わたしが声を重ねてみせると彼は驚き、息を呑んだ。

「『一番手と追いかけっこを五回して、子熊のしっぽをつかまえる』」


 暗い海の上、夜警当番をしながら一緒に星を見上げ。

 わたしは星の歌をうたい、彼は貝がらを磨いて。

 ランプが暗いと文句を言いながら。

 透き通ったいい声だと褒められて。


「この歌をご存知か。どこかでお会いしたことがあったかな……?」

 答えられないわたしを見て、アンドロイドが小さな声で彼の後を継いだ。その目から、攻撃的な色合いは失せていた。

「パパは、この街へ来る前の記憶がないのです。この街の入り口で倒れていたパパを、私が助けました。名前も思い出せないのに、この歌だけは歌えたのです。旧世界の資料を検索しても、こんな歌は見つかりません。あなた、この歌について何か知っていますか」


 ——この歌は、わたしが作った歌よ……

 

 曖昧に微笑んでいる彼を見てわたしは、黙って首を横に振った。


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