第10話 勝気なカノジョとクリスマス祭に行くことになった

 終礼が終わると、紀夫が僕の方を向いた。

「明後日のクリスマス祭に行かないか?」

 うちの学校は3年生の受験に差し障りがあってはいけないということで、体育祭や文化祭などの学校行事は一学期に纏めてある。だが、それでは二学期以降の行事が少なすぎるので、1、2年生には球技大会とクリスマス会が作られている。

 球技大会は1、2年生限定だが、クリスマス会は3年生でも自由参加することができる。

 期末テストが終わると、1、2年生たちは終業式前日である毎年24日のクリスマスイブに行われるクリスマス祭の準備に忙しく動いている。

 3年生は僕や紀夫のようにもう進学や就職が決まっている僅かな生徒以外は、受験や就職のことで手一杯で、クリスマス祭などには関心がない。

「なんだよ、突然。いやだよ」

 僕は首を横に振った。1、2年生の時は全員参加が義務付けられていたから参加したが、自由参加の3年生になってまで行くつもりはない。

「クリスマス祭でカップルになる率は高い。ひょっとしたら、カレシを探している女子がいるかもしれないだろう? なっ、行こうぜ」

 去年もそんなこと言ってたけど、クリスマス祭ではカノジョができなかったじゃないか。

「行かない」

 樹里がいるからカノジョを見つける必要はないし、もともとクリスマス祭には興味がない。

「そりゃあお前には、あんな石野でもいるからいいけど。俺は1人だぜ。可哀想だろう」

 そんな言い方したら樹里に怒られるぞ。

「ちょっとそれどういう意味よ」

 いつのまにか樹里がすぐそばに立って、眉をひそめ見下ろすように紀夫を睨んでいる。

「はいはい。お邪魔ですね。俺は1人寂しく帰るよ」

 紀夫は席を立つと、さっさと教室を出て行く。

「ちょっと待ちなさいよ。『あんな石野でも』ってどういう意味よ」

 樹里の言葉を無視して肩を落として紀夫は帰っていく。

「なによ。あれ」

 樹里が不満そうな顔をする。

「紀夫、カノジョに振られたんだ」

「それで機嫌が悪いわけ?」

「そう。クリスマス祭に行こうって誘われて断ったから、余計に機嫌が悪くなったみたい」

「クリスマス祭か。行ったことないし、行ってみようかな」

 樹里が意外なことを言う。

「行ったことないって、去年は2年生だったから強制参加だっただろ」

「わたしが行ったら、クラスの雰囲気が悪くなるから行かなかったのよ」

 クリスマス祭では各クラスで工夫を凝らして催し物をする。樹里はクラスでは浮いた存在だから参加しなかったんだろう。

「それよりどうだった?」

 樹里が僕の頬をそっと撫でる。

「骨は折れてないから時間が経てば治るだろうって言われた」

「よかった」

 樹里がホッとした顔をする。

「お兄さんからもらったお金で病院代払ったから、お釣りを返すよ。お兄さんに返しておいて」

 領収書とお釣りを樹里に差し出した。

「お兄ちゃんは昨日の飛行機でアメリカに帰ったから返せないわよ」

「そうなの? 今度、会う時に返しておいて」

「もらっとくわ」

 樹里は受け取った。本当に返すか不安だが、そこは追及しないでおこう。

「仲のいいこと」

 渡辺さんが嫌味な口調で僕たちの横を通った。

「渡辺さん」

 樹里が呼び止めた。なんで呼び止めるんだ。また喧嘩になるのに。

「なによ?!」

 渡辺さんが険のある声を出す。

「名前なんだったっけ?」

 樹里がまるで友達のように聞く。

「なんであなたに教えないといけないの?」

「いいじゃない。教えてくれても。減るものじゃないし」

「真紀よ」

「真紀、クリスマス祭に一緒に行かない?」

 仲悪いのになんで誘ってんの。

「樹里……」

 口を挟もうとしたら樹里から鋭い一瞥を投げられた。

 こ、怖い。僕はおし黙る。

「なんで呼び捨てなのよ。それにどうしてあんたたちとクリスマス祭に行かないといけないのよ」

 渡辺さんは怒ったように言う。

「山崎君も来るから、真紀もどうかなと思って。山崎君、カノジョに振られたんだって」

 樹里がニンマリと笑う。何か嫌な笑いだ。紀夫が来るからって渡辺さんには関係ないだろう。

「か、考えとくわ」

 渡辺さんは真っ赤な顔で俯いた。

「そう。一緒に行くんだったら、隆司に言って」

「分かったわ」

 渡辺さんは下を向いたまま帰っていってしまった。渡辺さんはどうしたんだろう。

「わたしたちも帰ろう」

 樹里が僕の手を取った。

「そうだね」

 学校に来たと思ったらもう帰るという感じで、今日は学校へ何しに来たのかよく分からない。

「でも、本当に良かったわ。大したことなくて」

「うん。でも、お兄さんは樹里のことが可愛くて仕方ないんだね」

「馬鹿兄貴よ。頭がいいくせに、思い込んだらよく考えずに一直線に進んじゃうんだから」

「いいな。兄妹がいて」

 一人っ子の僕には樹里が羨ましい。

「鬱陶しいこともあるわよ」

 樹里は苦笑いのような顔を浮かべる。それを言ったらお兄さんかわいそうじゃないの?

「そうそう。スリッポンとガウンどうしよう?」

「スリッポンはあげるわ。あれ、まだ履いたことないから。ガウンは処分したわ」

「買い取ろうと思ったのに」

「あれ女物よ」

「母さんに着てもらおうと思って」

「隆司が裸で着たのを?」

「ちゃんとクリーニングに出してからだよ」

「隆司はマザコンだ」

 樹里が揶揄うように笑った。

「違うよ」

「まあいいわ。マザコンのカレシでも。じゃあ、山崎君にクリスマス祭に行くって言っといて。そうね。待ち合わせ時間は10時にしましょう。その日はモーニングコールはいらないから、9時30分に迎えに来てよ。来なかったら怒るからね」

「うん。分かった」

「それと隆司は制服で来て。ブレザーだからちょうどいいわ」

 樹里が手を振ってマンションの中に入っていく。

 1、2年生はクリスマス祭に制服で参加するよう義務づけられているが、3年生は自由参加なので、私服で参加していい。

 なぜ樹里は制服で来いと言ったのだろう。


 目を覚ますと、クリスマス祭にふさわしく、粉雪が舞っていた。

 積もるような降り方ではないので、傘は必要なさそうだ。

 樹里に言われた時間に迎えに行くと、樹里はもうマンションの前に立っていた。

 ベージュのトレンチコートを着て、リボンのついた黒色のハイヒールを履いている。

 僕には制服を着て来いと言っておいて、自分はちゃっかりおしゃれをしていた。

「おはよう」

「おはよう。山崎君には言ってくれた?」

「言ったよ。校門の前で待ってるって。でも、渡辺さんは何も言ってこなかったけどね」

 やっぱり僕たちと一緒に行きたくないんだろうな。当然だけど。

「真紀なら私のところへ行くって言いに来たから大丈夫よ。校門の前にいるはずだわ」

 渡辺さんは樹里のことをあんなに嫌っているのに、僕のところではなく、どうして樹里のところに行ったんだろう? 女子の気持ちはさっぱり分からない。

 校門の近くまで来ると、白のダウンジャケットにデニムという姿の紀夫と赤のニットコートを着て、グレーのスカートを穿いた渡辺さんが少し離れて所在無げに立っているのが見えた。

 紀夫は女子とでも平気で喋るが、渡辺さんのことはちょっと苦手と言っていた。

「真紀、行こう」

 樹里が渡辺さんに近づくといきなり腕を取って歩き出す。

「えっ、えっ、ちょっと」

 渡辺さんがどんどん引っ張られていく。

「なんでお前は制服なんだ?」

 紀夫が学校指定の紺のコートの胸の部分を摘んだ。

「樹里に聞いてくれ」

「それにどうして渡辺がいるんだ?」

「樹里が渡辺さんを誘った」

「ハアー? 2人は仲が悪いんじゃないのか?」

「それも樹里に聞いてくれ」

 僕には何が何だかさっぱり分からん。

「どこ行くの?」

 渡辺さんが樹里に聞いている声がした。

「体育館」

「体育館って何やってた?」

 紀夫はどこで何をやっているか事前チェックしていたはずだ。

「たしか、体育館は吹奏楽部と演劇部が何かしてたよな。この時間だと演劇部の時間だ」

 体育館の前まで来ると、演劇部の宣伝用立て看板があった。一番上に演劇部と書いてあり、その下には演目である『シラノ・ド・ベルジュラック』と書いてある。さらにその下には鼻の大きな騎士と可憐なお姫様のような格好の女の子の絵が描いてあった。

「なんでクリマスに『シラノ・ド・ベルジュラック』なの? 普通はキリストの生誕劇じゃないの?」

 渡辺さんが不思議そうな顔をする。

「演劇部の奴に聞いたところによると、来春の演劇コンクールにこの演目で出るそうだ。その初披露っていうことらしい」

 さすが紀夫は顔が広い。

「フーン」

 渡辺さんはあまり納得していない様子だ。

「入りましょう」

 樹里が渡辺さんを引っ張っていく。

「おい、石野って演劇が好きだったのか」

「そうだね」

 樹里は見てきた劇の話を夢中ですることがある。よほど好きらしい。

 体育館の中は、半分ぐらいの入りで、僕らはちょうど真ん中あたりに座った。


『シラノ・ド・ベルジュラック』は、剣の達人であり詩の才能にも恵まれているが、異常に鼻の大きなことにコンプレックスを持っている主人公シラノ・ド・ベルジュラックがそのコンプレックスゆえに愛する従姉妹ロクサーヌへの思いを隠し、頭は悪いが美貌の騎士であるクリスチャンとロクサーヌとの恋を陰日向になって応援するという悲喜劇だ。


 3年生が引退した後の1、2年生主体の初めての劇にしてはうまく演じているように思えた。

「わりとうまかったな。あのロクサーヌをやっていた女の子も可愛かったし」

「そうね。あのクリスチャンをやっていた子もイケメンだったわ」

 紀夫と渡辺さんにも概ね好評だったみたいだ。

「あんなんじゃダメよ」

 樹里が厳しい表情で呟いた。

「なにがダメなのよ」

 渡辺さんが不満そうな声を出す。

「照明はどこにスポットを当ててるのか分からないし、頼りないはずのクリスチャンがしっかりし過ぎてるし。それにあのロクサーヌをやっていた子はクリスチャンが好きで堪らないっていうことをもっと情熱的に表現しないと。当時の夜は暗いのよ。あんな悠然とバルコニーに立っていてはクリスチャンの姿は見えないわ。もっと身を乗り出して、クリスチャンの姿を探さないと」

 樹里はいつになく熱を入れて語る。

「石野さんなら、きっと情熱的に表現ができるんでしょうね」

 渡辺さんが茶化すように言う。

「隆司」

 突然、樹里が立ち止まると、紀夫と一緒に後ろを歩いていた僕の方に振り返る。

 僕と樹里は向かい合う格好になった。

 樹里は一瞬、下を向いて少し膝を屈め、僕と目線の高さを合わせ、すぐに顔を上げた。

 ぱっちりした目を潤ませ、憂いに満ちた表情をした樹里の顔が目に飛び込んでくる。

「愛してるわ、隆司。胸が張り裂けそうなぐらいあなたのことを愛しているの。この胸を切り裂いてわたしの想いを見せてあげたいわ。ねえー、あなたはどうなの? わたしのこと好き? わたしのこの思いをどうしたら分かってもらえるの? どうすれば伝わるの。隆司。愛してる」

 いつもの低い声じゃない。少し高い女性らしい艶っぽい声をしている。

 やばい。樹里は芝居のつもりかもしれないが、悩ましい声で話しかけられ、熱情で潤んだ瞳に見つめられたら、樹里のことを本気で好きになってしまいそうだ。

 思わず目を逸らしてしまった。

「ねえ、どうして目を逸らすの? わたしはあなたのことしか見ていないのに。どうしてわたしを見てくれないの。あなたもわたしだけを見て。わたしのこと嫌いなの? わたしはこんなにこんなにあなたのことを愛しているのに。お願いこっちを見て」

 樹里の啜り泣くような哀願する声に思わず、顔を見てしまう。

「お願い。わたしのことを好きだと言って。わたしを強く抱きしめて」

 両方の目尻から涙がスーッと溢れ、頬に跡を引いていく艶めかしい樹里の顔に僕はもう抗することができない。

「好きだよ。樹里」

 樹里のスレンダーな体を抱きしめる。樹里も僕の体を優しく抱き返してくれる。

 樹里の体から『ジョイ』の香りが漂い、鼻孔をくすぐっていく。

 僕は樹里が好きだ。どんなに性格が悪くても、樹里のことが大好きだ。

「隆司はカレシだからいつでもわたしを抱きしめていいのよ。誰にも遠慮することはないわ。大丈夫よ。堂々としてて。愛している、隆司」

 樹里が僕の耳を愛撫するような甘い声で囁きかけると、体をゆっくりゆっくりと離していく。

「ヒューヒュー」

「熱いね」

 周りから冷やかすような言葉が飛んでくる。

 普段の僕なら恥ずかしさで逃げ出しているはずだが、樹里のさっきの言葉のお陰で逃げずにその場に踏みとどまることがなんとか出来た。

「どう? わたしの演技?」

 樹里がポカーンとした顔で立っている渡辺さんと紀夫の方を見る。

「あれ、演技だったのか? 演劇部か?」

「いや。演劇部はまだ体育館にいるだろう」

 周りにいた生徒たちがざわめき出す。

「じゃあ、誰だ?」

「あれ、石野だ」

「石野って、あの石野か」

 野次馬のように生徒たちが集まってくる。

「あれが演技だったらすごいわ」

「ほんとう。なんか素敵」

 憧れのような目で樹里を見ている女子もいる。

「澤田君は樹里のカレシだからああなったのよ」

 渡辺さんのその言葉を聞くと、樹里が今度は渡辺さんの方に近づいていく。

「真紀、2年生の時にわたしのことを気にかけてくれたのにあんな冷たい態度とってごめんね。あんなに優しくされたら、真紀のことを好きになりそうで怖かったの。ずーっと真紀のことが好きだったのよ。夢で見るぐらい真紀のことが好きなの。ねえ、こっちに来て。真紀のことを抱きしめたいの」

 樹里は渡辺さんの両腕を掴むと、自分の方へ引き寄せようとする。

 どうやら樹里に変なスイッチが入ってしまったようだ。

「ま、待って。樹里、冗談はやめて。いやよ」

 渡辺さんは必死に突っ張って堪えようとするが、20センチ以上背の高い樹里の力には勝てず、引き寄せられ抱きしめられてしまう。

「真紀の唇、小さい花びらみたいで可愛いわ。ねえ、その唇にキスさせて。真紀とキスがしたいの。真紀、好きよ」

 樹里は左手で渡辺さんの腰を抱き、右手の人差し指で渡辺さんの唇をなぞると、唇を渡辺さんの唇に近づけていく。

「お願い。もう本当にやめて。樹里の演技がすごく上手いことは認めるわ。だから許して」

 渡辺さんは樹里の唇から逃げようとして首を横に振り立てる。

「わたしの目を見て。わたしは本気よ。真紀のこの唇にキスしたいの。真紀も覚悟を決めて」

 樹里は両手で頬を挟んで渡辺さんの顔を動けなくして、さらに顔を近づけていく。

「お願い。もう……」

 渡辺さんは大きな目をさらに大きく見開き、近づいてくる樹里の目を見つめていたが、やがて覚悟を決めたようにふと目を瞑った。

「うふふふ。冗談よ、真紀。ドキドキした?」

 樹里は唇と唇がくっつく寸前で動きを止めると、少しずつ顔を離していく。

「もうふざけないで」

 渡辺さんは顔を真っ赤にして怒ったように樹里の腕を振り払い、体を突き飛ばす。

「ごめん。ごめん。悪ふざけが過ぎちゃった? そんなに怒らないで。そのお詫びに……」

 樹里が渡辺さんに近づき、耳元で何か囁く。

「そんなこと……」

「あら、いやなの?」

 樹里が冷ややかな微笑みを浮かべている。

「イジワル」

 渡辺さんが拗ねたように唇を尖らす。

「山崎君」

 樹里が紀夫に呼びかける。

「あとは隆司と2人で回るから、山崎君は真紀と一緒に回ってね」

「あっ、う、うん」

 樹里と渡辺さんを呆然と眺めていた紀夫が我に返ったように頷く。

「行きましょう。隆司」

 樹里はまださっきの余韻でボーッとなっていた僕の手首を掴むと、集まっていた野次馬の生徒たちを押しのけて校門へと引っ張っていく。

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