第11話 憩いの場にある大きな果実

 次の日の日曜。

 颯斗の決めた午後3時に千歳さんの店に向かう。昼食後のティータイムと洒落込むつもりなのだろう。

 美羽も頻繁に足を運ぶ店だが、今日は見当たらず、ひとり自宅をあとにした。


 自宅から歩いて10分。

 昨日お粥の材料を買いに来た牛原商店街の中にそれはある。かなりの高さに設置されたアーケードから昼下がりの西日が射しこんでいた。日曜日のため客は多く、普段の学生やリーマンよりも家族連れが目立つ。だいたいの系統の店が揃うので、調達には便利だが、それでも手に入らないものに至っては丸鶴デパートや隣町を利用するしかない。

 そういえば、美羽と愛梨沙ちゃんが昨日デパートに行ったようだが、いったい何を買いに行ったのか。想像もつかない。


 昨日立ち寄ったMealミール-Martマート、略してミルマと呼ばれるスーパーの近くに千歳さんがひとりで切り盛りする純喫茶がある。

 シックな木調の外観の上部に、横書きでEtroエトロ de Rutaルタと筆字で大きく、そして趣を感じさせるように書いてある。

 中央にあるドアを開けると、カランカランというドア上部の鐘が鳴る。


「あら、真尋ちゃん」


 その音に反応したマスターが俺に声を掛けてきた。

 彼女こそ、そうとせ――俺たちの幼少期を知るお姉さんだ。彼女が大学を卒業してすぐにこの店を開業して、それからの付き合いだ。そのとき、俺らは小4だったから年齢は……察してほしい。だけど、その年齢を感じさせない程に千歳さんは若く見えた。ゆるふわ茶髪ロングを束ね、片方に流すスタイル。それ以上に、いや一番目立つのはそのたわわに実った果実だ。坂巻先生と良い勝負だ。だが、坂巻先生は張りがあり、千歳さんはたゆんという感じだな。


「千歳さん、いつもの飲みに来ましたよ」


 ドアを閉めて木製の床を歩いて行く。ギシギシとウグイス張りのように響く。向かって右にはテーブル席がふたつ、向かって左にカウンター席と千歳さんが見える。いつもは賑わう店内だが、今日は閑散としていた。

 その中で俺の定位置であるカウンター最奥の席に腰かける。

 一応ことわっておくが、飲みに来たといっても酒でもなければ母乳でもない。


「はい。今日はひとり?」


 オーダーを受けて奥の暖簾をくぐりながら尋ねてきた。


「いや、颯斗に誘われたんです。もうすぐ来ると思いますよ」

「颯斗ちゃんも。颯斗ちゃんはアレよね?」

「たぶん」


 頼むメニューはほぼ決まっているので、おそらくはそうだろう。


「今日なんでお客さん居ないんですか?」


 厨房に声を掛けると、姿はせずとも返事は来る。


「さあ? たまたまじゃない?」

「そうですか」


 そのやりとりのあと、カランカランと俺のときと同じ音をさせながら颯斗が入店してきた。


「おう真尋。早いな」

「おっす。ちょっと早めに家でたからな」

「そんな早く見たかったのか?」

「違うって」

「なにを?」


 そのやりとりの最中、オーダーされた品を運びながら千歳さんが言ってきた。


「なんでもないです、はい」


 焦って言う俺をニヤケながら颯斗が覗いている。おまえも同罪だからな?


「そう。じゃあ、はい、コレ」


 そう言ってカウンター越しに品を渡してくる。だが、俺たちはいっさい品には目もくれない。なぜなら、渡す瞬間、必ずおっぱいがテーブルに乗るから。天然系の千歳さんはふたりに覗かれていても全く気づかない。いつものことだ。今日もご立派でした。

 横を見ると、同じ気持ちの輩がひとり。


「ありがとうございます」


 俺の方にはロイヤルミルクティー、颯斗の方にはブラック珈琲が置かれた。これもいつもの光景だ。

 颯斗は佐藤やフレッシュなどをいっさい入れず、そのままを口にする。


「いつも思うんだけど、颯斗ちゃん、苦くないの?」


 カウンターに両肘をついて両手で顔を支える状態で千歳さんが聞いている。


「はい。これが違いのわかる男なんすよ」


 和菓子という甘さを売りにしている後継者が苦さを語っている。


 俺は甘い飲み物を欲すので、薄い茶色のそれを口にし、口の中で転ばせる。


「真尋は甘いもん好きだよなぁ。男じゃないな」

「今お得意さんがひとり減りました」

「いや、スマンっ。和菓子は買いに来てくれっ」


 すぐに察して弁解してくる。そして3人で笑う。知り合いだからこそ成り立つ会話だ。ここに来ると心が和む。俺たちの秘密基地ってところかな。


 そんな時、また鐘の音が聞こえてきた。

 3人が一斉に視線を送ると、私服姿の美羽と愛梨沙ちゃんが入ってくるのが見えた。


「ゲッ! クソ兄貴……っ」


 颯斗を見るなり、すぐに愛梨沙ちゃんが機嫌を悪くして言った。

 小さいころはよく4人で来ていたが、中学以降じゃあ4人そろうのは久しぶりだな。


「愛梨沙、今すぐ帰れ。俺たちのティータイムを邪魔するな」

「何だとっ、てめぇ! 兄貴が帰れよっ」

「こら、喧嘩はダメよ? それに、どっちも私にとってのお得意さんなんだから」


 俺たちが来店していないとき、美羽たちも頻繁に来ていたのだろう。偶然に出くわす確率なんて低いだろうから。


 愛梨沙ちゃんは軽く舌打ちをして、俺たちから距離を取るために入り口付近のテーブル席に腰を下ろした。


「千歳さん、いつもの」

「あたしも」


 愛梨沙ちゃんと美羽が、俺たちのやりとりをコピーしたかのように注文を告げる。いったい、普段なにを口にしているのだろうか。興味はある。


「はい。ちょっと待っててね」


 ふたたび厨房に千歳さんが消えたため、颯斗は至極ご立腹だ。あれを拝めないからだろう。


 千歳さんが出てくるまで誰もしゃべるものはいない。いまさっき言っていた心が和む感がまったくない。千歳さん、息が詰まるから早く出てきてください。


 その願いが届き、品を持って厨房から顔を出す。

 カウンター横の出口からテーブル席へと進み、ふたりの前に置いている。


「お待たせしました。愛梨沙ちゃんのカフェオレはミルク多めにしてあるから」

「ども」


 愛梨沙ちゃんが軽く会釈をし、美羽も続く。どちらもカフェオレを飲むみたいだ。


「愛梨沙、悪あがきはよせ」

「はあ!?」


 颯斗がうしろを見ずに唐突に意味不明なことを言う。


「ミルクを飲めば、どうにかなるとでも?」

「くっ!」


 ――おまっ、なんちゅうことをっ。いつも愛梨沙ちゃんのそこに触れるなっつってんだろーがっ。


 てっきりブチ切れるかと思ったが、意外にも愛梨沙ちゃんは深呼吸をして冷静を決めている。大人になったんだな。


「そういや真尋、女絡みはどうなったんだ?」


 突然、愛梨沙ちゃんが不機嫌に言ってくる。美羽が話したのかと顔を見るも、ふるふると他にはわからないほどに首を横に振っていたので、格ゲーのときの話を膨らませているだけだと気づく。


「なんだとっ。真尋、俺を裏切ったのかっ」


 俺に彼女ができたのだと勘違いした親友が少々お怒り気味だ。


「違う違う。あれは勘違いだったんだ。声を掛けられたんだけど、用事を頼まれただけだった」

「そう……なのか」


 なぜか愛梨沙ちゃんの機嫌が直る。おっぱいの話題に触れられ、今にもマジ切れしそうだったのに。


 そして、なぜか俺以外の3人が愛梨沙ちゃんを一点に見つめる。少し愛おしそうに眺めていた。


「な、なんだよ……」


 愛梨沙ちゃんが真っ赤になってみんなを見る。俺だけが蚊帳の外状態だ。どういうことだ?


「ところで、おまえらデパートまで何買いに行ったんだよ?」


 また颯斗が突拍子なく尋ねる。


「はあ!? なんで知ってんだよ?」

「真尋から聞いた」

「俺は美羽から聞いた」


 伝言ゲームのようにつながり、美羽に視線が集まる。


「ごめん、愛梨沙。ついアニキに言っちゃって」

「ったく」

「で? なに買いに行ったんだよ?」

「言うわけねぇだろっ」


 赤い顔で愛梨沙ちゃんが怒鳴る。酷く焦っている。


「まさか下着とか? いや、ないか。なんせ、おまえ新調する必要ねぇから」


 前を向きながらヘラヘラして言う颯斗。

 何かの線が切れたのか、恐ろしい表情で無言で近づいてくる愛梨沙ちゃん。

 颯斗、安らかに眠ってくれ。




 颯斗がボコられて数時間後。現在、自室でひとり勉強している。あまり勉強は得意ではないが、宿題くらいはしておかないといけないから。


 勉強中、不意にスマホにメールが届く。真白さんからだった。

 初メールの内容は以下の通り。


『明日の放課後、また屋上に来てくれない?』


 屋上という言葉よりも、明日は学校に来られそうなんだと風邪の完治の知らせに喜びをあらわにする。


『風邪治ったんだな。けど、なんでまた屋上?』

『千紗からの呼び出し』


 急にテンションが下がる。ふたりともを屋上に呼ぶなんていったい今度は何を企んでいるのやら。


『内容は?』

『知らない。だからピンチ』

『何とかふたりで乗り切ろう』

『そだね。あと……看病ありがとね』


 その返信のあとに、さんきゅという吹き出しを携えたウサギのスタンプが続いていた。

 心を込めてこう送った。


『どういたしまして』

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