第7話 数年ぶりに見たカノジョの部屋

 現在、美羽の部屋で正座している。美羽は勉強机に備え付けられた椅子に座り、こちらを見下ろしている。

 数年ぶりに入ったこの部屋は以前とあまり変わらない。ピンクを基調とした部屋はまさに女の子の部屋といった様相だ。


「あんまジロジロ見ないでよ」

「ごめん。やっぱ俺、部屋戻るわ」


 床に和菓子の袋を置いたまま、その場を立ちあがると美羽に制止させられる。


「良いから。座って」


 ふたたび、床に置かれたお洒落な座布団に腰を下ろす。


「で? その跡なに?」


 自分では確認できないが、あれほど強い力でネクタイを引っ張られたんだ。首の横に跡がついてもおかしくない。だが、そのことを言えば偽カップルの件も明るみになる。ひとりに言ってしまえば、噂は一瞬にして広まるだろうから、どうしても口外できない。


「あたしにも言えないことなの? 愛梨沙が言ってた女絡みってヤツ?」


 的を得てはいるが、少し違う。頭の中を整理することに夢中なあまり、どうしても無言を決めているように見えてしまう。


「どうせ同じクラスの子でしょ? あたしが行って解決してあげても――」

「要らないっ。大丈夫だから」


 必死の形相だったのだろう。その様子に美羽は驚いていた。


「いつもそうだよね? 人のことばっか気にかけて、自分のことはひとりで抱えちゃってさ」

「そんなことないさ」


 軽いノリで笑いながら言うと、突然美羽が椅子から立ちあがる。


「あたしはアニキが心配なのっ……あ、いや、家族として」


 ゆったりとした白の部屋着のズボンを押さえてそう言った美羽は、とても切ない、どこか遠くを見ている顔だった。

 そんな妹の気持ちに心を打たれ、俺は決意を固めた。


「誰にも言わないって約束してくれるか?」

「わかった。言わない」


 そう言って俺の目の前に、和菓子袋を挟む位置で正座をしてきた。


「なんかさ、カップルのフリしてくれって頼まれたんだよ」

「はあ!? なにそれ?」

「その子、女の子から告白されて、百合から逃げたいからって」

「なにそれ! アニキ利用してるだけじゃんっ。じゃあなに? その恋敵になった方の子にネクタイでも引っ張られたの?」


 知的な美羽は察する能力に長けている。さっきの話の流れと首元の跡からここまで推理するとは。


「その通りだ」

「最っ低! その女、なんて名前? あたしが――」

「さっきの約束、忘れたのか?」


 立ち上がる美羽にすかさず言う。

 その子に会った時点で誰にも言わない約束を破ると気づき、その場に座り直した。


「けど、このまま放置してたら、いつかその子に殺されるんじゃないの?」

「かもしれない」

「じゃあ、なんでそこまでして偽カノを庇うのよっ?」

「好きな子だったんだ。入学してからずっと」


 ふぅとため息をついて美羽は腕を組む。


「そこまで想ってるんなら、その偽カノ、正カノにしてみせなさいよ」

「ムリだって! あっちは俺のこと何とも思ってないって言ってたし」

「長く居れば変わると思うけど」


 どこにそんな根拠があるんだ?

 美羽ですら俺のことを嫌っているというのに、他人から好意を抱かれると思うのか?


「とにかくっ。問題は恋敵の方よっ。何かないの? 弱点とか」

「ないと思うな。完璧超人みたいな子だからなぁ」

「絶対あるって。この世に弱点ゼロの人間なんてないから」

「まぁ、一応探ってみる」

「もしピンチになったら協力したげるから言って」

「ありがとな、美羽」


 俺がそう言うと、急激に美羽の顔が赤くなる。


「ところで、なに買ってきたの?」

「あぁ、これか? 颯斗が選んでくれたおすすめ4品だ。しかも奢りで」

「へぇ、颯斗くんも気づいたんだ」


 おそらくは俺の悩みに気づいたことを言っているのだろう。良い親友と妹を持って俺は幸せ者だ。

 袋から箱を出し、俺が蓋を開ける。ふたりでひとつの箱を覗き込む。


「わあ、美味しそ~。ってか、なにこれ?」


 当然そう来ると思った。案の定、美羽が指を差したのはおっぱい饅頭だ。


「颯斗が考案した新作饅頭らしい。俺が最初の購入者だと」

「ふっ、なにそれ。颯斗くんらしい」


 口元を緩めて美羽が笑っていた。美羽の笑顔、本当に久しぶりに見たな。

 そのあと、美羽が桜餅を、俺がおっぱい饅頭を食べた。見た目がそれなだけで味は通常の上用饅頭のため美味しかった。


 首元に跡を作ったが、妹との会話に花開き、心は躍る一日だった。




※※※




 次の日。目覚めると寝違えのような痛みを首に覚える。原因はネクタイ事件だ。

 跡は日を追うごとに増すと聞くが、本当だった。昨日はうっすらだった赤みはより濃く鮮明に浮かび上がっている。

 そのため、休みの今日、黒のタートルネックセーターを着て外出する。まだ春先なので季節的にはちょうど良い。


 玄関外は爽やかな春風がそよいでいるが、頬を撫でる風は冷気を少し感じる。セーターによって防寒対策はバッチリだ。


 朝10時。別にどこ行くわけでもなく、ひとり近所を彷徨う。美羽は愛梨沙ちゃんとふたりで駅前にある丸鶴まるづるデパートまで買い物だと言っていた。デパートに用のない俺は違う方向を目指して歩いていた。


 しばらく歩くと、亀池かめいけ公園という看板が目に入る。ここはかつて、幼少のころに颯斗や美羽、愛梨沙ちゃんと一緒に遊びに来た場所だ。最近はあまり来ることはなくなったが、たまにはという興味本位で気づけば足を踏み入れていた。


 この界隈で一番大きな公園で、名物は中央の亀の形をした大池だ。亀といっても小さい丸と大きい丸が接しているだけで、見る方向によっては雪だるまのように見えなくもない。

 朝とあって、散歩をする人が目立つが、池の前に腰かけて絵を描く人もいれば、軽装でジョギングをするストイックな人もいる。乳母車を押す母親や杖をついて少しずつ歩むご老人など、人間観察の場としては最適だろう。

 昼食までここで時間を潰そうと感じた俺は、よく颯斗たちと腰掛けた長めの木製ベンチへ自然と向かっていた。


 懐かしいその場所は時が止まったかのようにあのころと変わらず存在していた。ベンチのそばに生える桜の大樹からひらりひらりとピンクの雪が降っている。向こうに見える池に遅めの朝日が差し込み、水面を輝かせ、目を奪わせる。

 ひとり静かにベンチに座り、ゆったりとした休日を送っていた。


 そんな時だった。

 ふと視線の先の舗装された道を歩くひとりの少女に目が留まる。白いワンピースを身に纏い、赤のリードを手にしている。そのリードの先には白いポメラニアンが陽気な足取りで少女の前を歩いていた。

 不意にその子がこちらを見た。


 ――ッ!


 今の今まで、池の方へ顔を向けていた彼女だったが、こちらを向いてお互い誰だか認識した。


「あなた……」


 犬を散歩させていた少女は、昨日、俺の首元に赤い跡を作った子だった。

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