第6話 猟奇的なカノジョとふたりきり

 一夜明けた金曜日。

 今日を乗り越えれば土日は休みだ。その事実が俺を何とか駆り立てる。

 昨夜はあのあと、俺の気づかぬ間に愛梨沙ちゃんが帰宅し、夕飯中もそのあとも美羽がしゃべってくれることはなかった。いったい美羽の部屋でどんな語らいが繰り広げられていたのか。考えるだけでゾッとする。




 登校してわざとうしろのドアから入る。ここから入れば前列にいる星乃さんと目が合わないからだ。

 そう思った矢先、


「よお、真尋っ。今日は遅いな」


 忍びのように入ってきたのに、大声で颯斗が俺を呼ぶ。その名を受けて、ちらりと後方を確認する星乃さんが目に入った。


 ――うわっ、めっちゃ見てるじゃん。怖っ。


 その上、なぜか真白さんの姿がない。休みなのだろうか?


「どうしたんだよ、キョロキョロしたりして」


 足早に颯斗の隣席に腰を下ろす。


「なんでもない。気にしないでくれ」

「それよりさ、昨日愛梨沙になにしたんだよ? おまえんちから帰ったあと、めっちゃ機嫌悪かったんだけど」

「いや、格ゲーやってただけだけど」

「ホントかよ。めっちゃ気ぃ遣ったんだからな。勘弁してくれよ」


 勘弁してほしいのはこっちなんだが。なぜにゲームをプレイしただけでキレられる? もっと妹を教育しておいてくれよ。

 ……いや、俺が言えた義理じゃないな。


 会話の途中でチャイムが鳴り、ホームルームをするために坂巻先生が入ってくる。入り口付近の席はいまだに空席のままだ。

 昨日の今日で、なぜ欠席なのだろうか?

 テニス部に向かったあと、星乃さんと何かあったのだろうか?


「えーっと、今日のホームルームは強いて言うことはナシだな。日直だけ伝えとく。今日は……星乃と結城だな。よろしく頼む」


 嘘だと言ってくれ。よりにもよって、昨日の今日で星乃さんと共同作業。しかも、真白さんが不在中に。非常に不安だ。無事に帰宅できるのだろうか。


「おい、よかったな。憧れの女子と日直だぞ」


 事情を知らぬ颯斗が追い打ちをかける。悟られぬように作り笑いを浮かべるほかなかった。




 放課後までの日直作業はまだマシだった。授業終わりの都度、黒板を消すくらいのものだから。

 だが、今は違う。この放課後にはクラスメイトたちが帰宅したあと、ふたりきりでの掃除とゴミ出し、さらには坂巻先生への日誌届けがある。

 そう、ここからは完全にふたりだ。


「んじゃな真尋。ごゆっくり~」


 応援の気持ちを込めてガッツポーズを向けてくるも、仕草を見せ返す余裕などなかった。本当は、作業が終わるまで残ってくれと颯斗を引き留めたかったが、そうすれば昨日の一件を晒すことになりかねない。

 声を掛けることはできなかった。


 みんなが出て行ったあと、夕日を浴びる教室でふたり、ここだけ異世界かと思われるほどの異様な空気感を身に浴びる。

 星乃さんはいまだに着席したままだ。

 初めてふたりと出くわしたのも、こんな夕暮れだったなと物思いにふけっていた。


 無言でロッカーを開けようとした時、ガタンと音がする。星乃さんが椅子から立ちあがったのだとわかる。

 そちらへ目を向けると、鋭い眼差しで俺を眺めていた。


「掃除しよっか?」


 そう声を掛けると、まっすぐに俺へと向かってくる。ゆっくりと、それでいて堂々と。

 どこで止まるのかと思うほどに歩んでくるもんだから、思わずたじろぎ、ロッカーに背中をぶつけてしまう。

 その様子を見て、彼女は右手をロッカーに突き立てる。つまりは俺に対して、壁ドンならぬロッカードンをしてきたのだ。

 あまりの近さにめまいを覚え、それと同時に女子特有――いや、星乃さんだからなのか、とてつもない華怜な甘い香りが鼻へと運ばれる。


「あのぉ、掃除を――」

「昨日のこと、ホントなの?」


 どんどん距離を縮めてくる。俺が顔を前に出せば、すぐに唇を奪えるくらいの距離だ。恐怖でそんなことできるわけがないが。


「ホントだ。俺は真白さんと付き合ってる――」


 語尾を聞く間もなく、左手もロッカーに突き立てる。彼女の両腕が俺を挟み撃ちにしている。


「なんで……なんでよ。真白も同じだと思ったのに」


 無表情を通してきた彼女の眉間に激しくしわが寄り、くしゃりとなる。こんな表情、初めて見た。


「ひとつ良いかな? なんでそんなに男子を嫌うの?」

「あなたに言うつもりはないわっ。わたしは男が憎い。ただそれだけ」


 その時、思い出した。

 入学してから憧れて目で追いかけてきた星乃さんは、確かに女子にはやや優しく、男子には超厳しかったことを。

 人づてに聞いた話じゃあ、告白された際、「消えて」と告げて男子を泣かせたらしい。


「けど、真白さんは星乃さんを振って俺を選んだ。その事実は変わらない」


 次の瞬間、赤のネクタイをブレザーから引き抜かれ、首を引っ張られる。


「もっかい言って?」


 今までで一番近い。言葉を発した彼女の吐息まで頬を撫でる。


「俺は……真白さんが好きだ」


 何かを諦めたのか、ネクタイを解放し、後ずさりをする。俺は痛む首元を押さえていた。


「ホントみたいね。ここまで脅して口を割らないなんて」


 いつもの冷静な顔に戻っていた。まっすぐ自席に向かい、鞄を手に提げ、前方のドアを目指している。


「え? 日直は?」


 目を細めてこちらを見るあたり、おそらくは「あとはおひとりで」ということなのだろう。

 何も言わずに彼女は教室を立ち去った。


 星乃さんがいなくなってもなお、恐怖でロッカーの前からしばらく動けなかった。




 日直をひとりでこなし、校舎を出たのは午後4時半。

 直帰したくない気持ちが自然と体を野上庵へと駆り立てた。


 閉店は午後5時のはずだからまだ間に合う。その思いは通じ、暖簾と灯りを目にする。

 上には木の板に筆字で野上庵と書かれ、紺の暖簾には野上と印字してある。見慣れた店に安心する。

 ガラガラと音を立てながら引き戸を開けると、カウンター奥に座る親友を見つける。


「真尋っ。どうしたんだ? こんな時間に」


 すぐ違和感を察した幼馴染は椅子から立ちあがり、言ってきた。


「ちょっとおまえの顔を見たくてな」

「なんだよ? 悩みごとか?」


 言ってしまいたいのは山々だが、真白さんを思うと言えない。


「いいや、なんでもない。おまえの顔見たらスッキリしたよ」

「なんだ、それ」

「今日のおすすめをもらおうか」


 陽気な口調でショーケースの中を覗くと、いつものノリでおすすめを決めてくれる。


「いちご大福と桜餅と牡丹餅、それと――おっぱい饅頭だな」

「は? なんじゃそりゃ?」


 ショーケースの右隅、見たことのない形の和菓子が並んでいた。白い上用饅頭の上にちょこんとこしあんが乗せられている。中央に乗っているあたり、おそらくは乳首なのだろう。


「これ八代目が考案したのか?」

「そう。昨日から発売開始で、おまえが最初の購入者」

「売れないもん考案すんなよっ」

「これから売れるんだって。頼んだぞ、インフルエンサー」

「いや、こんなもんSNSに載せられるわけねぇだろっ。しかも、俺、そんな影響力ねぇからっ」


 白熱する俺を見て、颯斗が吹きだす。


「やっといつもの真尋だな」


 わざと冗談を浴びせ、元気づけてくれていたらしい。流石は10年の付き合いだな。


「ありがとな、颯斗。んじゃ、その4種類、1個ずつもらってくわ」

「まいど。いま詰めっから待ってろ」


 丸に野の判が押された箱に4個並べ、それをレジ袋に入れてくれた。代金を払おうと財布を出すも、受け取ってくれなかった。

 心から感謝してレジ袋片手に店をあとにした。




 帰宅して靴を見て、美羽の存在を確認する。こんな時間だし、当然か。

 母さんの姿はなく、2階を目指した。


 いつもなら速攻で自室に入るのだが、美羽の大好物である桜餅をお裾分けに隣に足を向けた。


 コンコンと二度ほどノックをすると、ほんの少しの隙間だけを開け、目だけを覗かせてくる。


「なに?」

「桜餅食べるかなぁと思って」

「……」


 無言で俺を観察してくる。

 すると、俺の首元に目を留めて目を丸くした美羽が言ってきた。


「どうしたのっ、それ!?」


 ドアは大きく開き、美羽が俺の首を凝視する。


「なんでもない。これ、渡しとくから」


 すぐに首元に手を当てて隠し、片手に持つ和菓子の袋を美羽に手渡した。

 回れ左をして自室へと向かう。

 その時だった――


「ねぇ、入ったら?」


 驚く言葉を耳にし、美羽の方を見る。

 中学生になり、美羽から嫌われてから部屋に誘われるのは初めてだったからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る