密約

 数日後の夜。停泊した新羅の港の館にて、大和たちは現地の首長たちと会談をした。倭国と新羅は年々仲が悪くなってきている。正直不安は多かったが、意外にも彼らは快く馬や荷車を貸してくれることになった。

 広間を出て割り当てられた寝所に向かう際、共にいた妹子は用があると言ってその場を離れた。残された福利と顔を見合わせると、廊下を去ってゆく彼の背中を見つめる。

「また何か密談でもしてるんですかあの方は」

 福利が少し呆れたように言った。そういえば、大和が初めて妹子の本性を知った時も福利と二人きりで話をしていた。その福利が言うのならば、大和が気づかなかっただけでこれまでにも様々な人と密談を重ねていたに違いない。

 正直、妹子が何を考えているのか分からなかった。そもそもなぜ遣隋大使という仕事を引き受けたのかさえよく分からない。かつてその理由を聞いた時は「厩戸に恩を返すため」などとほざいていたが、それも本心ではあるまい。彼が人間ではない何か恐ろしいものに見えて、大和は暗い廊下で身震いをした。


 しかしそんな二人の会話など知らない妹子は、一度館の外へ出て向かい側にあった宿に入った。通された部屋に向かうとそこには商人らしき身なりをした男が数名いる。皆でテーブルを囲んでなにやら楽しそうに談笑していた。

「おお、これはこれは。ようこそいらっしゃいました」

 妹子が中へ入ると、その中でも年長の者がそう言ってニカニカと笑みを浮かべた。彼に促されるままテーブルにつけば、どこか異国の香りがするお茶を出される。それを少しの間見つめたあと妹子は軽くお辞儀をして「こちらこそ、突然呼び出して申し訳ございません」と言葉を返した。

「いやいや、一ヶ月もありゃあ余裕でこちらへ参ることが出来ますとも。我らは商人ですからな」

 年長の男は盃を持ってガハハと笑う。歳の割には豪胆な様子だった。

「して、今回はどのような御用で? 河勝殿からは貴方に従うようにと仰せつかっておりますが」

 秦河勝はたのかわかつ。その名を聞いて妹子は軽く眉を寄せた。それを聞くとどうも背中を虫が這うような心地がするのだ。妹子とは腐れ縁だからであろうか。

 河勝は倭国で一番と言っていいほどの豪商である。今の京都にあたる山背国やましろのくにを拠点に、九州や朝鮮半島にまでも商売を展開している。そのくせ飛鳥の皇族や豪族たちにも顔が知れており、飛鳥の経済にとってかけがえのない人物だった。数年前に施行された冠位十二階においては二位にあたる小徳の位まで与えられている。外交を進める厩戸うまやと蘇我そがにとっても、河勝が重要な柱となっていることは明確だった。

「ありがとうございます。少し協力してほしいことがありましてね。それで二ヶ月前、河勝殿当てに言伝を頼んだのです。彼が元気なようで嬉しいですよ」

 正直河勝が息災かどうかなど心底どうでもいいのだが、彼の手の内にある商人たちを前にしては笑顔を作るしかない。人好きのする綺麗な笑みを浮かべて妹子は肩を竦めた。

「この度、船ではなく陸路で百済に入ろうと思うのです」

「陸路で? しかし新羅と百済の国境は危ないですぞ。年々仲が悪くなるばかりで今や荒れに荒れております。特に新羅へ入ろうとする百済商人を狙った盗賊も多く、その逆もまた然りで······」

「ええ、存じ上げております。その件についての相談なのです」

 妹子の落ち着いた声に、商人たちは顔を見合せた。盗賊に関する相談とは一体何なのか。河勝もよく分からない男だが、目の前の男もまた似たようにくえない男だと思った。そもそも自分たちを新羅に呼ぶなどその時点で考えが見えない。

 この商人らは、対馬を通して九州と百済との間で商売を行う者ばかりであった。そのため新羅に来ることは滅多にない。百済と商売をしていることで新羅人に難癖をつけられても困るからだ。それなのにわざわざ新羅まで呼び寄せるとは。

「その頼みってのは、護衛のようなものでございますか? 生憎我々は百済と商売をしている身。新羅の盗賊からすれば百済の商人衆に見え、格好の餌食となりますぞ?」

 年長の商人はそう言って顔を顰めた。それに周りの若者たちがうんうんと頷く。河勝は「あの子は頭が良いから」などと言っていたが、思いの外大陸情勢には疎いようだ。警戒するまでも無かったかと考え、商人たちは足を伸ばし始める。

 しかし次の瞬間放たれた言葉に、彼らは愕然と身体を固めた。

「いえいえ、頼みたいのは護衛ではありません。その逆でございます」

「は、逆?」

「ええ、皆様には百済の人々を集め、我々の列を襲って欲しいのです」

 それは突飛的な発言だった。遣隋使節を襲えだと? それも百済の人間を呼び集めて。

「百済と親交の深い皆様であれば、十名ほどの人数は集められましょう。その方々に我々を襲うふりをして頂きたい」

「し、しかし遣隋使節を襲うなど······」

「我々の横に新羅の商人がいたらどうです? それなら我々を新羅の商人だと勘違いして襲って来たと言えば辻褄が合いましょう」

 その言葉にぐうの音も出なかった。彼が何をしたいのか全く分からない。何なのだ。彼は一体何のために······。

 河勝が言う以上にこの男は恐ろしいと思った。それと同時に、彼の才能を見出した河勝もまた恐ろしい人物なのだと思った。

 しかしながら、彼らの頼みを突っぱねるわけにはいかない。不安に肝を冷やしながら、商人たちは「承知致しました」と頭を下げる。月にさえ見られていない、暗い夜の密談であった。

 

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