天子


「で、我々が倭国についてどう思っているのか知りたいと言ったね。せっかくだ。いくつか質問をさせてもらいたい」

「なんなりと」

 妹子が軽く頭を垂れた。

「倭国には、この国と対等に渡り歩けるほどの力があるのかい? 」

「いえ。貴国のような技術も繁栄もありませぬ」

「ほう? しかしあの国書からして、対等に交流をしたいのでは?」

 蘇威が眉を寄せると、今までうつむいていた妹子が小さく肩を揺らした。そして「いえいえ、そんなまさか」と鈴のように笑う。

「今まで国交のなかった貴国に使者を派遣すること自体、反対意見も多かったのです。堂々と強気な姿勢を見せなければ、自国の権力者たちは遣隋使の派遣を認めませんでした。なのであれほどまでに強気な国書を······」

「そうか」

「ですから、我々が求めているのはあくまで朝貢的な関係でございます。貴国の地図の端くれにでも加えていただければ満足です」

 はてさてどうしたら良いものか。蘇威は静かに息を吐いて天井を見上げた。正直、国交については結んでおこうと思っている。それは他の側近たちもほぼほぼ同じ意見だ。楊広だけは不服そうにしているが、説得する手立てくらいこちらにもある。しかしどうも腑に落ちないのだ。この倭国の青年の冷淡な瞳が。そこにちゃんと情はあるが、それも含めてガラスの玉のように見える。蘇威には、この青年の心の内が上手く読めなかった。彼は一見謙遜している健気な青年に見える。しかしその瞳にチラチラと踊る愉快な光は、自国を心の底から嘲っているかのようにも見えた。しかし国の遣使たるもの自国を嫌っていることなどあり得るだろうか。

「朝貢とあらばこちらとしても国交を認めようと思う。そこは安心してほしい」

 そういうと、目の前の青年は淡く微笑んだ。安心したような笑み。しかしそれもどこか作り物のように見えて背筋が震えた。この青年といるとどうも疑心暗鬼になるようだ。次の質問で最後にしよう。蘇威は一つ咳払いをした。

「では、もうひとつだけいいだろうか」

 妹子が蘇威を一瞥する。蘇威はゆっくり目を閉じると重々しい声を床に落とした。

「倭国の天子とは誰かな」

 そこで一度時が止まった。静寂が二人の間に満ちる。蘇威は試したかったのだ。この男の愛国心とやらを。あの国書に綴られた「天子」の文字は、果たして誰を示すのだろうか。国の王か、はたまた他の誰かか。倭国のことなどほとんど知らない蘇威にとって、その「天子」の実像は非常に曖昧なものであった。恐らく国書の書き手である「多利思比孤たりしひこ」なのだろうが、それがまやかしであるならば、この大使がきっと真実を言ってくれる。彼は本当に掴みどころのない男だが、なぜかそこだけは確信が持てた。この質問にだけは正確に答えてくれる。それが人の心を読むことに長ける、蘇威の答えであった。

 静寂はしばらく続いた。蘇威が目を瞑って待っていても、妹子は一向に口を開く気配がない。やはり何か秘密があるのか。蘇威がそう思って息をつこうとした、その時であった。

「天子などおりませんよ」

 蘇威は反射的に目を開けた。氷のような光が身を貫く。蘇威の視線の先では、妹子が顔を上げてしかとこちらを見つめていた。

「天の子などおりませぬ」

 彼はそう繰り返した。そして、薄い唇を弓なりに曲げ、花のように柔らかく微笑んで見せた。

「人は皆、人の子でございましょう?」

 蘇威は何か冷たいものが背筋を伝う感覚がした。氷の中に咲く花とはきっとこのような美しさがあるのだろう。蘇威はそれを見たことがないが、凛とした姿がはっきりと目に浮かんだ。

 何も言えない蘇威を見て、妹子はちらりと外へ目を流す。その瞬間、蘇威の肩を縛っていた糸がぷつりと切れた。

「もう夕方になってしまいましたね。大変名残惜しいのですが、このあたりでお暇させていただきとうございます。他に聞きたいことなどありますでしょうか」

 蘇威はその言葉にゆっくりと首を横に振った。何故か、うまく声が出せなかった。

「分かりました。拙い返答ばかりで申し訳ございませんでした。では、最後に一つだけ質問をしても良いでしょうか」

 妹子の言葉に、蘇威は静かに頷いた。妹子の目にはあたたかな光が戻っている。狐に包まれたかのような空気に蘇威は苦しげに笑って見せた。ああ、この男の問いになら正直に答えてやってもいい。蘇威の瞳に西日が光る。それをゆっくり見つめたあと、妹子はあどけなく顔をほころばせて口を開いた。














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