密談


 目的の部屋の前で、恭しく礼をする。この動作にも慣れたものだ。木製の扉が開かれると、中にいた人物がチラリとこちらへ視線を流した。

蘇因高そいんこうと申します。此度はお目通りをお許しいただきありがとうございます」

 顔を上げずにそう言えば、屋敷の主は「よいよい」と笑う。彼は楊広の側近・蘇威そいだった。

「今日は正装じゃないんだね。理由は?」

「正式な儀式の場ではないのですから、目上の方の前で緋色の服を着る勇気などございませぬ」

 これはまた大胆なことを言ったものだ。その答えを聞いて、蘇威は愉快そうに「ははは」と笑った。

「やはり裴矩はいく殿や虞世基ぐせいき殿の言う通りだ。君に会って正解だったよ。倭国わこくにこんな逸材がいるとは」

 そんな蘇威の言葉に、蘇因高こと小野妹子は深々と頭を下げた。あの皇帝への謁見の翌日、妹子は蘇威の元を訪ねていた。丁度、大和やまとと洛陽が街歩きをしていた頃の話である。突然会いたいと言い出した妹子に驚きはしたものの、蘇威は快く彼を迎えた。

 ──倭国の大使を甘く見ない方が良いかもしれぬ。

 以前虞世基から伝え聞いた裴矩の言葉。それが頭に蘇った。実際に会ってみると、彼は確かに掴みどころのない人物だった。以前謁見の場で会った時は本当に健気な青年に見えたが、かと思えばふとした時に茨のような眼光も見せる。彼の表情が上手く読み取れず、まるで阿修羅のようだと思った。彼がいくつもの顔を持っているかのように錯覚して、蘇威はうーんと眉を寄せる。

「それで、何の用かな」

「皆様が倭国をどう見ているのか、私にはまだ分かりません。それを素直に聞いてみたいと思ったのです」

 そのためにわざわざ屋敷を訪ねてきたのか。その大胆さと傲慢さに蘇威は息を呑んだ。

「主上に謁見したいのか?」

「はい。しかし、二度と顔を見せるなと言われたようなものですから。天子様にお会いしたくても出来ません」

「だから私の元へ来たのか?」

「はい。恐れながら」

 読めない。全く読めない。

 蘇威の眉間はますます疑問に染まる。彼は本当に皇帝に会いたかったのだろうか。正直、今の皇帝に陰りが見えることは蘇威ら側近たちも理解している。心に秘めて表に出さないだけだ。彼もきっとそうなのだろう。この男は、はなから私に会うことが目当てだったのでは······。

「倭国については私もまだよく分からない」

 蘇威が妹子を見ながら言った。

「しかし興味はある。此度の国書の内容は問題があるが、文字の美しさには目をひかれた。倭国はこの数年で何をしたんだい?」

「貴国に追いつこうと、法や冠位を整えました。しかし、それらはまだ完璧に機能している訳ではありません。そのため我々は此度海を渡りました。天子様はどうやってこの国を上手く治めているのか。それを探るために」

「なるほど」

 蘇威は一度長く息を吐いた。そして、目を閉じながら妹子に問う。

「その答えは見つかったかい?」

「ええ」

 それを聞いて、蘇威はゆっくりと目を開けた。「それは良かった」とたった一言、花のように凛と佇む妹子に返してやった。そちらを見れば、彼は真っ直ぐにこちらを見ている。氷のように澄んだ瞳に、昼下がりの日光がキラリと反射していた。

 隋の治世の秘訣を知った。なのに、彼は天子の元へは行かずにここへ来た。それが一体何を表すのか。その意図が分からないほど、蘇威は落ちぶれていなかった。















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