疑問

 三日後、遣隋使船は再びいかりを上げた。ここからは半島伝いに海を進み、隋まで辿り着いたところで陸路に切り替える。後に北路と呼ばれる航路だ。大和は見送りに出ている港町の人々に手を振りながら、隣にいた福利に話しかけた。

「なぁ、今朝あの人達に何か言われてたみたいやけどなんて言われたん?」

「ああ、国を越える時の注意事項ですよ」

 福利は話しかけられて一瞬驚いたようだったが、すぐさま利発そうな瞳をこちらに向ける。

「何でも、各国の国境付近に盗賊が出るらしいのです。国を越えて活動する商人も多いですから、あの辺りは賊が増えるのですよ」

 「なるほど」と思った。倭国内のクニや地域の境でも同じような賊は多い。国と国とが陸で繋がっていれば尚更だろう。

「何も無ければいいですが······」

 不安げに呟いたのは妹子だった。心配そうな瞳で百済の大地を見つめている。大和は彼を励ましてやりたくなった。福利も同じことを考えたのだろう。何か妹子に言いかけたようだが、結局言葉を迷ったのか口を閉ざした。


 そうしている間にも船は進み、数日経った頃には新羅に入っていたらしい。海から見れば国境など全く分からないのだが、福利が新羅の言葉を復習し始めたので船の雰囲気は若干色を変える。

 新羅は百済と対立しており、百済と倭国は仲が良い。つまり新羅と倭国が対立し始めるのも時間の問題だった。実際に、半島内で戦があれば百済から倭国へ協力要請がくる有様だ。それもあってか、百済にいた頃よりも船内の雰囲気は鋭さを増した。しかし、新羅にも一度だけ停泊することとなっている。大使の妹子や通訳の福利の対人技術がより一層問われるのであった。

 しかしながら、福利が最低限の言葉を学んでいたことや妹子の人あたりの良さが幸いして、特に問題もなく船は新羅を後にした。あまり得体の知れない高句麗にも数度停泊したが、そこも何なく通過できた。案外港の市井は穏やかなものである。国の関係が政治だけでは無いことに初めて気がついた心地がした。

 高句麗を立って海に出ると、船内が安堵の空気に包まれる。船を漕ぐ水夫かこたちの掛け声だけが、威勢よく空にこだましていた。

 しかしただ一人、······妹子だけは不安そうな顔をしている。彼は大和の姿を見つけると、そっと耳に問いかけてきた。

「あの、大和さんって国書の内容知ってますか?」

「国書? 皇子みこ様が書いたやつ?」

「ええ」

「何や。確認しなかったんか?」

「確認しようにも、私に渡された時には箱に入って封がしてありましたから」

 大和は眉を寄せた。大使に確認もさせず封をするとは、あの厩戸らしくない。実際、彼は大和に国書を見せてくれたのだ。厩戸ならば大使の妹子にくらい確認させると思っていた。

 しかし内容を思い出して考え直す。正直、あれを妹子に見せたらそれこそ不安で押し潰されるだろうと思った。厩戸はそれを分かっていたのだろうか。

「あの、大和さん?」

 突然黙り込んだ大和に妹子が首をひねる。「何でもないで」と微笑むと、大和は首を横に振った。

「ちょっと驚いただけや。お前は内容知ってると思ってたから。それに、残念やけど俺も国書の中身は知らんなぁ」

「そうですか」

 妹子はがっかりしたように肩を落とすと、「引き止めてすみません」と微笑んで踵を返す。その背中がどこか小さく見えて、大和は少々心が傷んだ。

「大和さんはいつ妹子さんと知り合ったんですか?」

 突然背後から聞こえた声に大和は驚いて振り返った。見れば、福利がぽつりと立っている。

「えっと、一年前くらいやで。この遣隋使の件で知り合って······」

「なるほど、納得しました」

 「何が?」と言いたくなった。勝手に納得されても困る。しかし、福利はそれ以上何かを言うつもりはないらしく、遠くで従者と話をしている妹子に目を向けた。大和は眉を寄せながら福利を見上げたのだが、ふと彼の瞳に奇妙な光を見た。彼が妹子を見つめる視線には、どこか呆れたような色が宿っていたのだ。その訳など分かるはずもないが、少し引っかかって妹子へ目を向ける。しかし、柔らかな笑みでやりとりする彼の顔からは何も不思議な点は見つからなかった。

 

 それからしばらくは海上の旅が続いた。高句麗を出てからの道のりは、幸いなことに嵐もなく穏やかだった。

 しかし安堵していたのもつかの間、遂に新たな陸地が見えてくる。それこそが目標地にして世界の中心。当時、アジアで最大の国力を誇っていた超大国・ずいであった

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