いとおしい、愛おしい

翠宝玉

過去編

第壱話

軍事、工業、農業、商業、そして芸術と国ごとに色濃い特色を持っている5つの国で形成されている大陸があった。海を挟んで隣接している5つの国を上空から見ると花弁のように見えることから、この大陸はフローラと呼ばれている。

5つの国がそれぞれ特色を持っていることから交易をすることで互いに益を得ることはできたが、益よりも利権を得ることを優先したい国もあったため、国境付近での小競り合いなどは珍しくもなかった。

その中で戦争に明け暮れている国が、軍需産業で益を得ていた、ルプトゥーラだった。ルプトゥーラは内政、外交何もかもの決定権がすべて国王に集中する専制君主制を掲げている国だが、現在の王は特に戦事への関心が、強く幾度となく他国に戦争を仕掛けていた。

そんな中での民の暮らしはきついものかと思いきや、実はそうでもなかった。ルプトゥーラは村々から税を納めさせる貢納王政を取っているが、税として納めるものは村によって異なっている。この国では古くから行われてきた物資の再分配により、地域ごとに分配される物資が異なっていたことから村ごとに発展した技術や産業があった。一例としては新鮮な食糧から金銀財宝、戦争に必要な武具などだ。その技術や特産ごとに税を決めていたため、同じ特産品を作る村が多ければ多いほど一つの村が負担する税は少なくなるが、その代わりに得られる恩恵は少ない。

貢納義務を監視する役人とそれらを管理する官僚は地域毎に存在していたが、連係不足など体制が不十分だったため、義務を果たせなくとも煙に巻くことができ、締め付けができていなかった。こうしたことからほとんどの村で貯蓄を行えたため、普段の生活には全く困っていなかった。

その中でも特に財を成していたのが金細工の盛んな村だった。権力の証として金細工を好んでいた王は金細工師達には褒美として一定の報酬を与えていた。絶対の権力を持つ国王が唯一目を掛けているということで金細工が盛んな村は特に著しい発展を遂げていたが、他の村からやっかみという名の嫌がらせや略奪を受けることも少なくはなかった。財が欲しいのではなく、王の寵愛を受けていることに対する嫉妬が原因だった。外的な要因から村を守るために金細工が盛んな村は金を保管している倉庫を厳重にしたり普段から余所者を拒んだり自警団を作ったりなど村自体が閉鎖的になっていった。余所者には排他的だが、村人同士の仲は良好なため、村の空気は平和そのものだった。そう、“平和”なのだ。


―フォルス村―

王都よりも少し離れた地域に存在しており、産業は金細工が盛ん。今日は月に一度の王への献上品を村長に提出するため、金細工師達は一番自信のある作品を持って村の長の元に向かう。

フォルス村では長が認めなければどんなに出来がよくても献上品に出せないから。献上品になりえなければ金細工師として落ちこぼれの烙印を押され、何より後に国王からもらえる報酬の山分けに参加できない。金細工師は技術の流用を防ぐために近隣の村に行商に行ってお金を稼ぐことが禁止されているから、長に献上品が認められなければ金細工師としてお金を稼ぐことはできない。金細工師を名乗りながらも生計を立てられない金細工師は出来損ないと認定されてしまう。そしてこの村に出来損ないの烙印を押されている金細工師は一人だけ、存在している。

小さな箱を抱え、俯きがちに長の家から少女が出てきた。順番待ちをしていた金細工師達は少女の箱が抱えられたままなのを見て一様に顔を顰めた。


「あーあ、今回も駄目だったみたいね」


「当然だわ。いい加減に諦めればいいのに」


聴こえるように大きな声で悪口を言われ、少女は小さな体を震わせた。彼女の動きに合わせて紺色の髪が揺れるが、俯いているため表情は見えない。少女は誰にも言葉を返そうとせず、足早に立ち去ろうとしたが進路を塞ぐように複数の男達が立ちはだかったためそれは敵わなかった。


「…退いて、ください」


「やなこった。お前の言葉なんか聞く価値もねぇ。なあ?」


「そのとおりだ。俺達に意見したきゃあ、同じ場所に上がってこい。金細工師――ああ、間違えた、間違えた。落ちこぼれの――ルーチェ・フォルトゥナさんよお」


ルーチェの小さな否定の声を一蹴し、男達は代わる代わるルーチェを貶めて最後には大きな声で嘲り、嗤った。悪意を一身に浴びせられるルーチェを庇おうとする者は今のこの村には誰もいない。浴びせられる罵倒の声が過ぎ去るのをじっと耐えるルーチェの様子が気に入らなかったひとり――名はトレートル――が彼女の持つ箱に視線を落とし、唇の片端を上げた。


「金細工として認められねぇ不用品は処分した方がいいんじゃねぇか?」


信じられない一言にルーチェは目を見開き、勢いよく顔を上げた。紺碧の瞳が大きく見開かれている様子にトレートルは楽しそうに顔を歪めた。だがそれとは対照的に端で同じようにルーチェを貶めていた男達はルーチェと同じように大きく目を見開いていた。

不出来なものを作った証として作品を残す者もいれば後世に遺したくないと壊してしまう者もいる。しかしそれはあくまで製作者自身が決め、行うこと。置かれている立場はどうであれ、心血を注いで作ったものを否定はしてもそこに手を加えるなどあってはならない。


「お、おい、それは流石にやめた方が…」


「そ、そうだって!物に罪はねぇし」


「はっ、腰抜けどもめ。なら、そこで見てろ。こういう言っても駄目な奴には直接わからせるしかねぇってことを教えてやる」


仲間達の制止の声を意にも介さず、トレートルはルーチェへと足を進める。トレートルはルーチェが大嫌いで、以前も彼女に絡んだのだがその時は彼女の恋人が傍にいたせいで存分にいびれなかった。おまけにその後にフォルス村の長にあまりルーチェに構うなと釘まで刺され、恥をかいた。認めてもらえない落ちこぼれのくせに恋人を楯にして長でさえ干渉できないようにし、叶いもしない夢――金細工師として認められる――を見続ける。溜まりに溜まった鬱憤がトレートルを突き動かしていた。

トレートルが本気であることを感じ取ったルーチェは守るように箱を両手で抱えながら駄目元で周囲を見回すも皆一様に口を噤みながら見ているだけで誰もルーチェを助けようとしない。制止していた男達も伸ばしていた手を引っ込めて静観の構えを取っている。わかってはいたが、今この場にルーチェの味方はいない。

ルーチェは足の速さには自信があるが、持久力がないため村の中で追いかけっこをしてもすぐに捕まってしまう。必死に思考を巡らせている間にもトレートルは距離を詰めている。焦るばかりで考えがまとまらず、自分の身を楯にしてでも箱を守ろうとルーチェが身を丸めた、その時だった。


「それ以上そいつに、近づくんじゃねぇ!!」


「ぐぎゃっ!」


怒号と共にルーチェの側を一陣の風が駆け抜け、目の前にいたトレートルが悲鳴を上げながら後ろに吹っ飛ぶ。背中から地面にぶつかり落ち、ボールのように数回体を弾ませ仰向けに倒れ込んだ。うめき声を上げながら体を起こせないトレートルに慌てて男達が駆け寄り、静観していた金細工師達からは悲鳴や動揺の声がそこかしこから上がる。

視界を埋め尽くした広く、頼もしい背中にあっという間の出来事に瞬かせていたルーチェの瞳がゆるりと細まり、それに倣うように全身からも一気に力が抜けていく。危うく膝から崩れ落ちそうになったのをなんとか堪えながら、ルーチェは震える口を動かした。


「ベイル…」


「悪い、遅くなった。怪我はねぇか?」


「だいじょうぶ」


ベイル・グレズリー。ルーチェの恋人で職業は傭兵。

名前を呼ばれたベイルは応えるように僅かに顔を後ろに向け、ルーチェの全身にサッと目を走らせて見える限りではどこにも怪我をしていないことは確認した。しかし彼女の表情に隠し切れない怯えや恐怖が混じっていることに気づけば安堵の息を吐いてよかったとは思えないわけで。間に合わなかった己の失態に辟易しつつ、ルーチェに寄越していた視線を前に戻した。周りの男達に支えられて体を起こしたトレートルと目が合い、彼の目が怒りで吊り上がっていくのに対し、ベイルの瞳は睨むように細くなって冷たい光を宿す。


「お前この、ベイル!何しやがる!?」


「前に警告したんだ。相応の覚悟があって手ぇ出してんだから、応えてやらねぇとって思ってなあ」


「だからって蹴り飛ばす奴がいるか!俺はお前の後ろにいる落ちこぼれとは違って立派な金細工師」


「笑わせてくれる。何が立派だ。片手間で仕事してるくせに」


「片手間だと?!俺達がどれだけこの仕事に命懸けてると思ってやがる!馬鹿にすんのも大概にしやがれ!」


「舐めてんのはてめぇらの方だろうが、この野郎。知ってんだぜ?てめぇらが長達を通さずに富豪と結託して高い金で自分達の作品を売りさばいて、それで得た金で豪遊してることをな」


「!!なんで、それを」


トレートルと彼の周囲にいる金細工師達の表情が一瞬で変わった。


「目先の欲に眩んで手を広げすぎるから、尻尾掴まれる羽目になるんだよ。てめぇらの悪事の証拠は警備隊にしっかり届けてやったからな。有難く思え」


警備隊。貢納義務を監視する地域の役人が抱える部隊。体制に不備があるため主な目的である治安維持も果たせていないが、裏を返せばその不備さえ正せば機能するということ。そしてベイルは不備の一つが内部の告発不足及び隠ぺいによる証拠の提示だということをわかっているため、秘密裏に証拠集めに動き、内部告発を敢行したのだ。


「ベイル、貴様ぁ!!」


「ルーチェに手ぇ出してのうのうと暮らせると思っていた、てめぇの頭の弱さを呪え」


傍観していた村人達が体をびくつかせたり悲鳴を上げたりしてしまうほど温度のない、低い声と冷たい視線をベイルはトレートルに向けていた。焦りと恐怖で顔を青くさせたトレートルの周囲にいた男とは違い、当の本人は怒りで顔を真っ赤に染めながら勢いよく立ち上がって臨戦態勢を取った。衝動的なトレートルの行動に片眉を上げながらルーチェに向かって小声で「下がってろ」と言い、ベイルも構えを取った。


「そこまでじゃ」


「長!?」


正に一触即発。次の一瞬に何が起きるかわからない状況を収めたのはこの場とは正反対の静かな声だった。声を発した人物にその場にいた村人達の視線が向く。周囲の視線を意に介さず、丸まった背を揺らしながらゆっくりとした足取りで老翁――フォルス村の長はベイル達に近づく。


「トレートル。先のベイルの話は事実か?」


「お、長。違うんです。確かに黙って事は進めちまったが、利益はちゃんと村に還元するつもりで、その、先行投資ってやつで」


「言い訳はよい。トレートル。お主の財産は没収し、身柄は警備隊の方に引き渡す」


「ま、待ってくれ!長!後生だ!もう一度、もう一度だけチャンスをくれ!!頼む!!」


「チャンスならもうやった。それをふいにしたのはお主だ。今のお主にできることは大人しく時を待つだけだ」


「そ、そんな…」


「お主らも同罪だ。覚悟しておくように」


顔を青くし、冷や汗を流しながらも必死の形相で言い募ったトレートルの訴えを長は顔色一つ変えずに切り捨てた。フォルス村で絶対的な権限を持っている長からの無情な通達にトレートルは両膝から崩れ落ちて項垂れ、同じように切り捨てられた金細工師達はトレートル以上に血の気の引いた表情で呆然と立ち尽くす。長は小さく息を吐いて今度はベイルに視線を移した。


「やってくれたのぅ、ベイル」


「恩を仇で返したのはそいつだ。責められることはしちゃいねぇ」


「一度のチャンスもお主は与えぬのか」


「普段からルーチェをいびっているくせに、偉そうなこと言うんじゃねぇ。手ぇ出さなけりゃ何してもいいって思ってるお前らにチャンスなんかあるわけねぇだろうが」


「自警団に所属せず、村の掟にも従わない。我らを守ることも干渉も拒むくせに行動だけは監視する…矛盾していると思わぬか?」


村の警備や金細工師の護衛を担う自警団は先祖代々から自警団の一員だった家やその親戚達の中から募られ、長に認められて活動している。今は亡きベイルの父親のルークは元自警団のリーダーだったためベイルも本来なら後を継いで自警団の一員になるはずだったのだがベイルは頷かず、長からの要請を何かと理由をつけて幾度も断っていた。そして長の許しも得ずに勝手に村の外で依頼を承り、報酬の分しっかりと働く――世間では傭兵と呼ばれる職業に勝手に就いていた。これには村中が反発し、長もすぐさま止めさせようとしたが――できなかった。ベイルを贔屓にしている顧客の中に貢納義務を管理する役人がいるからだ。

どういう繋がりがあったかはわからないが、持ち前の武芸の高さで完璧に依頼をこなしたベイルの仕事ぶりを役人が気に入ったようで、役人がベイルに幾度も依頼を頼むようになった。そのおかげでベイルのいるフォルス村自体に目を掛けられるようになり、同じ地域の金細工を扱う村々の中でも特別に目を掛けられるようになった。これによってフォルス村の地位は上がり、以前にも増して裕福になった。自分達が特別であるという意識を殊更強く持っていたフォルス村の人々にとってこの状況は利しかなく、その恩恵をもたらしたベイルを処罰することはできなかった。

だがベイルは恩恵を与えながらも村人達に完全な安寧は与えない。フォルス村の村人達の行動に隅から隅まで目を光らせ、バレないように裏でコソコソと自分の利益のためだけに動く金細工師達がいればすぐに察知して潰していた。そしてルーチェを直接的に脅かす連中がいれば、徹底的に追い詰めてくる。

だから節度ある行動と掟に反した行為は今まで以上に厳しく罰せられるようにして、ルーチェへ干渉する際はやり過ぎないようにと言い聞かせていたはずなのに。


数日の内にやってくるだろう警備隊のことを思うだけで気持ちが落ち着かない。だからつい、恨み言に近い苦言を長は零した。だがベイルはそんなこと知るかと言わんばかりに鼻を鳴らす。


「思わねぇ。俺が守りたいのはルーチェ唯一人だけ。こいつがいればお前達なんかどうだっていい」


唸るように低く鋭い声で突き放したベイルは長の言葉を待つこともなく、そのままルーチェの手を取って踵を返した。


「本当にお主は手に負えんのぅ。獰猛で卑しく浅ましい――飢えた獣のように」


呟きは宙に溶けるように小さかったが、とてつもなく冷たい。去っていく2人の背中を見つめる瞳の奥に閉じ込めている長の激情が本人も知らぬうちにゆらりと揺れた。

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