星食みの蟹

鮎河蛍石

星食みの蟹

 ここは天の川、夜の蒼い闇が静かに揺蕩たゆたい、星々が歌う場所。

 天の川の下流にある上水道施設に老人と青年が住んでいた。

 老人の顔には深く深く刻まれた皺がたくさんある。今まで彼が潜り抜けてきた修羅場の数々をうかがわせる。しかし彼の表情には一つも角が無く、柔和な心根がにじみ出ている。

 一方、青年の顔には皺など1本もない。彼の瑞々みずみずしい肌艶はだつやに曇りなきまなこが今後、色々を学び、色々を感じ成長する未来を予感をさせる。


「上手くなったの、海里かいり

 彼が1分で20個も剥いた焼き栗の山がテーブルに載っていた。

「あんたが仕込めば誰だってこうなるさ」

「そいつは謙遜じゃよ」

 彼は休み時間に老人が炒った焼栗の殻剥きで暇をつぶす。始業のチャイムが鳴る前に紙袋に詰まった栗すべての殻を彼は剥ききった。一仕事終えた気分で海里は、テーブルに築かれた高い高い栗の山から視線を外すと、妙なことに気が付いた。


 静寂、星たちの歌が聞こえない。


 おまけに水質をモニターする水槽の金魚が2匹、腹を向けて浮いているではないか。

「やべぇ」

「つれぇよ」

 金魚たちは力なく呟く。

 水槽に引き込まれた上水が、夜の闇で真っ黒に染まっている。

 天の川の水は星の歌が無ければ、色を失い活気を吸いつくす、空虚の闇に転じてしまうのだ。

「これはえらいことじゃぞ」

 水槽を見る老人の表情は硬く、事の深刻さを物語るには十分だった。

 「面倒ごとだクソッ!」

 海里は短く切られた髪をぐしゃぐしゃと搔きむしり、奥歯をギリリと噛む。彼はトラブルがほとんどが起きず、暇なこの仕事が好きだったからだ。


 二人はガレージへ駆けた。

 海里はネジ巻き式バイクのゼンマイをシャカリキに巻く。

「まきおわりました」

 バイクが満ネジの合図を出すやいなや、老人はサイドカーに飛び乗り、海里はキックスタータを勢いよく踏み込む。

 カタカタカタカタ。

 原動機エンジンが始動する。

 二人を乗せたバイクがガレージから飛び出す。その速度は銀河交通法の定める法定速度を超えないギリギリ上限を維持し、河原をスペースデブリの土煙を上げながら上流へ向かった。


 水は宇宙に住まう人々の生活の基盤である。天の川に流れる星の歌が磨いた水のみが宇宙を潤す。そんな水の管理を二人は担っている。


「一体全体、この有様は何だろうな爺さん」

 天の川に、星が一つも見当たらない。川に流るるは宇宙の暗黒と静寂のみ。

「川の様子を見るに星食ほしはみに違いない」

「何処のバカだよ星を食っちまう不貞ふていヤロウはよ?」

「それを今から確かめに行く、海里やノースシティに行ってはくれんか」

「あいよ」

 海里は進路をノースシティに向けた。

 テールランプの尾が流星の如く流れる。


 ノースシティは宇宙最大の都市。ネオンが闇を照らしつ続ける桃源郷ユートピア

 二人を乗せたバイクが凹凸おうとつ無くキッチリ舗装されたメインストリートを走る。

 老人が目指す目的地に近いコインパーキングへ、バイクを駐車しメーターに銀のコインを海里が入れる。

 老人は薄暗い路地に向かって歩き出す。

 海里は老人の三歩後をついていく。

 路地を進むと止まり木に大きな茶色いフクロウが腰を下ろし、頭をぎょろりぎょろりと回していた。

「やあ物知りハカセ」

「やあ」

 老人が挨拶にハカセがこたえる。

「天の川のことなんじゃが、何か知らんかね」

「そうさね、蟹が失恋したと聞く、相手はウミヘビ。ウミヘビは大男が投げた山ほど大きな岩に潰され死んでしまった。蟹は今、西に向かって進んでいる」

 蟹が失恋のショックから、星をやけ食いしているのだとハカセは語る。

 物知りハカセは宇宙一の事情通フクロウ、彼はなんでも知っている。

「全く迷惑な話だな」

「お主には分らんか? 恋を理不尽に喪う苦しみが」

「知ったこっちゃねえ、憂さ晴らしなら手前てめえひとりで酒食らって寝やがれっての」

 やれやれと老人とフクロウは肩をすくめた。

 

 ノースシティから出ると老人はサイドカーで掌サイズのモノリスを弄り、電報を打つ。

『カニ ウチトル ブキ シキュウ テハイ』

「海里や次は丙牌へいぱい金物屋に寄ってくれんか」


 街の外れの林の入り口に丙牌金物屋はある。この金物屋で手に入らない得物えものは無いともっぱらの評判だ。

「やあ大将、急にすまんな」

「電報読んだぞ、今弟子がブツを仕込んでいるよ」

 深い藍色の暖簾を潜ると巨大な岩のような大男が二人を出迎えた。

 彼が丙牌金物屋の主人、十二代目丙牌その人だ。

「まだしばらく時間が掛かる。上がってくれ」

 主人の案内で居間に通され待つこと36分後、丙牌が出来上がった品を持ってやってきた。

 炬燵の上に置かれたのは鈍く輝く1本の蟹スプーン。

「何だよコレ」

「これは彗星の尾を鍛え作った蟹スプーンじゃな」

「びっくりするのも無理はねえわな、しかしよ俺が仕上げたんだ、宇宙で一番の出来だ」

 海里が蟹スプーンを手に取る。羽より軽いそれは異様に手になじむ。

「なあ大将、試しに何か剥かせてくれよ」

「ほれ」

 丙牌が炬燵の上にズワイガニを投げてよこす。海里はズワイガニの甲羅を蟹スプーンで空けた。

「!?」

 手ごたえを感じさせず、すんなり開いた蓋に驚愕を隠せない海里。

「爺さんコレはいける」

 海里はジャケットの内ポケットに蟹スプーンを納める。


 丙牌金物屋を後にした二人は、アウトバーンを光に迫る速度で西に向かった。物知りハカセが告げた災いの元凶を追って。

 そして銀河の果てに辿り着いた。

「見えてきたな」

「こいつは手強いぞ海里」

 二人が見たのは蟹の川幅一杯に広がった巨大な背。蟹は慟哭を宇宙の空虚に響かせながら歩みを進め、両足の挟みを器用に使って星々を次々に丸呑みしていく。

「ああああああああああああああ!!!!!!!!!」

「お慈悲!!!!!!!!!!」

「んんんんんん!!!!!無念!!!!!!!」

「絶望!!!!!!!!!」

 阿鼻叫喚の地獄絵図とは正にこのこと、蟹に蹂躙される星たちの断末魔が天の川を一層濁らせる。

「見てられんわい」

「全くだ」

 海里はスロットルを全開にするとバイクは光速を超え蟹を追い越した。

 ハンドルを切って横滑りさせ、バイクを強引に停車させる。


「おいてめえ!何してくれてんだこのヤロウ!」

 蟹に向けて天が裂けんばかりの怒号を海里は飛ばす。

 蟹はものともせず、星を食らいながら天の川を上ってくる。

 ついに蟹は最後の星を食らってしまった。



 宇宙は暗黒に包まれた。



 その時、一条の光が射す。海里が取り出した銀の蟹スプーンが、光を喪った天に輝きを放つ。それは宇宙の危機を覆す希望の光に他ならない。

 地を蹴り一気に蟹との間合いを詰め、一足一刀の間合いに入ると、巨大な蟹の挟みが海里目掛けて振り下ろされる。しかし挟みは空を切った。紙一重で挟みをかわした海里は、目にも留まらぬスピードで蟹の脚を全て解体せしめた。甲羅だけになった蟹は泡を吹きながら水面に落下する。

「おい!お前!トレパネーションって知ってるか?」

 海里は蟹の甲羅にスプーンの梃子てこを差し込むと、一気に蓋をひっぺがす。すると閉じ込められた星々が我先にと飛び出した。

 元あった場所に星が帰って行く。

 そして蟹の脳から失恋の痛みを掬い取る。

 荒ぶる蟹は全ての動きを止め、目玉から涙がポタリと落ち、凪いだ水面に波紋を生じさせた。


「やりすぎたか? 頭空っぽになっちまったみてえだ」

「もう長くは持たんぞこれは」

 宇宙の均衡と蟹の命。

 それらを天秤にかければ致し方ない結果だった。

 星々が唄う歓喜の旋律と裏腹に、後味の悪いことこの上なかった。


 後日、老人は海里の功績の見返りに、天球省の大臣にウミヘビと蟹を星座にするよう掛け合った。

 そうして、うみへび座とかに座が生まれたのだ。

二つの星座はいつまでも夜空で寄り添う。

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星食みの蟹 鮎河蛍石 @aomisora

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