崩折れる探偵

「ゼアッ!」


 自然体――ある意味で言えば、戦闘態勢でもない奇妙な構え――で佇む黒き装甲戦士に対して、俺は躊躇なく先手を奪いに行った。味方かもしれない? ああ、たしかにその可能性はある。だが、登場の仕方が悪い。割り切る他に、選択肢はないのだ。


「ハッ! ハッ! ハアッ!」


 上、下、右、左。手足を駆使して、高低差をも利用して。俺は対応し難い連撃を繰り出していく。そうしなければ、この黒には勝てない。そんな確信が、なぜか俺にはあった。事実。


「……」


 黒の装甲戦士は一歩も動かず、無言のままに俺の攻勢をさばき切る。ならばと身体を狙う一撃を試みれば、それさえも上半身のみでかわされる。なんたるボディバランス。

 仮に生身が相手だったとしても、俺は影さえ踏めないのではないか。そんな嫌な想像が、俺の脳裏によぎっていく。


「があっ!」


 無論、俺はそんな予感を振り払う。『敵』を目掛けて、突貫して行く。高い声がなにかを言っているが、俺には意味が読み取れない。頭に血が上っていく感覚はわかっている。だが、止める術がなかった。


「ぜりゃあっ!」


 振るうに任せた、大振りの連撃。しかしそれさえも、黒き戦士は柳のようにかわしてしまう。焦れば焦るほど、俺の攻撃は大振りになる。かわされてしまう。悪循環、バッドサイクル。そして愚の骨頂だ。


「ちいいっ!」


 そして遂に、限界はやって来る。呼吸を維持できなくなった俺は、とうとう戦闘態勢を保ったままに跳び下がった。間合いはおおよそ十メートル。だが相手の装甲、その機能によっては一瞬で詰まる距離だ。俺には、いくつかの選択肢が残されていた。


「ジョン、このまま一旦引こう!」


 一つ目。高い声が言うように、このまま一度態勢を立て直すこと。リスクはなくもないが、今では一番現実的な選択肢だろう。追われる可能性があるなら、人通りの方へ逃げれば良い。人気を絶ったとは、おそらくはそういうことなのだ。


「シット! 無防備に退けるか? 無理だ!」


 だが、俺はソイツをコンマ一秒で切り捨てる。つまるところ、選択肢の二つ目は戦闘の継続だ。しかしコイツは、ギャンブルが過ぎる。現時点で、俺はこの黒き戦士に歯が立たない状況だ。だから俺は、一旦構えを解いた。


「……」


「……」


 突然に生まれる、無言の間。黒の装甲戦士は未だ、構えさえも取っていない。俺への実力の誇示なのか。それとも、ここまで振り回されるだけの性能差があるのか。あるいは。


「なあ、ちょいと話し合わねえか」


「ジョン!?」


 無言の間を蹴破るように、俺は会話を切り出した。そう。これこそが第三にして誰もが予想だにしない選択肢。『対話を試みる』。サワラビがすっとんきょうな声を上げるのも致し方ない。


「アンタが何者だかは知らねえが、俺はしがない探偵だ。そうそう狙う価値はねえ。そうだろう?」


「……」


 俺のジャブに対し、黒はノーリアクションで応じる。あいも変わらず。戦闘態勢に入る様子もない。つくづく腹の立つ奴だ。しかし、俺は推理を開陳し続けた。


「だが、アンタは俺に用があった。それも正体を隠して、人気を絶つ必要があった」


「…………」


 返ってくるのは、なおも沈黙。だが、俺にはわかる。わずかにだが、空気が変わった。なにがしかの正解を、俺が射抜いた。俺は確信を抱き、さらに踏み込む。後ろでサワラビの喚き声がしたが、今の俺にはノイズだった。


「当て推量だが、アンタの正体を言ってやろうか。オメエは製薬かい……」


「……」


 それは、ほんの一瞬の出来事だった。音もなく、黒の装甲戦士が眼前にいた。瞬時に間合いが詰まることは想定していたが、それでも対応は間に合わなかった。俺は無防備に、胴体を晒したまま――


「っ!」


 みぞおち、あるいは土手っ腹。ともかく上腹部に、重い衝撃を受ける。ああ、モノの話で聞いたことがある。武術、あるいはケンカの世界には。わずかな距離から、振りも小さく重いパンチをぶち込む技があると。そんな記憶を振り返りつつ、俺の意識は遠のいていく。身体が、崩折れていく。だが、耳に入った囁きだけは気に止まった。


「これ以上踏み込むな、ジョーンズ・デラホーヤ。お前はこっちに来ちゃいけない」


 ***


 次に俺が目覚めたのは、どこか仄暗い場所だった。


「う、うぐ……」


「おお、目を覚ましたか。ジョンの旦那」


「こ、ここは……」


 俺は周囲と声の主、そして自身の状況を確認する。まず目に飛び込んで来た浮浪者然とした男には、かつて出会った記憶があった。いつかの事件の、情報源だったか。


「おう。爺さん、生きてたか」


「それはこっちのセリフでぇ。けったいな白衣の女が、有無を言わさずにアンタを担ぎ込んで来やがったんだ。旦那じゃなければ、野晒しにしてたな」


「縁は繋いどくもんだな。おかげで命拾いした」


 あんがとよ。どういたしまして。憎まれ口を含んだやり取りを交わした俺は、改めて周囲と自身の状況を確認する。

 俺は路肩――一応はガードの下だ――に、ダンボールを敷物にして寝かされていた。記憶からすると、六番と七番の境目辺りだろうか。遠巻きに見てくる連中の風体も、情報源の浮浪者に似たようなものだった。どうやら俺は、彼らの居住区コロニーに放り込まれたらしい。


「で、そのけったいな女はどこに行った?」


「なんでぇ。ありゃホントに旦那の連れ合いなのか」


「誰がパートナーだと言った。……ツレだ、ツレ」


 アイツ、一体なにを吹き込みやがった? いや、コイツが勝手に判断しただけか。ともかく、俺はサワラビの状況を聞き出していく。どうやら、一旦事務所に向かったようだ。


「まあ、なんだ。本当にありがとよ。そのうち……いや、近いうちに礼はする」


「だったら、カネより酒をくれ」


「考えとく」


 爺さんからの要求を、俺は話半分に聞き流す。個人の意見としちゃあ、カネを稼いで良い所に住むべきだと思うのだが、どうにも彼らの考えは違うらしい。ともあれ、礼の品は慎重に選ぶことにしよう。


「いやあ、案外丁重に扱われているようで安心したよ。ああ、浮浪者くん。これはお礼だ。とっておきたまえ」


 そうこうしているうちに、サワラビの声がガード下に響く。その後ろには、目を伏せて合わせようともしないそばかす面の娘。手にしているのは、おそらく救急箱だろう。


「うおっ。食料がたらふくじゃないか。良いのか、嬢ちゃん」


「なに、構わんよ。ジョンの食料だからね。礼はジョンに言いたまえ」


「おい」


「ジョーンズさんは服を脱いでください。傷を見ます」


 サワラビのフリーダム行動に待ったをかけようとしたところへ、事務的な口調のサーニャ嬢が割って入った。俺はやむを得ず服を脱ぐ。すると腹部に、盛大な拳の痕跡が残されていた。


「……問題は、内臓のようですね」


「ああ……。おそらく、問題なしな気もするが」


 嬢の声は事務的ながらも、驚きを隠せていなかった。しかし俺は、努めて平坦に応じる。三日前の失態を、今更ほじくり返す気もなかった。ましてや、現状はそれよりも重い。


「ふむ……そうするとあの黒装甲には」


「敵意というより、忠告だったんだろうよ」


 サワラビの言を、俺は強引に引き取る。装甲に覆われていた、最後の言葉。だが俺の耳はごまかされない。最近改めて聞かされていたのならば、なおさらだ。しかし――


「推理は後ほどだ。今はとにかく撤収する」


 それを発するには、安全地帯を選ぶ必要があった。

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