第5話 今まで通りでお願いします

 けれども、一週間も学校を休み続けると、


「祥子。今から会えないか?」


 真人から電話がかかってきた。

 それまでもLINEでやりとりはしていたけれど、声を聞くのは久しぶりだった。


「別にいいけど」


 私は普段着のなかからなんとなく気に入っている服を選び、マスクをつけて出かけていった。





 真人は私の最寄り駅まで来てくれた。


 二人で喫茶店に入る。

 ソーシャルディスタンスを保つように設置されたテーブルは、訪れた客でほとんど埋まっていた。


 少し離れたとなりの席では、女子大生が恋バナで盛り上がっていた。目の前に座る真人をちょっぴり意識してしまう。


 運ばれて来たクリームオーレが意外に大きくて驚いていると、真人がたずねてきた。


「どうして学校に来ないんだよ」

「なんだか行っても無駄な気がして」

「無駄ってことないだろ」


 真人の語気は強かった。


「もしかして、真人、怒ってる?」

「怒ってはいないけど」

「けど、なに?」


 続きが気になって、問いかける。

 真人はアイスコーヒーを飲んで喉をうるおすと、口を開いた。


「祥子には学校にいてほしい」

「え? なんで?」


 とまどう私に、真人は真剣な顔で語りはじめた。


「春から一斉休校になって、当たり前のように会えていた毎日が、実は当たり前ではないってことに気がついて。あの時、祥子と会えない時間はこんなにも寂しいものなんだって思い知ったんだ。だから、学校に来てほしい」

「そう……なんだ」


 顔がしぜんとカアァッと熱くなる。真人がそんなことを言い出すなんて予想だにしていなかったから、焦る。


 実は、私も休校の時に真人に会えなくて寂しかった。

 ……なんて言ったら、真人はどんな顔をするだろう?

 とても言えそうにないけどさ。


 真人はさらに踏みこんでくる。


「祥子ってさ、好きな人いるの?」

「……いるかも」

「誰?」


 上目づかいで真人をちらりと見て、あわてて目をそらす。


「ベイマックス」

「それは人じゃない」


 真人は苦笑し、それから切り出した。


「実は俺、最後の大会が終わったら祥子に告白するつもりだったんだ」

「うそ」

「うそじゃない。祥子、ずっと部活に夢中で、本気で近江を目指してただろ。だから、俺が邪魔しちゃ悪いと思って、告白は最後の大会の後でと決めていたんだ」


 驚いた。真人がそんなことを考えていたなんて。


「けど、大会自体がなくなって、告白するタイミングも失って。それで夏に花火に誘ったんだ」

「でも、あれは後輩たちとの思い出作りだって」

「最初は二人でと思ってた。でも、誘った時、祥子がすぐに応えてくれなかったから。それでひよった」

「あー」


 そこでひよるなよ、と心のなかでツッコむ。


「ま、後輩たちも喜んでくれたし、いいんじゃない?」


 私は熱くなった頭を冷ますようにクリームオーレを口にした。


 つまり、真人はずっと前から私のことを好きでいてくれて、私が学校を休み出したら寂しくなって会いに来てくれた、と。


 真人の話をそう整理して、ますます熱が上がってきた。

 もしかして、私のほっぺ、リンゴみたいに真っ赤に完熟してない?


「……で、今も気持ちは変わらないわけ?」

「ああ」

「じゃあ、私に告るつもり?」

「もちろんそのつもりだ」


 もう耳までじんじん熱い。私は一度気持ちを落ち着かせたくて、胸に手を当て、大きく息を吐き出した。


 今日、真人に告られる。そして、私は友だちから彼女へと変化する。


 思えばこれまでずっと部活三昧で、恋愛なんて一度もしてこなかった。花のJKでいられるのもあとわずか。一人くらい彼氏がいてもいいよね。


 私がそう覚悟を決めると、真人が言葉を続けた。


「受験が終わったらな」

「…………は?」


 私は耳を疑った。

 受験が終わったら? 今じゃないの?


「俺は祥子と同じ大学に合格する。そして、晴れて祥子に告白する。――そういう目標があったほうが、やる気になるだろ」

「……へえー」


 私は間の抜けた声を返した。


 正直、男子の考えることはよく分からない。完全に告られる流れかと思ってた。

 そもそも、受験が終わってから告るって。それじゃ私の高校生活が終わってしまうんですけど。


 ドキドキと高鳴っていた心臓が、急にしぼんでいく。

 私は恨みがましいジト目でクリームオーレのアイスを頬ばり、真人に告げた。


「私、別に真人と同じ大学に行くって決めたわけじゃないんだけど」

「俺たち一緒の大学に行こうぜ。そして、大学でも一緒にかるたを続けようぜ」

「ふぅん」


 そうきたか。

 どうやら真人は、不完全燃焼に終わった部活の続きを、大学で私と一緒に果たそうとしているらしい。

 そんなに私のことを想ってくれるのは、すごく嬉しいけどさ。


「でも、それって受験が終わるまで私に待ってろってことだよね? 都合よすぎない?」

「待ってろっていうか、俺としては祥子が今まで通り俺と過ごしてくれたら嬉しい」

「今まで通りねぇ」


 私はストローをくわえながら、高校三年間をふり返る。


 私のとなりには、いつも真人がいた。

 部活の苦しみも喜びも共有し、帰り道には悩みを打ち明け、教室でもたくさん会話を交わした。そのたびに笑い、癒され、勇気づけられもした。


 本音を言えば、私だって真人とのこの特別な関係をずっと続けていきたい。


 だけど、私は素直じゃないから。

 ちょっとは困らせて、もっと求めてほしい……なんて、つい意地悪な気持ちにもなってしまう。


「もし、受験が終わるまでに私が真人以外の人を好きになったらどうするの?」

「俺より祥子と相性いい奴なんていないよ」

「あっそ」


 たしかに私もそう思うけどさ。

 でも、あまりに確信をもって断言されると、本音を見抜かれている気がして面白くない。


 ……でも、ま、いっか。


 今の私は『今まで通り』がいかに尊いのかを知っている。


 真人がそばにいてくれる。

 そんな私にとっての当たり前が、実は約束されたものではないことを、休校の期間が教えてくれた。


 私がつまずけば、真人はこうして心配して会いに来てくれる。

 そして、大きな波にあらがえず、無気力にただ沈んでいくだけの私の心を救い出してくれる。

 そんな真人に、私の心は今日も満たされる。


 私は身体に熱を感じながら、小さくお辞儀した。


「じゃ、今まで通りでお願いします」

「こちらこそ」


 それからお互い顔を見合わせ、くすっと笑い合った。






 真人と別れるころ、頭上には茜色の秋の空が広がっていた。


 真人に手をふり、家までの道をゆっくり歩きはじめる。進むにつれ、私の足はしだいに速くなっていく。


 ずっと空虚をさまよっていた私の心が、ようやく行き場を見つけた気がした。


 私は真人と一緒の大学に進学する。

 そして、今年失いかけた青春を取り戻す。


 目標が定まって、私の気持ちはようやく高まってきた。

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