第2話 どうして今年なんだよ

 学校から駅までの帰り道を、武井真人まさとと並んで歩く。


「祥子、残念だったな」

「うん」


 真人の声に、私は静かにうなずいた。


 私が部長で、真人が副部長。ほかに三年生はいない。

 部活の苦しみも喜びも、ずっと真人と分け合ってきた。こんな私が部長でいられたのも、真人が陰で支え続けてくれたおかげだ。


 けれども、この関係もまもなく終わる。

 美鈴ちゃんが正式に部長を引き継げば、私たちはもう、ただの友だちだ。


 見上げれば、爽やかな青空が広がっている。感染症なんてどこ吹く風。私もそうでありたかった。


 真人が苛立ったように吐き捨てる。


「くそっ、どうして今年なんだよ!」

「別に来年ならよかったって話でもないでしょ。来年だったら美鈴ちゃんたちが泣いてた」

「それはそうだけど、祥子は悔しくないのかよ」

「そりゃ悔しいよ。でも、それなりに覚悟はしてたから。休校中に最後の試合を予定していた運動部も多いし。最後の大会に出られずに泣く泣く引退したのは、なにも私たちだけじゃない」

「ずいぶん物分かりがいいんだな。祥子も泣いたっていいんだぞ」

「泣かないよ。恥ずかしいし」


 悔しさをにじませる真人とはちがい、私の感情は不思議と波が立たなかった。


 素直じゃないから、と言えばそれまでだけど、それよりも、どこか他人事のような、感情が正しく働かないような、そんな呆然としたけだるさから抜け出せずにいる。


 ただ、そんな私にも伝えなければいけない言葉はある。


「真人、ありがとう。今まで私を支えてくれて」


 私は真人に感謝を告げた。


 私は部活ではさぞかし嫌な奴だっただろう。

 部活を楽しめればそれでいいエンジョイ勢もいたなかで、全国を目指す私は極度のガチ勢。時にぶつかり、部を去っていく子さえいた。


 それでも、真人は最後まで私の味方でいてくれた。

 私では言いづらいような厳しいことも、真人は代わりに平然と言ってのけ、少しも動じない。そんな真人の凛々しさに、私は何度も救われた。


「別に祥子のためじゃないさ。俺は俺の役割を果たしただけだ」

「それでも、私は嬉しかったから。ありがと」

「まあ、祥子も頑張っていたし。夢に向かって情熱を燃やす祥子を見ていたら、こっちも胸が熱くなるというか、しぜんと応援したくなるというか……。とにかく俺は自分がしたいようにしただけだ。気にすんな」

「そっか。真人らしいね」


 どこか気恥ずかしそうな真人に、マスクの下の唇がほころぶ。

 真人はふと真剣な顔を私に向けた。


「祥子」

「ん? なに?」

「いや……」


 真人はなにかを言いかけて、止まった。

 私からはその続きに踏みこめなくて、黙って次の言葉を待つ。

 すると、真人は遠い青空を見上げ、ぽつりと続けた。


「団体戦、一緒に戦いたかったな」

「……だね」


 私はため息交じりに同じ空を見上げた。


 私と真人、そして美鈴ちゃんを筆頭とする伸び盛りの後輩たち。私たちが団体戦に臨むことができたなら、今年こそ全国に行けたはずなんだ。


 しかし、私が高校三年間をかけて追い続けてきた夢は、最後まで叶わなかった。


 そして、夢から覚めた私たちを待ち受けるのは、容赦のない現実だ。


「私たち、今日から受験生だね」

「今日からじゃない。俺たちはずっと前から受験生だ」

「な、なんだってー」


 私がおどけると、真人は呆れたように微苦笑をこぼした。


「勉強、頑張ろうな」

「うん。応援してる」

「祥子もやるんだよ」


 そんな話をするうちに駅に着き、私たちは手をふって別れた。






 英単語帳を広げながら電車に揺られ、やがて自宅に帰ってきた。


「引退、か」


 私はいつもかるたの練習をしている和室にやって来ると、マスクを取り、荷物を放った。

 和室の壁には半紙が何枚も貼られている。


『信じれば夢は叶う』

『努力は人を裏切らない』

『今頑張らないで、いつ頑張る』


 己を鼓舞するように書きつけたそれらの半紙を、すべてはがし、くしゃっと丸める。


 それから、いつものように畳に腰を下ろし、百人一首の札を並べた。

 そして、一枚一枚、順に丁寧に払っていく。

 もう何千回、何万回くり返したか分からない素振りの練習。

 私はそれを今日もくり返す。

 まるで夢の続きを見ているかのように。



――どうして今年なんだよ!



 真人が苛立たしげに吐き出した言葉が、私の耳の奥でリフレインする。

 四季折々の歌も、恋の歌も、雑の歌も、すべてが苛立ちと葛藤で染まっていく。


 小学生のころ、競技かるたの少女漫画に夢中になった。それ以来、漫画の世界のヒロインみたいに、青春を輝かせたいとずっと憧れてきた。


 私だって主人公のように活躍できると信じ、今の私たちなら全国にだって手が届くはずだと信じ、県大会だってきっと実施すると心のどこかで信じていた。


 それなのに……。


 私がこれまで信じてきたものは、砂で建てた城のようにもろく儚くくずれてしまった。

 大粒の涙がこぼれ、札や手の甲をぬらしていく。


「うっ……うっ……どうして今年なんだよおォッ!」


 私はその場にうずくまり、声を上げて泣いた。


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