第35話 合宿に向けて

「うーんとね。最初はいちいち話すこっちゃないと考えてたんだけど、要のためにも秋山君のためにもきっぱり言ってやったわ。あのときの白木さんの顔ったら、ちょっとした見物だったな」

 きししと音が聞こえてきそうな、意地悪そうな笑みを浮かべた悠香。

「いっつも、すましてるでしょ、あの人。それが不機嫌そのものって感じになって、夜叉って言うんだっけ? あれを連想したね、私は」

「あはは……はは」

 冷や汗をかく思いで、笑ってみせる公子。

(最近、白木さんが私にあまり敵意?を見せないのは、こういうことなのね。でも彼女、秋山君をあきらめた様子はないし。どうなってるんだろう?)

 あれこれ考えるのに心を奪われていて、公子は横に待ち人が来たとは、すぐには気がつかなかった。

「公子ちゃん?」

 秋山の声がした。急いで見上げる。

「あ、ごめんなさい。来てくれたんだ、あはは」

「そういう約束でしょうが。期末テストの勉強するから、数学の分からないところを教えてくれって」

 秋山は公子の隣の席に収まった。

「どこが分からないの?」

 秋山は、何でもないように聞いてくる。全般に成績のよい秋山だが、特に数学はほとんど満点を取る。一方、公子も悠香も成績はまずますだが、数学だけはあまり得意でない。

「えっと、最初は、問題集の七十五」

 引っかかっている問題を、公子は指さした。

「ああ、これは……グラフを描いてイメージすれば、分かりやすくなるはずだよ」

 ノートと定規とシャープペンシルを取り出すと、秋山は手早くX軸Y軸を描き、さらに直線を連ねていく。

「この囲まれた部分」

 三角形の区画に斜線を引く秋山。それから、定規を立てて、グラフの上を動かしていく。

「こういう直線が動いてくるものと見なして」

「――あっ。分かったわ」

「あ、私も。分かった気がする」

 公子と、遠い席から覗き込んでいた悠香が、口々に言った。

「オーケーだね? うん、基本ができてる人には、教えやすい」

 優しげな言葉をかける秋山。

 それからも彼は、次から次へと問題を解いていってみせた。

(凄いね、秋山君。教え方もうまいし。……カナちゃん、これで分からなかったとしたら、相当、お熱を上げていたんだなあ)

 くすくす笑えてしまう。

「何がおかしいの?」

 秋山と悠香から注目されて、公子は顔を真っ赤にした。

「えーっと、分からなかったのが全部解けて、うれしくなって……」

「そんな大げさな」

 二人は今度は、あきれ顔になった。

「ね、それよりさ、期末が終わったら、遊びに行くんでしょう?」

「今、その話をすると、テストで痛い目に遭いそうで恐いんだけど」

 悠香が不安そうに声を上げた。

「大丈夫よ。こうして教えてもらったんだから。ねえ、秋山君」

「ははっ、そうだといいんですが」

 冗談めかしつつも、苦笑いを浮かべる秋山。

 悠香は、あきらめたように応じた。

「そういうことにしといてもいいけど。秋山君、地学部の合宿に日程の変更はないのね?」

「変わってないよ。八月十日からだったよね、公子ちゃん」

「ええ」

 すぐに答えられる。

(ペルセウス座流星群が見られる頃だもの。簡単には忘れない。八月十二日が、一番たくさん流れる)

 天気のことまで思いを馳せながら、公子は頭の中で復唱した。

「新聞部の方も問題なし。要も大丈夫だって言ってたから、私達の旅行の方は最初の計画通り、七月二十八日から三十日までということで決まり、と。名付けて、二泊三日、山梨に行って、浴びるほどワインを飲むツアー」

 どこまで本気なのか、気楽な調子の悠香。

 山梨に決まったのは、比較的近場であることに加え、秋山の親戚がおり、そこにお世話になって宿泊費を浮かせられるというメリットもあった。

「お酒はだめよ」

「固いこと言いっこなし」

「ワイナリーで年齢チェックされるよ」

 秋山が落ち着いた声で言う。

「じゃあ、買ってもらったのを家でこっそり」

「もうっ。とにかく、学校じゃそういう話しちゃだめっ」

「あ、そうか」

 悠香がとぼけたように笑うと、公子も秋山もつられて口元がゆるんだ。



 車内放送が、間もなくKぶどう郷だと告げた。

「補習にも引っかからなくて、よかったよかった」

 などとお気楽に話していた公子ら五人は、網棚から荷物を下ろした。

「時間通りか」

 時計を見る秋山。時刻は十時七分。あと三分で到着の予定である。

「ここまで来て言うのも何だけど、本当にお邪魔していいの?」

 公子が念押しするように、秋山に聞いた。

「きちんと頼んで引き受けてもらったから、大丈夫だよ。向こうもこれまで、僕のうちに何度も泊まっているんだし」

「伊達さんて、あの小さな子がいるところでしょう?」

「もう小さくないよ。小学……五年生になっている」

 指折り数える秋山。

(五年生かあ。この頃は大きい子もいるんだろうな)

 自分が中二のときに会った、小柄な少年を思い浮かべると、公子は顔が自然にほころんだ。

「その子って、秋山君に似ているの?」

 要が、身を乗り出し気味に聞いてきた。興味津々ぶりを隠さない。


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