第32話 雨の日の地学部

 修学旅行から帰ってからしばらくは、すべてがあわただしく進むような感じがある。旅行気分が抜けきれないまま、惰性で流れて行く部分があるからかもしれない。

「六月は楽でいいな」

 地学部部室の窓から外を眺めつつ、頼井が鼻歌の合間に言った。天気は雨。

「当番がさぼれたぐらいで、そんなに喜ぶなよなあ」

 秋山が言っているのは、もちろん、太陽観測のこと。

 代替わりして、部長になったせいだろう、秋山は部員全員の活動に気配りするようになっている。

「秋山君、新しい活動、どうするのかしら? こう雨が続いちゃ、天文関係はしばらく無理よ」

 白木麻夜が退屈そうに言った。もっとも、彼女が退屈するのは、秋山と話す機会が減った場合ぐらいか。

「僕自身は、化石をやってみたいな。もちろん、発掘なんかは無理だろうけど、化石の観察とか地層を調べるとかは、できるはずだよ。そこまで飛躍しなくても、鉱物を顕微鏡で覗くだけでも面白いと思うし」

「と言うより、太陽とか星とかの他に地学ってったら、それぐらいしかないじゃないか」

 教室の方に向き直って、頼井。

「そういう説もある」

 うんうんと、冗談っぽくうなずく秋山。こういうところは部長になってからも、変わっていない。

「本当は、地震の研究なんかも対象に入るんだよ。みんなの意見は?」

 見渡す秋山。部員は一、二年生を合わせて十五名となっており、女子が四名増えた。頼井が入ったせいである。

「天体観測も続けるんでしょう?」

 公子が気になっていた点を聞くと、すぐに秋山はうなずいた。

「もちろん。それがなくなったら、僕が地学部にいる意味がほとんどなくなるしね」

「だったら、梅雨の間は、星座について覚えるのって、どうかなって。星座の名前とか、ギリシャ神話を」

「それじゃあ、地学と言えないわ」

 白木が反発してみせた。

「地学部として、何の役に立つのかしら?」

「――私、転校してきたから分からないけど、文化祭でどんなことするの?」

 白木から、秋山に視線を移した公子。

 秋山は上目遣いになって、思い出しながら話した。

「去年は太陽観測の結果をまとめたものや、星図を張り出したっけ。それから、鉱物を顕微鏡で覗けるようにしていたよ」

「ギリシャ神話は何もしていないのよね」

「してなかったけど」

「今年、プラネタリウムができないかな」

「プラネタリウム?」

 そこここで、声が上がった。プラネタリウムについて知らないのではなく、どうやって実現するの?という疑問の声。

 秋山が応じる。

「プラネタリウムか……。確か、黒いパラソルみたいな、簡易式のがあるよね、そう言えば」

「ええ、そうなの。私達だったら、天体そのものについての解説は簡単にしかできないでしょうけど、神話はきちん覚えさえすれば、面白く語れるんじゃないかなって思って」

「いいと思うな」

 真っ先に頼井が賛同した。他の部員達も、口々に、面白そうとか、いいんじゃないのとか言っており、反対する者はいないよう。だが、

「私、あまり気が進まない」

 と、不平をこぼしたのは白木。クラスでは相変わらず猫をかぶっているが、部活動では最近、公子に対して遠慮なく攻撃してくる。

「朝倉さん、あなた、自分がギリシャ神話を好きだから言っているんじゃなくて? 個人的趣味を押しつけられてるみたいで、嫌だわ」

「意見てのは、そういうもんだぜ。個人の好みがなきゃ、意見にならないと思うけどね」

 すかさず、頼井が言った。

「反対するからには、もっと具体的にやってくれないと」

「……み、みんなが賛成するんだったらいいわ。プラネタリウム自体は、企画としては、いいと思うしね」

 ややたじろぐ白木。公子の味方をする頼井を、疎ましく感じているかもしれない。白木はそれから、思い出したように付け加えた。

「問題は予算よ。新しい機材を購入するのって、大変なんだから」

「それはカンパにするしかないよな、秋山?」

 頼井の問いかけに、秋山はさも当然のごとく、首肯した。

「具体的な金額はまだ分からないけど、年度始めに下りた補助費では、限界があるだろうからね。まあ、調べてみれば分かる。とんでもない値段でない限り、文化祭でのプラネタリウム実現に向けて動くのがいいというのが、僕の考えだけど、みんなはどうかな?」

 もはや白木も反対しなかった。秋山の意見となれば、賛成する。

「それなら決めよう。梅雨の時季だけでなく、雨で天体観測ができないときは、ギリシャ神話を読んでみるってことでいいね」

「ギリシャ神話や星座の本は、図書館に何冊かあるし、私も持っているから、それを使えばいいと思う」

 公子が言い添えた。

 そのあと、少し雑談して、この日の部活も終わり。

「すっかり、天文部状態だね」

 かばんの中を整理していると、頼井が話しかけてきた。

 公子は白木が秋山と話し込んでいるのを横目で確かめてから、口を開いた。

「ねえ、頼井君。白木さんにわざときつく当たっていない?」

 公子の問いには答えず、空とぼけたように、口笛を短く鳴らす頼井。

「頼井君たら」

「公子ちゃんには、そう見える?」

「見えるわ。女子には誰にでも優しくしているはずなのに、白木さんにだけ、対応が違うみたい」

「ああいうタイプはからかっている方が面白いから。美人を持ち上げたってしょうがない」

 本気なのかどうか、頼井は白木の方を振り返りながら小さな声で言った。

 公子はそんな頼井の腕を引っ張って、部室の外に連れ出す。

「何だい? なーんか、恐い顔してるけど」

「もしも、私のためとかカナちゃんのためとか、そういう考えでやっているのなら、やめてほしいの」

「やめるって?」

「白木さんにきつく当たるのを、よ。白木さんが秋山君と話すのも、ときどき邪魔しているでしょう」

「よく見ているね」

 別段、隠そうともしない頼井。

「秋山君に近づけないようにするためにやっているんだったら、白木さんに悪いわ。白木さんはカナちゃんのこと知らないんだから、秋山君を好きになったって、ちっとも悪くないのよ。それはね、あの人、少し勝ち気すぎる感じで、私も嫌な思いすることあるけれど、頼井君があそこまでしなくていい」

「公子ちゃんが地学部に入った建て前は、要ちゃんのためだったろ」

「意地悪言わないで」

 じっと見つめる。

 根負けしたように、頼井は目を閉じ、首を振った。

「昔、似たようなやり取りをした気がするなぁ。はいはい、なるべく慎むよ。でも、ああいう女王様タイプをからかうのって、本当に面白いんだな。からかったら罵ってくるだろ。あれが快感なの。もっと俺を嫌って、踏んづけてって。マゾ気質なとこあるのかな、俺」

 “女王様”という自ら出した表現に引っ張られたか、妙なジョークを口にする頼井。

「もう」

 公子があきれて二の句を継げないでいたところで、秋山と白木、その他残っていた部員達が教室から出てきた。

「どうかしたの?」

 公子と頼井が何を話していたのか、気になる様子の秋山。

 そんな彼を、白木は強引に自分の方に向かせて、

「また明日ね。私も本屋で調べてみるわ」

 と言って、面白くなさそうに離れて行く。帰る方向が秋山とはまったく違うことも、彼女の機嫌を悪くさせる要因かもしれない。

「さて。俺もここらで。デートがあるんだ」

 頼井は笑って言うと、残っていた四人の女子部員の輪の中心に入った。そして、まるで秋山から何かと聞かれたら面倒だとでも考えたかのように、さっさと行ってしまった。

「やれやれ、相変わらず」

 秋山は見送りながら、息を大きくはいた。

「もてるんだから、しょうがないんじゃない? 軽そうに振る舞ってるけれど、いい人だもんね、頼井君」

「公子ちゃんもそういう風に感じるの? 分かんないなあ」

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