第15話 運動会その1

 運動会当日は、運動音痴の生徒には最も嫌な天気、つまり快晴だった。

 公子はゆううつだった。別に、運動が苦手というわけではない。得意でもないけど、身体を動かすのは基本的に好き。

(転校のこと、いつ話そう……)

 三日前から悩んで、結局言えないでいる。

「ここにいたの」

 秋山の声。鏡の中に、公子と並んで秋山の顔が映る。

 公子はみんなと顔を合わせたくない気持ちも働いて、ヘアバンドを直すために校舎の一階にある鏡の前に来ていたのだ。

「そろそろ時間だよ」

「ごめんなさい。わざわざ」

「クラス委員の勤めです」

 そんな秋山の言葉に、

(本当にクラス委員としての義務だけで探しに来てくれたの? もしそうじゃなかったら、私……)

 急に、身体が前のめりしそうになる。腕を引っ張ってもらっていた。

「あっ」

「え? 痛かった?」

 あわてたように、公子の手首を離す秋山。

「ううん、痛くない痛くない。大丈夫。今のは言葉のはずみ」

「よかった。――ほら、ぼうっとしてないで。遅れるよ」

「ええ」

 秋山の背中を追い掛ける公子。それだけで少し、ゆううつな気分が晴れた。


 先生・来賓による入れ替わり立ち替わりの挨拶のあと、準備運動のラジオ体操を皮切りに、競技が始まった。

 各種目を紅白二組に分かれて競い、最終的な獲得ポイント数で勝敗を決める。紅組は二、四、六組で、白組は一、三、五組。公子だけ白組で、悠香や要とは別れてしまっていた。

「あーん、秋山君と別々だなんて」

 早くも紅組応援席を抜け出してきた要が、公子や秋山の前でだだをこねる。

「私とは別れてもよかったわけ?」

 意地悪を言ってみたくなった公子。要は相当な勢いで首を横に振った。

「違うよっ。キミちゃんともいっしょにいたかったよー」

「私はそれよか」

 こちらも抜け出してきた悠香。公子の椅子の背もたれに腕枕し、顔を載せる格好だ。

「あいつといっしょなのが嫌になるのよね」

「あいつって、頼井君? クラスが同じなんだから、最初から分かってたことじゃない」

「そうだけどさ……」

 悠香は顔を上げ、紅組の方に目をやった。公子もそちらを見ると、頼井が同級生や下級生の女子と、何やら楽しそうに話しているところが目に入った。

「あれだよ、ったく」

「そんな、気にしなくていいのに」

「気にせずにはおられん!」

 すっくと立ち上がった悠香。まとめてあるロングヘアが、何やら哺乳類のふさふさした尻尾みたいに揺れる。

「ああいうのが仲間かと思うと、精神衛生上よくないのよっ。勝負に集中できない」

 悠香の『演説』を聞いて、公子は思い出していた。

(そう言えばユカって負けず嫌いだもんね。運動会でも同じ。去年も凄い、力の入れようだったから)

「秋山君は何に出るの?」

 横合いでは、しきりに要が聞いている。予行演習などで絶対に知っているはずなのに、秋山自身から聞きたいのだろう。

「二年男子全員は棒倒し。個人競技は二百メートル走に出るけど」

「頼井と同じだ」

 悠香が思い出したように言った。

「知ってる」

 うなずく秋山。

「走る組も同じなんだ」

「応援しちゃう!」

 要の黄色い声に、悠香が片目をつぶってしかめ面になった。

「カナ、あんたは紅組だよ」

「いいじゃなーい、ユカちゃん。二百メートル走の中の一つだけよ」

「……それじゃあ、私もそのレースだけ、頼井の応援をしないでおこうっと」

 自らを納得させるように、悠香は何度もつぶやいていた。

「はは、ますますやる気が出たな。意地でも負けられなくなったって感じだね」

 秋山は心底楽しそうに笑った。

「がんばって」

 要はもはや、遠慮なし。相手チームを応援する気持ちを隠そうともしない。

「ほれほれ。いつまでも敵陣にはいられないわ」

 戻りかける悠香達に、公子は、

「じゃあお互い、がんばろっ。それとお昼、いっしょに食べようね」

 と手を振った。

(せめて今ぐらい、転校のことは忘れていよう)

 そんな気持ちを固めた。


 午前中に、まず棒倒しがあった。電柱より一回りほど細い棒の先に、紅白それぞれの旗が取り付けられている。ルールは単純、その旗を先に奪った方が勝ち。三回勝負だ。

 仲良く?一本ずつ取り合ったあとの三回目。いよいよ熱を帯びてきた。

 が、勝負はあっけなかった。白組の棒が先に倒され、案外早く、旗を取られてしまった。

「ああー」

 そんなため息がこぼれたのは、公子のいる白組応援席ばかりでなかったろう。きっと、要もがっかりしていたに違いない。

 それから二つ、プログラムが進んで、昼食の時間。

「お待たせ」

 各自お弁当を手に、藤棚の下に集合。うまく場所取りできたものだ。

「あれ?」

 公子が声を上げたのは、悠香の後ろに頼井がいたから。そして、その横に秋山がついてきていた。

「秋山君……」

(さっき、応援席で別れたはずなのに、どうして)

 そんな思いが公子の頭の中をよぎる。

「はは、ご覧の通り、頼井がこっち来るから」

「たかろうかなって思って」

 頼井は、悠香のお弁当の中身を早くも覗き込んでいる。

「私からじゃなくても、向こうから渡したがってる女子が他にいくらでもいるでしょうが、あんたには!」

「……だって、おいしくないんだもん」

 子供ぶって答える頼井。

「みんなの気持ちはうれしいんだけどなあ。手作りの料理じゃいまいちなんだよな」

「いいの、そんなこと言って?」

「ここだけの話ね。いや、ほんと、さしてうまくない料理に『おいしい』って言わなきゃならないのは、結構辛いぜ」

「めでたい奴……」

 すでに腰を落ち着けている秋山が、あきれたように見上げる。

「そこへ行くと、例えばこの卵焼き」

 頼井の手が素早く伸びた。悠香がとがめる間もなく、彼女のお弁当から卵焼き一つが消える。

「あっ!」

「うん、うまい。この味がたまりませんな」

「こらっ! あんたはいっつもいっつも」

「だから、うまいんだよ、本当に」

「……おいしい物をおいしいと言うのはいい。けど、それとあんたがつまみ食いしていいってことは、全然つながっとらん!」

「わ、許せ。取り引きしよう、取り引き」

「どんな」

「女子からもらったおかずと交換」

 悠香は無言で、相手の頭を思い切りはたいていた。

「ばかは無視して、食べよっ」

「う、うん」

 他の三人は、笑いをこらえながら食べ始める羽目になった。

「棒倒し、惜しかったわ」

 要が自分のことのように残念そうに言った。

「あ、それについては、頼井に文句があったんだ」

 秋山は頼井へと顔を向けた。

「何だ?」

「頼井、運動部の部員が自分の専門分野に力を出してはいけないことになってるだろう」

「うん、まあそうだな。二百メートル走に陸上部員は出ないもんな」

 仕方なさそうに自分のお弁当をぱくついている頼井。

「それなのにおまえ、日本拳法の技、使ったんじゃないか? 僕にはそう見えたんですがねえ」

「さあて、どうだったかな」

「三回目のとき、棒の根本で踏ん張ってた奴に、足をかけたろう?」

「自然に足が動いちまったかもね。だが、どっちにしたって、それぐらいいいだろう」

「まあな。ただ、確かめたくて」

 気が済んだ様子の秋山。そしてゆっくりとした口調で付け足した。

「本当の勝負は二百メートルで着けようぜ」

「いいぜ。返り討ちだ」

 気取った調子で返した頼井。しかし……。

「いやあっ。勝ったらだめよ、頼井君」

 要の声にこけそうになってしまった。

「な、何で。要ちゃん、同じ紅組を応援してよ」

「あははは、他にどれだけ女子が声援してくれようと、ここにおられる女子はおまえの味方じゃないんだな」

 秋山が愉快そうに笑った。

「ちぃくぅしょう~」

 まんがめいた声で、悔しさを表す頼井。芝居っぽい。

「どうしてこんな奴がもてるのかねえ」

 悠香の一言で、場にどっと笑いが生まれた。


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