第3話 橋渡し

 水曜日の放課後、部活動に行こうとしている秋山が廊下に出たところで、公子はやっと引き留めるのに成功した。

「ん、公子ちゃん? 珍しいね、君の方から声、かけてくるなんて」

「そ、そうかな。あはは」

 無意味に笑ってから、公子は口を閉ざした。後ろの方で見ているはずの、要の視線を背中に意識する。

 廊下を行き交う人の数が多く、とりあえず、教室の中に戻る。合わせて視線がついてくるのを感じた。

「どんな用?」

 壁の時計を見上げる秋山。教室内に、二人の他に誰もいない。

「部活の時間、いい?」

「うん。まだ大丈夫だけど」

「ご、ごめんね、呼び止めて。そう、用なの。実はさ、秋山君と会って話がしたい子がいて」

「ふうん?」

 かばんを机に置く秋山。長くなりそうだと自主的に判断したらしい。

「私達のクラスじゃなくて、二組の子。一年のとき、同じクラスだったの」

 ようやく話し慣れてきた公子は、とにかく用件だけは伝えようと、早口で喋る。

「何て人?」

「えっと、寺西要さんて言って」

 後ろを振り返る。開け放してあった教室の窓越しに公子は要と付き添い?の悠香の姿を見つけ、こっち来てと目で合図する。

 いつも通りの悠香を前にして、いつもとまったく違う、もじもじした態度の要が、ゆっくり、こちらに向かってくる。

「……後ろの子?」

 察したらしい秋山。

「うん。前の子は四組の野沢さん」

「野沢さんの方、どっかで見たような……ま、いいか」

 ようやく、要達がそばまで来た。

「さ」

 自分の役目はここまでと、公子は要を促す。

「あ、あの……私、寺西要ですっ」

 深々と頭を下げる要。

「これはご丁寧に。秋山広毅です」

 冗談めかして返答する秋山。相手をリラックスさせようという心配りかもしれない。

 でも、要の緊張は簡単にはほぐれなかったよう。

「し、知ってます! 有名ですから。あ、秋山君、格好よくて、女子の人気あるし」

「それはいいこと聞いたなあ。人気あるのは頼井よりいばかりだと思ってた」

 頼井という名が出た瞬間、傍観者のごとくしていた悠香が、泡を食ったように話に割って入ってきた。

「え? 頼井って……あいつのこと、知っているの、秋山君は?」

「知ってるも何も、同じ部だから。――あ、そうか」

 はたと気づいたという感じに、声を高めた秋山。

 公子はもちろん、要も何のことやら分からないという風に、二人のやりとりを聞いている。

「野沢さんだっけ? どこかで見たことあるなあと思って、思い出そうとしていたんだけど、やっと分かった。たまに頼井といっしょに帰ってるでしょ」

「ほんと?」

 公子と要が、いっせいに聞いた。

 悠香は、あちゃーといった具合に、右手を顔に当てる。

「……見られているものね、ったく」

「どういう人、頼井さんて? どういう関係?」

 自分のことは忘れたか、要が興味深そうに尋ねた。

「小学校のときからの腐れ縁。ずっとクラスが同じだったの。中一のとき、やっと離れたと思ったら、今度また同じになっちゃってね」

「いっしょに帰るってのは? 腐れ縁だけでそんなことしないよ」

「誤解もはなはだしいっ。家が隣同士なの」

「なるほどね」

 分かったというように、秋山。

「あ、ごめん。話の邪魔して」

 一歩下がる悠香。途端、要は自分の立場を思い出したようで、見る間に顔を赤らめた。

「こっちこそ、余計な話を持ち出して悪かったかな。ごめんね、寺西さん?」

 秋山が、うつむいている要を覗き込むような形で声をかける。

「ううん、いい」

「そう? でもまあ、よかった。色々と分かったから」

 にやっと、意地悪そうに笑う秋山。

(? 何が分かったのかしら?)

 公子は心の中で首を傾げた。

「頼井と野沢さんが幼なじみであるってことの他に、寺西さんが結構、お喋りだってことも」

「やだ」

 ますます赤くなる要。

「最初に見たとき、公子ちゃんより大人しい子が来たぞって思ったんだけどね。

本当はよく喋るんだ」

「だ、だって緊張しちゃって」

 そう言う要の後ろで、公子も赤面しかけていた。

(うわー、今でも大人しいって思われているんだわ! 男の子と話すのが、ちょっと苦手なだけなのに)

 身体の向きはそのまま、顔だけ横を向けて、ほてったのをみんなに見られないようにする公子。

「もう緊張しなくていいじゃない? 素のままの寺西さんで」

「そうかな……」

「そうそう。それで、話ってのはこれでおしまい? 時間、やばくなってきたんだけど」

 二度目の時間確認をする秋山。

「秋山君、まだなの。ほら、カナ」

 黙っている要に代わり、公子がつないだ。実のところ、これだけ話すのさえ、公子にとっては大仕事なのだが。

「えっと、今度の日曜か次の、ううん、いつでもいいから休みの日、私達と遊びに行くのって、どうかなって……」

「『私達』って、君達三人?」

 面食らったように、目を丸くする秋山。

 要が言ったことは、あらかじめ三人で決めていた『計画』の通り。いざ、紹介してもらえるとなった要は、早くも秋山を遊びに誘いたがっていた。それでいて、いきなり一対一は恥ずかしいからということで、公子や悠香も巻き込んだ形を取る案を申し出てきたわけである。

 無論、公子の気持ちは誰も知らない……はず。

「うん、そう。できれば、秋山君の友達二人、連れて来てほしい……」

「ああ、そういうことね。いきなり三人にもて始めたのかと思った」

 これも冗談っぽく、秋山は笑った。その言葉が、公子をどきどきさせる。

「いい?」

 恐る恐る、探るように聞いた公子。対して、秋山は明朗に答える。

「いいよ。他の二人に聞かないといけないから、次の日曜は無理だろうけど、その次なら多分、大丈夫」

(よかった……)

 と思って、お礼を言おうとした公子より先に、要が歓声を上げた。

「きゃっ! うれしい、ありがとうね、秋山君」

「はいはい、どうも。そんなにうれしがらなくても……。こっちは誰を連れていこうか悩んでいるんだし。公子ちゃん、ご希望は?」

「え?」

 いきなり聞かれ、戸惑ってしまった。公子はぽかんと口を開け、相手を見返す。

「遊びに行くとき、誰がいたらいい? 僕は結構、顔が広いつもりだから――あはは――なるべく努力するよ」

「そ、そんな。私は別に……」

 公子は、自分の顔の前で何度も手を振った。

(あなたがいれば、それだけでいいの)

 と、言いたかったけれど、言葉に出せない。

(私の想い、絶対、表してはいけない。少なくとも今は……)

「キミちゃんは今のとこ、好きな子いないんだよねえ」

 要が言った。彼女をにらむわけにもいかず、ただただ笑みを送るしかない公子。

「そうなのかあ……」

 どことなく拍子抜けした様子の秋山に、悠香が聞いた。

「私には尋ねてくれないのだろうか?」

「え? ああ、聞くまでもないと思ったから」

「どして?」

「だって、頼井を連れてけばいいんでしょ」

 わざとなのか、まじめくさった調子の秋山。

「じょ、冗談を! 私の理想は高くてね、あいつなんかとてもとても」

「そう? かなりいい奴だと思うけど、あいつ」

「全然。付き合いが長いと、色々見えてくるのよねー」

「じゃ、他の奴を」

「待って。別に誰でもいっしょよ。それぐらいだったら、よく知っている奴の方がいい」

 多少、急ぎ加減に言い添えた悠香。

(ユカって、何だかんだ言って、頼井君っていう男子のことを……)

 そんな感じを受けた公子だったが、今は冷やかす気にはなれない。

「ふむ、了解。あと一人、適当につかまえてみる」

 かばんを手に取ると、秋山は急に忙しそうに言った。

「どこで何をして遊ぶかは、また次ね。じゃあ、もう時間だから」

「あ――本当にごめんなさい」

 公子はもう一度、謝った。すると、優しい声が返ってきた。

「いや。ありがとう! 楽しみだよっ」

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